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あい色  作者: しゅうまい
3/9

相色


 俺と彼女が出会ってから数刻が過ぎた。

 変わらず、二人の間に言葉はない、だけど。

 なぜか不思議と、気まずいとは思わなかった。

 共有し合える沈黙。こころ落ちつく静寂。俺にとっては、その距離感は、その間隔は、すごく新鮮なものだったから。

 ……なんだかとても、居心地がよかった。

 そういった観点から見ても、なにか彼女には、特別な魅力があるんだろうと。

「――名前」

 唐突な発言に思考を止められる。反射的に、声のする方へ体が向かう。

「……この仔、名前は?」

 その先にある、彼女の視線、の、その先には、彼女の膝で寛いでる黒い毛玉の姿が。

「……あ、わかんないです。それは」

 率直に言葉を返す。

「……でも多分、そいつ野良だから、名前とかつけられてないと思いますよ」

 一応の補足。実際のところ、それがどうなのかもわかんないけど。

 思えば、俺がこいつと一緒にいた時間は、空木さんの、それと大差ないのか。なんなら嫌われてる分、懐かれている空木さんよりも少ないはずだ。

 空木さんのことはおろか、俺は、こいつのことも、よく知らないんだな。

「……サタン」

「……ん?」

 彼女の口から、うすぼんやりと聞いたことのある言葉が飛び出す。

「……そいつの名前ですか?」

「……うん。黒猫だから、サタン」

「……なぜ」

 その結論には、どういう思考で至ったんだろうか。

「……ほら、サタンも気に入ってくれてるよ」

「にゃあ」

「……なぜ」

 なんか、どうやらここでは俺が異端のようだ。

 とはいえ、ここに来た経緯を考えると、あながち悪魔というのも間違ってはいないのかもしれない。冗談だけど。

「……空木さんは、動物とか飼ってなかったんですか?」

 この際だから、簡単な質問でもしてみることに。

「……飼えなかった。家、マンションだったから」

 俯きがちに返答する彼女。動物の扱いには慣れてそうだったから、ちょっと意外だった。

「……でも代わりに、動物園には通ってたよ」

「……通ってた?」

 妙に引っ掛かる言い回し。

「……大学生になってからは、ほぼ毎日じゃないかな」

 それは、俺にとっては軽めの衝撃発言だった。

「……そんなに好きなんですか」

「……うん。大学自体、それで選んだようなものだったから」

 それに人生を左右されるレベルなのか。俺には考えられないな。

「……キミは?」

 すっと、俺の方に向けられる視線。

「……なにかなかった? 好きなもの、とか。熱中してたもの、とか。そういうの」

 そう言われて記憶を掘り返す、だけど。

「……特には」

 そう結論づけるのに、さほど多くの時間は要さなかった。

「……強いて言うなら憧れの作家が一人いましたけど、なんだろうな、そういうのとは、なんか違うっていうか」

 なんとなくわかる。きっと俺には、なにもないんだろう。

 なにかに打ち込んだ思い出も、なにかと向き合った思い出も、なにひとつ浮かんでこなかったのは、きっと、その証拠だ。

「……だから、その分、どんなことも楽しんでたんだと思います」

 あまりに都合のいい解釈だけど、それだけは、紛れもない事実だと思った。

 なんでもかんでも楽しめる性格なのは、自分が一番よく知っていたから。

 だってそれは、死んだ今でも変わらないから。

「……羨ましいな」

「……お互い様ですよ。おかげでこちとら、なにも考えないような、後先のことすら考えられないようなバカになっちゃいましたから」

 こぼれ出たのは、ただの嘲笑。

「……私だって似たようなものだけど」

 だけど、そんな笑顔でも。

「……でも、なんかカッコいいじゃないですか」

 なにもないよりは、よっぽどマシに思えた。

「……そういうものかな」

「……そういうものですよ」

 なに気ない言葉。他愛ない会話。それだけだったのに、こぼれ出たのは、さっきのとは違う、なにか。

 なるほど、空木さんが羨むのもわかる気がする。無論、なんとなくだけど。

「……俺もなんか見つけようかな。そういうの」

 ポロリと落ちた前向きな言葉。こんな世界だから、できることは制限されるだろうけど、じっとしているよりかは多分、ずっといいだろう。

「……なら、考え事でもしてみたら?」

「……考え事?」

 よくわからず、疑問を投げ掛けると彼女は、しばらく考えるような仕草を見せてから。

「……あるところに、一人の少年がいました」

 ひとつの物語を話し始めた。

「……その少年は、ひどい虐待を親から受けていましたが、誰にも相談できず泣いていました」

 いまいち呑み込めなかったけど、ひとまず、最後まで聞いてみることに。

「……すると、その姿を見た一人の少女が、いてもたってもいられず、少年の親を殺害しました」

 これは、さっきの一瞬で作ったんだろうか。だとしたら、考え事というのは。

「……キミは、この少女を善人だと思いますか? それとも、悪人だと思いますか?」

 ゆっくりと一呼吸を置く彼女の、その質問でようやく、ことの意味を理解した。

「……………」

 思考を巡らす。

 少女が、少年を助けようとしたこと、これは、おそらく善だ。

 少女が、そのために人を殺めたこと、それは、おそらく悪だ。

 行きすぎた善行。故の悪行。俺が導き出したのは、そんな、曖昧じみた一般論。

「……………」

 じゃあ、ほかの人間はなにをしていた。

 それを善だ悪だ言っている、周りの人間は、いったいなにをしていた。

 ……仮に、俺が少年の立場だったら、どう思うだろう。

 自分の今を救った少女は、自分の親を殺した少女は、それ以外の第三者は、どんな風に映るんだろうか。

「……わかんないけど」

 ぐるぐる回り続ける思考を、強制的に断つ。

「それは、すごく悲しいことだと思います」

 最終的に残ったのは、ただの感情論だった。

「……理由は?」

「……だって誰も、幸せになってないじゃないですか」

 空木さんを貶したいわけじゃないけど、これは、ひどい物語だと思う。

 親は命を落とした。これからの未来を少女は失った。少年には、なにも残らなかった。しかも、すべては少年が引き起こした出来事だ。その罪悪感に、その業に、彼は、耐えられるんだろうか。少なくとも、俺は、絶対に耐えられないと思った。

