アイ色
「……あの」
適当に声を出す。
「……どうですか?」
その質問に、たいした意図はなかった。
「……なにが?」
ちょっとした後悔と。
「……芽生えそうですか、恋の方は」
なにかしらの期待と。
「……ドキドキは、すごくしてる、かな」
(「……俺もです」)
錯綜する脈動。思考。
上降する体温。感情。
わけがわからない、だけど。ひとつ確実なのは、つながれた手から伝わってくる体温は、生前に感じることができなかったものであったこと。
「……これが恋?」
「……多分だけど、違うと思います」
「……理由は?」
「……なんか、もっと明確なんですよ。あ、これが恋か、みたいに」
「……そうなんだ」
たどたどしい空気。
たどたどしい質問。
たどたどしい返答。
たどたどしい会話。
そんな二人の間を、沈黙が埋めるのは、自然の摂理だった。
「……キミは、あるの?」
しばらくして声が飛んでくる。そんな、抽象的な内容に戸惑っていると。
「……あの。だから、恋、とか、したこと」
なかなかのタブーに触れられかけた。
「……ありますよ。一応、人並み以上には」
そこそこに無難な返答。だけど、それでは不充分だったのか、なにかを彼女は恥じらいながら、そっと、目を伏せた。
「……それは、その、どんな時に、なっちゃうの?」
純粋な質問。
「……笑顔です(かな・ですね)」笑顔を見た時。
そして純粋な返答。
「……誰かの、楽しそうにしてる顔が、嬉しそうな表情が、大好きなんです」
いたく健全だと俺も思う。
「……それを見た瞬間、なんか、衝動に駆られるっていうか」
もちろん、それは女性に限った話じゃないけど。
「……この人の笑顔を守るためなら、どんなつらいことでも耐えられだろうなって。この人を笑顔にするためなら、どんなつらいことでも乗り越えていけるなって」
それでも女性の、それに惹かれてしまうのは、本能だからなんだろうか。
「……そういう気持ちが、多分、恋ってやつなんだと思います」
だけど、そんな自分も、なんとなく今は誇れるような気がした。
「……なんか、恥ずかしいですね。こういうキザなセリフは」
「……意外だな」
「……え?」
「……そういうこと言うの、慣れてるものだと思ってた」
「……どういう意味ですか?」
「……たくさんの女性を、その舌で口説いてそうだなっていう意味」
「……そんな風に思ってたんですか」
つき合ってみてから多少、ひずんでしまった二人の距離感。
今も俺の、おそらく空木さんも、その鼓動は、大きく脈を打っているだろう。
それでも多分、俺たちの関係性は、大きくは変わっていない。
つながれた手は、それを証明するのに、ちょうど。
(「愛ってなんだと思う?」)
「……どうして人は、人を、愛するんだと思う?」
阻まれる思考。いつの間にか、空木さんは通常運転に戻っていた。
「……愛に、理由なんか必要ありませんよ」
「……理由は?」
「……え?」
それから、俺も。
「……愛、だから?」
カッコつけようとして失敗する、いつもと変わらないアホのまんまだった。
「……そういう空木さんは、どう思ってるんですか?」
情けなく思う気持ちを隠そうと話を、ていうか、進歩ないな、俺。
「……難しいよね」
そんな、同情のような言葉を混じえながら彼女は。
「……私は、こころがあるからだと思う」
ちゃんとした、自分の意見も口に出す。
「……上手く説明はできないんだけど、こころがないと誰も愛せないっていうか、ほら。ちょうど文字にも、こころが入っているから。愛とか、恋とか」
なんとなく空木さんにしては、まとまってないような気もしたけど、ともかく言いたいことは伝わった。
たしかに、ロボットには人を愛せない。殺人鬼、も、誰かを愛するようなイメージはない。反対に、こころのある人なら誰でも、なんなら動物でも、誰かを愛することはできる。あの、さっきから周辺を彷徨っている黒い毛玉も然ることながら、ものによっては、そのために生きている人だって少なくはないはず。
……なんか普通だ。え、なんか普通だ。
いつもだったら、俺の世界を覆してくるような、いい意味で常識から外れたような、どこか小洒落た、なぜか異端じみた、そういう革新的なことを言ってくれるのに。
「……あの」
「……次、キミの番だから」
めっちゃ遮られた。すんごい逃げられた。
……こんな一面もあるのか、空木さん。
ていうか、当然だろうな。そんなものが毎度のように出てきたら、それはもう人間じゃないと思う。猫型の、それ的なやつだ。
それに、恋をしたことがないなら、わからないのも無理はないかもしれない。そうか、だから聞いてきたのか、納得した。
……期待してくれているんだろうか。
だったら是が非でも応えなければ。
「……アイーン」
「……ん?」
えっと、自分でも想定外の言葉が出た。
「……ちょっと考えてもいいですか」
「……期待はしないでおこうかな」
なにやってんだ、俺。
なにしてんだ、俺。
なんてバカなんだ、俺は。
……考えるか。
だけど、なんだかんだ、彼女の意見は正論だと思う。
たとえば、俺が誰かのことを好きになったとする。じゃあ、どこが、とか、なにが、とか、好きになった理由を求められたら。まあ、俺は笑顔って返すけど、人によっては、なんとなくでとか、気づいた時にはとか、理由たる理由が見つからないこともある。その場合、こころが、そういう風に認識してしまったからとしか説明のしようがない。俺の場合だって実際、俺のこころが笑顔を好いているから、と言われてしまえば、それまでだ。
