愛色
「……ルーレット」
「トイプードル」トライアングル、トライアル、トリプル、トロール、
「……る、累積赤字」
「ジングルベル」
「……………る、んば」
「バベル」
「……………えっと」
「――はい終了」
「……あの」
思考をやめて声を出す。
「……ちょっと強すぎません?」
「……キミが弱いだけだと思うな」
あれから多少、絆も深まったであろう俺たちは、なにかを話すわけでも、なにかを考えるわけでもなく、なぜか『しりとり』をすることになっていた。ちなみに現在、俺の二連敗中。
「……そうしたら、条件をつけましょう。食べ物のみとか、動物のみとか」
「……なら動物だね」
「……やっべ」
この人が、動物が好きなこと、完全に忘れてた。
だいぶ今の時点でボコボコにされてるのに、その上で相手の土俵とか、負ける未来しか見えないんだけど。
どうにかして三連敗は回避しなければ。
「……………じゃあ、リスザル」
考えた末に、渾身の『る』ぜめが決まった。
「……ルーアンアヒル」
いとも簡単に返された。
「……誰?」
「詳しくは知らないけど、食用のアヒルらしいよ。フランス地方の」
そんなの普通、知らないと思います。
ていうか、アヒルって食べられるんだ。とてもじゃないけど、そういう外見には。
「それと、次、『る』だけど」
止められた思考に止まった思考。
「……………あの」
「――はい終了」
容赦なく鳴らされるゴング。安定の三連敗。
「……あの、『る』ぜめとか、そういうのやめません?」
「……今のは、キミも人のこと言えないじゃんか」
ぐうの音も出ない反論。ここまで来ると、もはや自分が情けなくなってきた。
「……とにかく。そういうのはダメですからね、行きますよ。倫理」
「……………流派」
「……派閥」
「……………つけ焼刃」
「……バイク」
「……………葛の葉」
「……だから」
強引に中断する。これは審議の対象に。
「……『は』ぜめじゃないよ。ちゃんと途中、『ば』も入れてるから」
かい潜られた。なんなの、その、合法ですよ、みたいな言い分。
「……じゃあ、歯」
「鼻血」
「……じ、じ」
「――はい終了」
「……え?」
強引に打ち切られる。わけもわからず戸惑っていると。
「……『ぢ(ちにてんてん)』から始まる言葉、今の日本語にはないから」
「……………」
ただのずるだった。
ていうか、そんなことがあっていいのかよ。
このゲームに必勝法なんかあったらダメだろ。
それがあるのは最悪、仕方ないにしても、わかった上で使ったらダメだろ。
……ちょっと待った。
もしかして『は』をちらつかせたのは、そのための布石、とか。あえて鼻血に誘導するためのフェイク、とか。
「……プロじゃないですか」
そんな俺の一言に、さすがの空木さんも、彼女なりのドヤ顔を見せてきた。
……いや違う。流されるな。
こんなものは俺が知ってる『しりとり』じゃない。
俺がやりたい『しりとり』は、こんなのじゃない。
「……そういうのもなしです。いいですね?」
食い気味に確認すると、空木さんは呆れたように表情を曇らす。
「……キミって意外と負けず嫌い?」
「……どっちが、だ」
たかだか『しりとり』に必勝法まで持ち出してくるような、そんな人にだけは言われたくないんですけど。
「……俺は、純粋に楽しみたいんです。勝ち負けなんかは二の次でいいんです」
「……リスザル使ってたけどね」
「……いやあれは、なんか、ちょっと悔しかったから」
そう考えると俺も、あながち否定もできないのか。
それにしても意外だった。
そういう勝負事には、無頓着だってイメージを、なんとなくで彼女に抱いてたから。
「……思えば、俺たちって相手のこと、ほとんど知りませんね」
あれだけいろんなことがあったのに。
「……そうだね。つい最近か、出会ったのも」
あれだけいろんなことを話したのに。
「……自己紹介でもします?」
「……今更?」
こんなところまで立ち返るのは、なんだかとても、俺らしかった。
「……ないですか? なんか、俺について気になること、みたいな」
言っておきながら、彼女に丸ごと、放り投げるような形になってしまったけど。
「……そういえば」
悩むような仕草のあと、ふと思い出したように呟いた、それは。
「……キミは未練ないの?」
いつだったか、俺が聞いたことのある質問だった。
「……未練、ですか」
