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あい色  作者: しゅうまい
4/9

アイ色


「……あの」

 適当に声を出す。

「……どうですか?」

 その質問に、たいした意図はなかった。

「……なにが?」

 ちょっとした後悔と。

「……芽生えそうですか、恋の方は」

 なにかしらの期待と。

「……ドキドキは、すごくしてる、かな」

(「……俺もです」)

 錯綜する脈動。思考。

 上降する体温。感情。

 わけがわからない、だけど。ひとつ確実なのは、つながれた手から伝わってくる体温は、生前に感じることができなかったものであったこと。

「……これが恋?」

「……多分だけど、違うと思います」

「……理由は?」

「……なんか、もっと明確なんですよ。あ、これが恋か、みたいに」

「……そうなんだ」

 たどたどしい空気。

 たどたどしい質問。

 たどたどしい返答。

 たどたどしい会話。

 そんな二人の間を、沈黙が埋めるのは、自然の摂理だった。

「……キミは、あるの?」

 しばらくして声が飛んでくる。そんな、抽象的な内容に戸惑っていると。

「……あの。だから、恋、とか、したこと」

 なかなかのタブーに触れられかけた。

「……ありますよ。一応、人並み以上には」

 そこそこに無難な返答。だけど、それでは不充分だったのか、なにかを彼女は恥じらいながら、そっと、目を伏せた。

「……それは、その、どんな時に、なっちゃうの?」

 純粋な質問。

「……笑顔です(かな・ですね)」笑顔を見た時。

 そして純粋な返答。

「……誰かの、楽しそうにしてる顔が、嬉しそうな表情が、大好きなんです」

 いたく健全だと俺も思う。

「……それを見た瞬間、なんか、衝動に駆られるっていうか」

 もちろん、それは女性に限った話じゃないけど。

「……この人の笑顔を守るためなら、どんなつらいことでも耐えられだろうなって。この人を笑顔にするためなら、どんなつらいことでも乗り越えていけるなって」

 それでも女性の、それに惹かれてしまうのは、本能だからなんだろうか。

「……そういう気持ちが、多分、恋ってやつなんだと思います」

 だけど、そんな自分も、なんとなく今は誇れるような気がした。

「……なんか、恥ずかしいですね。こういうキザなセリフは」

「……意外だな」

「……え?」

「……そういうこと言うの、慣れてるものだと思ってた」

「……どういう意味ですか?」

「……たくさんの女性を、その舌で口説いてそうだなっていう意味」

「……そんな風に思ってたんですか」

 つき合ってみてから多少、ひずんでしまった二人の距離感。

 今も俺の、おそらく空木さんも、その鼓動は、大きく脈を打っているだろう。

 それでも多分、俺たちの関係性は、大きくは変わっていない。

 つながれた手は、それを証明するのに、ちょうど。

(「愛ってなんだと思う?」)

「……どうして人は、人を、愛するんだと思う?」

 阻まれる思考。いつの間にか、空木さんは通常運転に戻っていた。

「……愛に、理由なんか必要ありませんよ」

「……理由は?」

「……え?」

 それから、俺も。

「……愛、だから?」

 カッコつけようとして失敗する、いつもと変わらないアホのまんまだった。

「……そういう空木さんは、どう思ってるんですか?」

 情けなく思う気持ちを隠そうと話を、ていうか、進歩ないな、俺。

「……難しいよね」

 そんな、同情のような言葉を混じえながら彼女は。

「……私は、こころがあるからだと思う」

 ちゃんとした、自分の意見も口に出す。

「……上手く説明はできないんだけど、こころがないと誰も愛せないっていうか、ほら。ちょうど文字にも、こころが入っているから。愛とか、恋とか」

 なんとなく空木さんにしては、まとまってないような気もしたけど、ともかく言いたいことは伝わった。

 たしかに、ロボットには人を愛せない。殺人鬼、も、誰かを愛するようなイメージはない。反対に、こころのある人なら誰でも、なんなら動物でも、誰かを愛することはできる。あの、さっきから周辺を彷徨っている黒い毛玉も然ることながら、ものによっては、そのために生きている人だって少なくはないはず。

 ……なんか普通だ。え、なんか普通だ。

 いつもだったら、俺の世界を覆してくるような、いい意味で常識から外れたような、どこか小洒落た、なぜか異端じみた、そういう革新的なことを言ってくれるのに。

「……あの」

「……次、キミの番だから」

 めっちゃ遮られた。すんごい逃げられた。

 ……こんな一面もあるのか、空木さん。

 ていうか、当然だろうな。そんなものが毎度のように出てきたら、それはもう人間じゃないと思う。猫型の、それ的なやつだ。

 それに、恋をしたことがないなら、わからないのも無理はないかもしれない。そうか、だから聞いてきたのか、納得した。

 ……期待してくれているんだろうか。

 だったら是が非でも応えなければ。

「……アイーン」

「……ん?」

 えっと、自分でも想定外の言葉が出た。

「……ちょっと考えてもいいですか」

「……期待はしないでおこうかな」

 なにやってんだ、俺。

 なにしてんだ、俺。

 なんてバカなんだ、俺は。

 ……考えるか。

 だけど、なんだかんだ、彼女の意見は正論だと思う。

 たとえば、俺が誰かのことを好きになったとする。じゃあ、どこが、とか、なにが、とか、好きになった理由を求められたら。まあ、俺は笑顔って返すけど、人によっては、なんとなくでとか、気づいた時にはとか、理由たる理由が見つからないこともある。その場合、こころが、そういう風に認識してしまったからとしか説明のしようがない。俺の場合だって実際、俺のこころが笑顔を好いているから、と言われてしまえば、それまでだ。