……なんで逆に、人は、誰かを愛してしまうんだろう。
『……愛だから?』
……やかましいわ。
ていうか、わざわざ誰かを愛する必要ってあるのかな。
誰かと一緒にいたいなら、恋とか愛は必要ない。
子孫を残したいだけなら、恋とか愛は必要ない。
それでも人は、動物は、誰かへ愛することをやめない。
そこに、こころの有無が関係してるとは正直、思えない。
……こういうのは、考えたところでわからないんだけど。
だったら、なんで彼女は。
「……あの」
思い切って聞くことに。
「……さっきのとは関係ないんですけど、なんで恋なんですか?」
俺の言葉が足りなかったのか、わずかに空木さんの首が傾く。
「……いやなんか、もっとほかにも探せばあったんじゃないのかなって。恋なんか、そこまで未練に感じる必要もないんじゃないかと思って」
そんなことを、他人である俺が決める筋合いはないんだろうけど。
「……なんでだろうね」
なにかを馳せるように、遠くの方を見つめる彼女。
「……確かめたかったんじゃないのかな」
まるで他人事かと思えるほど、その表情は変わらないまま。
「……こんな私にも、こころがあるのかどうか」
そうして告げたのは、ごく至って単純な疑問だった。
……ああ、だからなのか。
自分は恋をしたことがないから。でも普通の人は恋をしたことがあるから。その違いを彼女は、こころの有無だと思った。それだけが動機だったら、内容も薄くはなるだろう。
ていうか、そんなに思い悩むほどかな。
こっちから見てる分には感じるのに。
……だけど。
それを言葉にして伝えるには、どうすればいい。
それを彼女に届けるためには、どうすればいい。
「……キミは?」
すっと、俺の方に向けられる視線。
「どうして私と、つき合おうと思ったの?」
そう言われて理由を思い返す、だけど。
「幸せにしたかったから」
なぜか、とんでもないことを口にしていた。
「えっと、なんて言ったら、なんか、空木さんの表情、ほとんど変わらないじゃないですか。だから、恋とか愛とか抜きにしても、どうにか笑顔にしてあげたいなって、どうにか幸せにしてあげたいなって、じゃあ、未練くらいなら晴らしてやれるかもって、それで」
誤解させないようにと奮闘するうちに、ふと、閃く。
「……それだ」
ぱっと、浮かんだのは『幸せ』の二文字。
「……ちょっと待ってください?」
自分なりに、言葉をまとめていく。
「……こころがある人なら誰でも、幸せを求めてしまう。それを一番、大量に、かつ効率的に満たしてくれるのが、恋とか愛とかなんだと思います」
こう言葉にしてみると、なんか、まったくロマンチックに聞こえないけど、まあ、そんなもんか。
「……なら、どうして私は誰も」
「……違いますよ」
ポツリと、たまたま視界に入った、近くをウロウロしている黒い毛玉を指して言う。
「……そいつのこと、好きなんじゃなかったですか?」
「……ていうか、動物が、だけど」
なんとなく、いつかのやり取りを思い出す。
『……動物は嘘、つかないから』
思えば、あれはどういう意味だったんだろう。
「でもこれは、そういうのじゃないよ」
よくわかんないけど、ひとまず。
「……だったら、幸せじゃないんですか?」
この場はなんとかなりそうな予感が、ふつふつと湧いて出ていた。
「わかんないけど、思いの外、くだらなかったりするんです。三股してるアホとか、三ヶ月で別れるカップルとか、三次元は無理とか言ってるオタクとか、現実にいるのは、こんな人ばっかだから」
きっと、真実の愛なんてものは存在しないんだと思う。
「所詮、恋とか愛は、幸せを満たすための道具でしかない。相手なんか誰だっていい、些細なことは関係ない、自分の欲望さえ叶えば、それでいい」
斯く言う俺も、そんなに人のことは言えないわけだけど。
「でも空木さんはそうじゃない」
気持ちを込めて、声を大にして、言葉を出す。
「こころが綺麗なんですよ。きっと、多分、世界中の誰よりも」
カッコいいと思ってしまうのは、どうしても惹かれてしまうのは、なによりもの、こころがある証拠じゃないだろうか。
「だから、つき合おうとか提案しときながら、ですけど。恋なんかしなくても、空木さんは、そのままで素敵だと思います」
話し方も、進め方も、順序も、流れも、結論も。全体的に不具合だらけだったから、もちろん不安はあったけど。
「……キミの方が、ずっと綺麗だ」
ただ、その声色から察するに、伝えたかったことは伝わったみたいだ。ついでに、なんか褒められたみたいで嬉しかった。
「……どうしますか、恋人ごっこは。続けますか?」
それなのに。なんだろう、この感じは。
「……ん、大丈夫。多分だけど、もう未練は晴れたから」
こころも、ちゃんと感じる、にも拘わらず。
「……それに。恋なんかしなくても、私は充分、幸せだった」
彼女の言葉から、なぜか変な違和感を覚えた。
「……だいたい、こんなのおかしいよ。お互いとも、好きでもないのに」
俺たちの関係は、あっさりと元に戻った。
「……わかりませんよ? これから俺が、空木さんに惚れてた可能性だってあるんですから」
つないでいた手は、温もりを残した。
「……ありえないよ」
だから、違和感の正体は、もっと別のところだ。
「――だって私、笑わないから」
あたり前だけど、その瞳に、彼女の姿はどこにも映っていなかった。




