【1話】青春が勿体ない
語るまでもない男子高校生の惨めな一日。
月曜日の朝、教室に入り自分の席に座るが否や、うつ伏せ、そして眠りにつく。
朝のHRが始まると、顔を上げはするが、その話の中身については彼の右耳から左耳に通りすぎて、そして空に消えていく。
授業中も又同様、眠っている。この教師どもの話すことは一切合切将来何の役にも立たず、聞いているだけ時間の無駄だ、と。
昼になれば飯を独りで喰い、時が経ち授業が再び始まると又眠る。それを見かねた保険の教師兼彼の担任である旦ノ島は西川 開にむかってチョークを投げつける。
────っガツン!!
頭を無言で押さえる開。
「お前寝るなら帰れ!」
「……。」
そら帰りたきゃ帰ってるさ。
心で呟き、開は彼の忠告を無視し、又机に突っ伏す。
旦ノ島は苦笑して「こいつダメや」と呟くと、再び授業を続けた。
クラス中が、開を蔑視した。
感情を殺すとか、そういう器用な真似はできない。
だから普通に恥ずかしいし、悔しくもある。
だが、それ以上に意味がない。
この青春に意味がない。
彼はそう心で愚痴ると、又意識が遠退く……。
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放課後、薄暗い路地を寂しくふらふら歩く。
────このままじゃだめだな。
開は自分の思考を自嘲した。
思うのは自由だろ。なにかしようって気も無いくせに……。
自宅を見上げる。くすんだ古くさいアパートだ。三階建てで、飾りっけなくどこもここもコンクリートで無機質。そんな寂しい外観の中に『西川』の標識を通りすぎて、彼は玄関の扉を開く。
「ただいま」
「おー!おかえりー!!ヒラキー!!」
夕飯の支度に勤しむ父の明るい声だ。開はそれを聞いて少しだけ頬を緩ませ、靴を揃えた。
今日の夕飯は、ペペロンチーノである。開の昔からの大好物で、小さな頃はよく作ってと頼んでいた。
「おーしー」
「おおおそりゃ良かった!」
その呟きは、お世辞でも何でも無く真意なのだろうが、何せそれを放った当人の目は死んでいる。
開は手前の雑誌を手に取る。ここ最近ずっと彼が読んでいたPCのカタログ。それを見る目も又同様、死んでいるのだ……。
父はその様子を、悟ったような眼差しで眺めている。
テレビはつけない。
『芸人やコメンテーターが、万物を知ったような物言いで偉そうなのが癪に触る。食欲が失せる!』
とわがままにほざく開の要望に沿って父が気を使っているのだ。実際、父も同意見なので特に問題にする事でもないのだが。
開はただ終始無言で食べ続けた。美味しい、という割には、もはや食べる行為すら『誰かにやらされている』という態度で行う。本人が、そのつもりが無かったにせよ、他人からはそう見られる。
父はとうとう口を開いた。
「開、交渉しよう。」
「はい?」
「お前がこの一週間、何事も一生懸命に取り組んだら、俺がそのカタログん中から買える範囲の値段のパソコン買ってやる!」
「あ……。」
開は目を見開き、唾を飲み込んだ。それはさながらスイッチでも入ったかのように。それを見て、父は口角を上げる。ニヤリ、と。
「お前の担任の旦ノ島から連絡があってな。ここ最近の西川開君の生活態度が目に余る、と。だから、俺は」
開の父、西川 勇気は立ち上がり、拳を握りしめて開に語った。
「一週間後に旦ノ島に、開の態度、ここ一週間で何か変わったか?と聞く。ここで、開に好評価がついたら交渉は成立。変わらないんならPCはサヨナラだ!」
「やる、いえ、やります。俺変わりますはい。」
彼の目は冷静さを失っている。勇気は心中思う。
こいつは昔からスイッチが入ると、やるときにはやる奴だった。きっと今回も大丈夫だろう。
「青春がモッタイナイ。そうは思わんのか?」
「……。」
「これを契機に、これまで無駄にしてきた時間とか、これからするべきこととか、しっかり考えること。俺なんか戻りたくても戻れないんだから……。今をちゃんと生きろ!!いいな。」
「詭弁だね」
「あぁ?なんか云ったか?PCどっかいっちゃうぞ?」
「いえいえ何でもないです考えます、はい。」
こうして交渉、というより、勇気の賭けが始まった。
10時、暗闇の布団の中で開は考える。
変化とは何か?