 だから、論点もズレた上に、あたり前のことしか言えなかったけど。

 今の俺には、そんな返答が精一杯だった。

「生まれながらに悪なんて人は、存在しないんだよ」

 ……彼女は、なにを思っていたのかな。

「虐待に至った親も、衝動に駆られた少女も、それを見ていた少年も。みんな最初は、純粋な子どもだったはず」

 ……どんな気持ちで今の話を、作ったんだろうな。

「なにも悪くない。誰も悪くない。悪いのは全部、彼らを作った、彼らを変えてしまった、社会の、世界の方なのに」

 ……わからないけど、その言葉は、その考え方は、似ている気がした。

「そのことに誰も気づかない。たしかに、それは、すごく悲しいことだと思う」

 ……俺の憧れる、『彼』に、とても。

「……なんか、すごいです」

「……慣れてるから。多少は」

 だからだろう、おかげさまで興味は、一気に持っていかれた。

 いろいろな意味で彼女に近づけたらと、そんな風に思っていた。

「……それに、キミもだよ」

 いつも彼女は、こんなことを考えているんだろうか。

 だとしたら俺も、彼女のようになれるんだろうか。

「……ほかにないんですか? こういうの」

 ほんの若干、食い気味に求めると、彼女は同じように、しばらく考えるような仕草を見せてから。

「……あるところに、一人の少女がいました」

 再度、ひとつの物語を話し始めた。

「……その少女は、不幸にも死んでしまいましたが、気がつくと青空の中に立っていました」

「……ん?」

 思うところはあったけど、ひとまず、最後まで聞いてみることに。

「……すると、そこへ。一人の少年と、一匹の黒猫が、この世界に迷い込んで来ました」

 これは、俺たちのことだろうか。だとしたら、なにを考えることが。

「……キミは、彼らを善人だと思いますか? それとも、悪人だと思いますか?」

 ゆっくりと一呼吸を置いた彼女の、その質問にしばらく、鳥肌が治まらなかった。

「……要するに、ここが天国なのか、はたまた地獄なのか、そういうことですか?」

「……うん。そして私たちは、どうしてここにいるのか」

 もしかしてだけど、この人、マジで作家かなにかだったんじゃ。

「……普通に考えたら天国かと」

 ちょっと意識しすぎたせいで変な口調になってしまった。

「……理由は?」

「……空の上だから?」

 ていうか、なんだ、この会話は。なんでこんなにゴミみたいな。

「そういう空木さんはどうなんですか?」

 情けなく思う気持ちを隠そうと話を逸らす。反面、彼女は、なにを語るのだろうと、そんな期待もあった。

「……どうなんだろうね」

 だから逆に、その、濁すような返答は予想外だった。

「たしかに、空の上なのは間違いないと思うけど、こんな殺風景で面白味のない場所だから、天国と地獄、どっちにも取れるんじゃないかな」

 ……それでも彼女は変わらずに。

「人によっては現実の方が天国だったかもしれない。人によっては現実の方が地獄だったかもしれない。いずれにしても、すごく中途半端なんだよ、この世界は」

 ……淡々と意見を述べていく。

「なら、どうして私たち以外、誰もいないと思う?」

 ……俺に見えている世界の色。

「それだけ善人が少ないのか」

 ……彼女が見ている世界の色。

「それとも悪人が少ないのか」

 ……かすかな差異は思っていた以上にあった。

「そもそもの話、なにが善でなにが悪なのか」

 ……どんな人生を送ったら、こんな風になるんだろうか。