そんなのは正直、考えたこともなかったけど。
ひとつやふたつはあるだろうと、記憶を探ってみても。
浮き上がってくるのは、しがない思い出だけだ。
「……ぱっとは出てこなかったんですけど」
だから、たまたま視界に入った、彼女の腕に抱えられている黒い毛玉を指して言う。
「……そいつを助けてやれなかったこと、かな」
そんな若干、すかした一言に、我ながらカッコいいと思ってしまった。
「……そういうことじゃないんだけどな」
「……じゃあ、なんか考えておきます。適当に」
着飾らない言葉。ただ、ある意味では素朴な会話。それだけだったのに、こぼれ出たのは、柔らかい微笑み。
依然、彼女の表情に変化はない。でも多分、この気持ちは分かち合えているはずだ。
それが今は、妙に嬉しかった。
「……あの、俺も聞いていいですか?」
どうせならと、この流れに乗って切り込んでいく。
「……なんで動物、好きになったんです?」
たしか、俺たちが出会った時のことだったと思う。
『……動物は嘘、つかないから』
あれは多分、高校時代の出来事が原因なんだろうけど。
「……初めての友達が動物だったんだよ」
そのキッカケは、どうしても別のところにあるような気がしてならなかった。
「……小学校のはじめとか、本当に友達いなかったんだけど、たまたま連れて行ってくれた動物園で、触れ合いコーナーのリスに懐かれちゃって。ちっちゃくて、かわいくて、それに動物たちが相手なら、話し掛ける必要もなかったからさ」
ずいぶんと饒舌に語ってくれているような気がする。それほど、彼女にとっては大切な思い出なんだろうか。
……ていうか、言うほど会話が苦手には見えないんだけどな。
俺とは普通に話してくれる。なんなら話し掛けてくれる。無理をしてる様子もなければ、わざわざ気を遣ってるとも思えない。
もしかすると、俺と出会ったから、とか。
「……地球上にいる、すべての人と友達になること」
不意に、なにかを呟く空木さん。
「……ちいさい頃の、私の夢」
その視線は、その声は、懐かしんでいるのか、恥じているのか、いずれにしても、ただ一点だけを捉えていた。
「……人間、変わっちゃうものだね」
「……まったくです」
きっと彼女は、変わりたかったわけじゃないんだろう。
誰だって一人でいるよりは、誰かといた方が楽しいものだ。
それでも、現実が現実だった。変わらざるを得なかった。
その点に関して言うなら、俺も、他人事にはできないんだろうけど。
「……キミは、正義の味方とか、そんな感じ?」
「……合ってるといえば、合ってるん、ですけど」
わずかに言い淀む。
「……なんか、悪い大人を、ボコボコにする、系の?」
もっとも、彼女と違って俺の場合は、変わってくれてよかったと思う。
「……変わっちゃうものだね」
「……はは」
世界は常に変わっていく。
それに伴って人間も、少しずつ、少しずつ、変わっていく。
俺たちが、その変化とやらを望まなくても、世界が変わるのであれば、容赦なく呑み込まれてしまう。それでも拒み続けようものなら、俺たちみたいに、世界から弾かれる。他人のことだけを考え続けた、こんな俺らですら、世界から見捨てられる。変化を受けるのか、変化を拒むのか、どちらがいいのかは、俺にはわからない、だけど。
だったら、今の俺たちはどうだ。
「……なにかしませんか?」
そこにいるのは、無邪気な少女。
「……なにかっていうのは?」
そこにいるのは、無垢な少年。
「……たとえば、ほら、世界一周とか、人類探索とか、あと楽園建設とか、そういう大それたこと」
それは雲のような。
「……ちょっと、方向性は違うかもしれないけど」
それは雪のような。
「――私は、世界の謎を解き明かしたい」
それは星々のような、こころの色。
「……それが今の、私の夢、かな」
「……素敵だと思います」
それは夜のような。
「……キミは?」
それは影のような。
「……じゃあ俺は、空木さんを笑顔にしたい」
それは宇宙のような、こころの色。
「ご立派な夢ですこと」
「そうでしょう?」
透き通った空気。
透き通った空間。
透き通った空色。
世界は、いつまでも変わらない。
俺たちは、たいして変われない。
もしかしたら、この世界は、俺たちだけのためにあるのかもしれないなと、そんな風に思った。
「……よっしゃ。そういうわけですから、とりあえず、しりとりの続きでも」