しっかりするとは何か?
空中で考えても仕様が無いと考え、学習机の電灯をつけ、メモ用紙に<明日からの変化>と書き記した。
なるべく、妥協したい。いやいや、PCがかかってるんだ。旦ノ島は厳しい教師だ。並大抵のことじゃ、そうそう他人への評価を変える男じゃない。ここは大げさ位が丁度いいか。
彼は箇条書きを始めた。
・朝一番に教室に入る。
・授業中は起きておく(当然)
・発表も積極的に。
・掃除は誰よりも一生懸命に。
・友達を作る(仮初め)
・日直の仕事を手伝う。
・……。
取り敢えずこれくらいでいいだろうか。
書き終えると開は再び布団に潜る。
こうみえて昔は、学級委員長とか積極的にやるタイプだったし、友達だって沢山いた。あの事件までは。
そう、今よりも遥かにお喋りで、きっとあの頃の自分を意識したら明日はいけるだろう。
……。
明日の予習しねぇと!
布団から飛び出し彼は机に教材を広げた。
勇気はそれを角から覗き込み、「がんばれ」と小さく呟いた。
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一時限目『古典』
「じゃあここの助動詞は?」
はい!
「開君っ!?」
クラス中が驚いて振り替える。
二時限目『数学』
「x=3における微分係数は?」
はい!
三時限目『学活』
「だれか日直の手伝い出来る暇な奴おるか?」
はい!
はい!はい!はい!
それはクラスメイト諸君が悉く、目を疑う光景であった。
当然だ。
普段なにもせず、常にだらけていた男が、突然覚醒したように活動を始めたのだ。
三時限目後の五分休み、どいつもこいつも開の机に集合した。
開口一番は、このクラスの中心人物。皆の人気者、富士 達也である。
「開ってこんなに喋るひとだったんだね。」
「あはは、まぁね!」
女子たちも群がってきて、少しだけ、ほんの少しだけ浮かれそうになるのを堪え、開はその隙間から旦ノ島を見やる。
この様子を旦ノ島は目撃した。少なくとも三時限目の学活は、アピールするように発表したり、やりたくもない余分な役を引き受けたりした。
そして、放課後。
「はぁーやっぱ学校ってクソだわ」
一日中、『俺誰だよ?』と思いながら過ごした。
しかし、不意に思い出す。
みんなに囲まれて笑いあった今日。
いつもよりも遥かに充実感があり、得たいの知れない罪悪感を覚えることも無かった。何より……。
「でも、楽しかったな」
何事も自分次第、とか詭弁だと思っていた。しかし、こうして実際『本気』の一日を終えた俺は、心の底からその言葉を肯定したい。
これまで、俺は青春を放棄していた。
その怠惰による後ろめたさが苦しかった。
しかし、それは己の選択によって打開できる。
「あとは日直の手伝いだけか。」
「開君?」
ショートヘアーの女子生徒が、開だけの教室に入ってきた。クラスでは高嶺の花の村上 春乃さんだ。
「日直って春乃さんだっけ?」
「そーだよー!もうめんどくさいよねあの先生。先週一回サボったからって、何も今週毎日やれだなんて……、酷すぎるよね!!」
同情を買おうとする春乃。しかし、寧ろこのように語尾に同意を求める責めかたをされると、なんだか不愉快で庇う気持ちも失せる。
「春乃さんの言うとおりだよ!あの教師はちょっと頭が可笑しい。」
しかし、今日の開は気が使える。
「ホントだよ!!先生は頭が可笑しい!!」
「あ!?誰がおかしいだって?」
────!?