「それは、果たして誰が決めるのか」

 ……どんな人生を送ったら、こんな風になれるんだろうか。

「そして私たちは、いったいどちらに該当するのか」

 ……どんな人生を、彼女は。

「……キミは、どっちだと思う?」

「……ちょっと考えてもいいですか?」

 そう言うと彼女は、快く頷いてくれた。

 ……わかんない。

 もうなんか、のっけから、いろいろとわかんない。

 思うに、完全な悪人なんかいない。

 思うに、完全な善人だっていない。

 そんなことは多分、誰にも決められないはずだ。

 だけど、ここには俺たちしかいない。

 天国でも地獄でもない『あの世』であるなら、ほかに誰もいないのは、確実におかしい。

 ……だから、つまりは。

 なにか、それ以外の可能性があるんじゃないのか。

 善人とか悪人とかじゃない、もっと純然な、ほかの理由が。

 ごちゃごちゃした思考があっちへこっちへ行き交っていく。ぐにゃぐにゃで、わちゃわちゃして、完全に、俺の許容量を越えた、結果。

 ……とりあえず、そういうのは諦めることにした。

「財布が道に落ちてたら、空木さんはどうしますか?」

「……スルーかな」

「外国の人が道に迷ってたら?」

「……スルーかな」

 その人が善人か悪人かを勝手に決める大会。

 名づけて『全国善人選手権』。

 悲しいけど、俺には確実に、こっちの方が性に合ってると思う。

「……真面目に考えてよ」

「……あ、だったら」

 ちょうど、たまたま視界に入った、彼女の膝で安らいでる黒い毛玉を指して言う。

「そいつに向かってトラックがつっこんで来たら?」

 軽快だった返答が止む。

 こんな状況、動物が好きな人からしたら、たまったもんじゃないだろう。そうでなくても普通にたまらないけど。

 そして彼女は、悩んだ末に。

「……………助けるかも、とは、思う」

 いろいろな葛藤を滲ませたような答えを出した。

「……じゃあ、やっぱ天国ですよ」

 どんな人生を、彼女は過ごしたんだろうか。

 どんな人生を、彼女は望んでいたんだろうか。

 そんなことは正直、全然わからないけど、ひとつ言えるのは。

 空木さんが優しい人だってことだ。

「……もっと早くに、キミとは出会いたかった」出会えてたらな。

 清々しい顔で、さわやかな声で、空木さんは言う。

「……未練がある、とか」未練があるとか?

 俺と彼女が出会ってから数刻が過ぎた。

「……あったんですよ。昔、そういうアニメが。死後の学園で少年少女たちが未練を晴らすために戦う、みたいな」

 変わらず、二人の間に変化はない、だから。

「……もしかしたら、天国とか地獄とかよりも、そっちの方が現実的かも」

 なぜか不思議と、気を許せるようになっていた。

「ちなみにありませんか? なにか、生前でやり残したこと、みたいな」

 なぜか不思議と、気を楽にしていた。

「……ないはずだよ。だって」

 なぜか不思議と、気を緩めすぎてしまってた。

「……………恋」

「……え?」

 彼女について俺は、なにもわかってないんだ。

「……恋、してみたかった」

 彼女も俺のことは、なにもわかってないんだ。

「……じゃあ、つき合ってみます?」

「……え?」

 要するに、俺たちは。まだ、お互いのさがをまったく知らない。


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