「――七星くんさ」
遮られる言葉。振り向くと、空木さんの視線は、別のところに向けられているようだった。
「……あそこなんだけど、見えるかな?」
「……え?」
彼女の指した方角、その地平線の向こうから、なにやら黒いものが、ほんのかすかに揺らめいているのが確認できる、けど。
「……見えますよ。一応」
あんなもの、今まであったろうか。
「……なんだと思う?」
うわ、すごい無茶ぶりだ。
……黒いもの。それも、この世界にありそうなもの。
いろいろと、考えを巡らせた挙句。
「……暗黒?」
そんな、わけのわからない結論に至った。
それからしばらく、その暗黒について空木さんと、協議を重ねていくうちに。
「……なんか範囲、広がってません?」
ちょっと怖くなってきた。
「……しかも、こっちに向かって来てるような」
もっと怖くなった。
「……怨霊とか、悪霊とか、その類かな」
「……やめてくださいよ」
「……もしかしたら、世界が狂い始めた、とか」
「……ひとまず、離れませんか?」
「……うん、わかった」
そんなこんなで長らく留まっていた場所を、発とうとした、その時。
「にゃあ」
「……え、サタン!?」
一匹の黒猫が、暗黒の方に向かって駆け出した。
「……俺が追います。空木さんは先に」
「――私も行く!」
珍しく、前のめりになって主張する彼女。
「……わかりました。でも無理はしないように」
こうして俺たちは二人、お騒がせな悪魔を助けることになった。
先陣を切って走る。さすがに、運動で彼女に負ける気はしなかったから、容赦なく全力で差を離していく。
その間にも、ダメだった時の言い訳と、暗黒から逃げる方法について考えるけど、まったくいい案が浮かばない。
……ていうか、あの毛玉、なんであんなに速いんだよ。いつも寛いでるくせに、ぶっ飛ばすぞ。
このままだと十中八九、間に合いはしないだろう。そうなると、あいつが途中で引き返してくれるか、暗黒が害をなすような存在でないことを祈ることしか、手はなくなってしまう。
そもそも、なんであいつは走っていったんだ。
俺たちには、あれがなんなのかもわかってない。それでも動いたってことは、あいつにはなにかが見えていたんじゃないか。
もしくは、なにかを感じていたとか。動物的な本能とか、なにかしらの因縁とか、あとは、俺たちの危機、とか。
……あれは結局、なんなんだ。
だいぶ距離をつめたとは思うんだけど、この位置になっても、その判別はつかない。
ただ、近づいてみてわかった。どうやら暗黒は、空には掛かっていないらしい。広がっているのは地上にだけだ。俺の目線と同じか、それよりも下か、それでいて猫の、あいつの本能を焚きつけるようなもの。
情報は限られてきたはずなのに、あと一歩のはずなのに、まったく答えがわからない。
ていうか、そうこうしているうちに、あいつの姿が見えなくなってしまった。
もしかして暗黒に呑み込まれたんだろうか。嫌な予感が、ふつふつと湧く。
……手遅れかもしれない、だけど、それでも走る。次は助けてやるんだと、そんな、強い意志を持ちながら。
いつの間にか、暗黒は歩みを止めているようだった。
だけど、まともに脳が機能しなくなった俺は、ひたすら向かい続けることを選んだ。
ようやく、すべてを視認できるほどの距離にまで近づいた時。
――そこにあった光景は。
「……………」
「……キミ、速すぎ、だから」
その場にしばらく立ちつくしていると、空木さんが遅れてやってきた。
ぜーはーと呼吸を整えながら顔を上げる。そして彼女は、俺の時と同様、息を呑む。
目前に広がっている、暗黒の正体は。
想像を絶する数の、黒猫の群れだった。
あれだけ青かった世界が純黒に染められる。世界を埋めつくさんとするほど、彼らの影は伸びていく。
その最前列、特段じゃれつく三匹は。
俺たちの関係とは比べられないくらいに、嬉しそうだった。
「……行きましょうか」
「……………うん」
きっと、最初から、俺が助ける必要はなかったんだな。
生きているだけが幸せじゃない。
死んだことが不幸とは限らない。
こころに咲いた、その感情は、とても大きく膨らんでいった。
お騒がせな毛玉たちを背に踵を返す。
家族の楔。親子の絆。
きっとこれこそが、誰にも邪魔できない、真実の愛というやつなんだろう。