 ……なんで逆に、人は、誰かを愛してしまうんだろう。

『……愛だから?』

 ……やかましいわ。

 ていうか、わざわざ誰かを愛する必要ってあるのかな。

 誰かと一緒にいたいなら、恋とか愛は必要ない。

 子孫を残したいだけなら、恋とか愛は必要ない。

 それでも人は、動物は、誰かへ愛することをやめない。

 そこに、こころの有無が関係してるとは正直、思えない。

 ……こういうのは、考えたところでわからないんだけど。

 だったら、なんで彼女は。

「……あの」

 思い切って聞くことに。

「……さっきのとは関係ないんですけど、なんで恋なんですか?」

 俺の言葉が足りなかったのか、わずかに空木さんの首が傾く。

「……いやなんか、もっとほかにも探せばあったんじゃないのかなって。恋なんか、そこまで未練に感じる必要もないんじゃないかと思って」

 そんなことを、他人である俺が決める筋合いはないんだろうけど。

「……なんでだろうね」

 なにかを馳せるように、遠くの方を見つめる彼女。

「……確かめたかったんじゃないのかな」

 まるで他人事かと思えるほど、その表情は変わらないまま。

「……こんな私にも、こころがあるのかどうか」

 そうして告げたのは、ごく至って単純な疑問だった。

 ……ああ、だからなのか。

 自分は恋をしたことがないから。でも普通の人は恋をしたことがあるから。その違いを彼女は、こころの有無だと思った。それだけが動機だったら、内容も薄くはなるだろう。

 ていうか、そんなに思い悩むほどかな。

 こっちから見てる分には感じるのに。

 ……だけど。

 それを言葉にして伝えるには、どうすればいい。

 それを彼女に届けるためには、どうすればいい。

「……キミは?」

 すっと、俺の方に向けられる視線。

「どうして私と、つき合おうと思ったの?」

 そう言われて理由を思い返す、だけど。

「幸せにしたかったから」

 なぜか、とんでもないことを口にしていた。

「えっと、なんて言ったら、なんか、空木さんの表情、ほとんど変わらないじゃないですか。だから、恋とか愛とか抜きにしても、どうにか笑顔にしてあげたいなって、どうにか幸せにしてあげたいなって、じゃあ、未練くらいなら晴らしてやれるかもって、それで」

 誤解させないようにと奮闘するうちに、ふと、閃く。

「……それだ」

 ぱっと、浮かんだのは『幸せ』の二文字。

「……ちょっと待ってください?」

 自分なりに、言葉をまとめていく。

「……こころがある人なら誰でも、幸せを求めてしまう。それを一番、大量に、かつ効率的に満たしてくれるのが、恋とか愛とかなんだと思います」

 こう言葉にしてみると、なんか、まったくロマンチックに聞こえないけど、まあ、そんなもんか。

「……なら、どうして私は誰も」

「……違いますよ」

 ポツリと、たまたま視界に入った、近くをウロウロしている黒い毛玉を指して言う。

「……そいつのこと、好きなんじゃなかったですか?」

「……ていうか、動物が、だけど」

 なんとなく、いつかのやり取りを思い出す。

『……動物は嘘、つかないから』

 思えば、あれはどういう意味だったんだろう。

「でもこれは、そういうのじゃないよ」

 よくわかんないけど、ひとまず。

「……だったら、幸せじゃないんですか?」

 この場はなんとかなりそうな予感が、ふつふつと湧いて出ていた。

「わかんないけど、思いの外、くだらなかったりするんです。三股してるアホとか、三ヶ月で別れるカップルとか、三次元は無理とか言ってるオタクとか、現実にいるのは、こんな人ばっかだから」

 きっと、真実の愛なんてものは存在しないんだと思う。

「所詮、恋とか愛は、幸せを満たすための道具でしかない。相手なんか誰だっていい、些細なことは関係ない、自分の欲望さえ叶えば、それでいい」

 斯く言う俺も、そんなに人のことは言えないわけだけど。

「でも空木さんはそうじゃない」

 気持ちを込めて、声を大にして、言葉を出す。

「こころが綺麗なんですよ。きっと、多分、世界中の誰よりも」

 カッコいいと思ってしまうのは、どうしても惹かれてしまうのは、なによりもの、こころがある証拠じゃないだろうか。

「だから、つき合おうとか提案しときながら、ですけど。恋なんかしなくても、空木さんは、そのままで素敵だと思います」

 話し方も、進め方も、順序も、流れも、結論も。全体的に不具合だらけだったから、もちろん不安はあったけど。

「……キミの方が、ずっと綺麗だ」

 ただ、その声色から察するに、伝えたかったことは伝わったみたいだ。ついでに、なんか褒められたみたいで嬉しかった。

「……どうしますか、恋人ごっこは。続けますか?」

 それなのに。なんだろう、この感じは。

「……ん、大丈夫。多分だけど、もう未練は晴れたから」

 こころも、ちゃんと感じる、にも拘わらず。

「……それに。恋なんかしなくても、私は充分、幸せだった」

 彼女の言葉から、なぜか変な違和感を覚えた。

「……だいたい、こんなのおかしいよ。お互いとも、好きでもないのに」

 俺たちの関係は、あっさりと元に戻った。

「……わかりませんよ? これから俺が、空木さんに惚れてた可能性だってあるんですから」

 つないでいた手は、温もりを残した。

「……ありえないよ」

 だから、違和感の正体は、もっと別のところだ。

「――だって私、笑わないから」

 あたり前だけど、その瞳に、彼女の姿はどこにも映っていなかった。


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