ふたりは振り替える。すると、あろうことか旦ノ島が眉間にシワを寄せてこちらを睨みつけていた。春乃は作り笑いをして、手をあれこれ動かしながら言い訳を始める。
「いや、先生っていうのは旦ノ島先生じゃなくて、社会の浦山先生の事です!!はい!!」
開も後に続く。
「そうです!浦山先生の、説教がワンパターンで鬱陶しいって!いってたんでですようう!!」
「ん?あぁ、そうか浦山先生は確かに、頭が可笑しいな。うん疑って悪かった、うん。日直の仕事頑張れよ。」
浦山先生ごめんなさい。
旦ノ島は納得すると、職員室に足を向けた。
開と春乃は、一気に力が抜けてため息をつく。
「開君言い訳うまいね!」
「常に言い訳して生きてる人間だからな」
自分で云った後に、とんでもなく恥ずかしい事を口走ったと目を伏せる。春乃は目を真ん丸にして、くすりと笑った。
「私もそんなんだよ。だからさっきとか息ぴったりだったよね!」
「あはは、まぁね……。」
「そーいえばさっ、」
「うん?」
「開君今日どうしたの?」
当然行き着く答えだ。
しかし、開が着目したのはその質問ではなく、こちらを凝視する春乃の態度についてだ。
春乃は両手を後ろに組んで開を見つめた。思えば暫く、女子とこうして面と向かって話した記憶がない。だからか、少し気まずくて開は黒板の周りを雑巾で拭きあげる。心臓がばくばく鳴っていた事に今更気付く。
春乃は続けた。
「私変わりたいんだよね。今の自分が嫌でさ……。だから今日の開君見てビックリした。人ってこんなに一日で変われるんだって。ねぇ、教えて!どうやったの?」
「事情はよくわからないけど、春乃さんは今のままでもいいと思うよ」
「そーゆーあしらいはいいから教えて!」
「ぐぬっ!」
適当に物を言ったのが見抜かれて、開は口を閉じる。手に持つ黒板消しをカタッと、粉受けカバーに投げて開は彼女と向き合う。
「ねぇ!」
「これが元々の俺だよ。今までサボってただけだ。人間変わろうと思っても変われるもんじゃない。だから元から俺の中にこういう俺が居たってだけの話。」
「そういう心意気なのかっ!」
「はい?」
「なるほど!!開君はそうやって考えて、それで変われたんだね!!参考になった!ありがとっ!!」
「いやあの……。」
元からこういう奴です。という理論はどうやら彼女には伝わってくれないらしい。
彼女は開の手を掴む。柔らかい手だ。頬を赤らめ彼女を見つめると目が合う。
「黒板も掃除したし、今日はこの位かな?」
「そー、だね……。」
ほとんど俺がやったんだけどな。
「開君!明日もお願いします!」
「あぁ、いいよ。旦ノ島に云われてるし……」
「じゃあ私帰るね」
「うん、気を付けて」
彼女は華やかな制服のスカートを揺らし、教室を出た。
たった一人の教室で、開は自分の席に着いた。そしてうつ伏せる。
ヤバい、心臓のばくばく止まんなかったぁ。
なんとか冷静さを気取っていた開だが、その心は今にも緊張で弾けそうだったのだ。
「一日でこんなに変わるもんなのか………」
今まで俺はなにやってたんだ。
『青春が勿体ない』
父の言葉を思い出す。そうだ、旦ノ島も父もこれが云いたかったのだ。
「今からでも充分間に合うだろ」
開は立ち上がる。
現在彼は高校二年生。9月。今まで無駄にしてきた青春の全てを、残りの時間で取り戻してやる。そう、何事も自分次第だ。詭弁なんかじゃない。
俺の高校生活は、ここから始まるんだ。