藍色
気がつくと、藍色の中に立っていた。
視界一面の青空。点々と浮かぶ雲。地平線を境に、それらを鏡のように映す大地。
どこかありふれたような、でも、なぜか目を疑うような、そんな風景が、そこには広がっていた。
……こんな、キレイなものだったろうか。
そこにあって当然だと思っていた。ていうか、そんな風にすら考えたことはなかった。
それがあることに、あたり前の日常に、慣れ切っていた。
だからなんだろうか。俺が知っているはずの空とは、なにか違。
『そういお前わしそれなんでどうかし変なすぎるんマジ大それホ句あんの見やば可嫌が知っかインなにが聞い人のこっちつ……い$。;ひか@&か=*な……ざけ¥°ぬな%<※!……』
……そういうことか。
……死んだんだ、俺。
……しかも。
「にゃあ」
どうやら俺は、人生の意味も、存在の理由も、なにひとつとして残すことができなかったようだ。
「……ごめんな」
いつの間にか抱え込んでいた黒猫を、一回、二回と、優しく撫でる。それを嫌がってか、容赦なく暴れている、そいつの姿が。どうしても、今は痛かった。
「……………」
要するに、ここは『あの世』なんだろう。
死者の集う場所。魂の向かう先。確証はないけど、現在の状況から察するに十中八九、間違いないと思う。
それにしても、『あの世』というものが、こんなに簡素なもんだったとは。そもそも、そんなものが存在するとも思ってなかったけど。
だけど、これだけの絶景も。ほかになにもないと逆に殺風景な感じが。
……ふと、辺りを見渡してみると、視界に一人の女性が映った。
俺たちには気づいていないのか、短い髪をなびかせながら、じっと一点、空だけを見つめている。どこか儚いような、でも、なぜか魅かれるような、その横顔に、どういうわけだか釘づけになってしまった。
「にゃあ」
「……あ」
そんな中、ばっと、腕の中から抜け出した黒猫が、一切の迷いも見せず、一目散に女性のもとへと駆けていく。
「にゃあ」
それに気づいた女性は数秒間、そいつを見つめたあと、ゆっくりと体を屈ませる。そうして抱え込もうとした拍子に、ふっと、俺と視線がぶつかった。
「……えっと、こんにちは」
一瞬、驚いたように目を見開いた女性は、すぐに、その視線を逸らす。
「……うん。こんにちは」
「……なにしてたんですか?」
「……空、見てた」
「……いい天気ですね」
「……そうだね」
ぎこちない空気。
ぎこちない質問。
ぎこちない返答。
ぎこちない会話。
そんな二人の間を、沈黙が埋めるのに、たいした時間は掛からなかった。
「……あの」「――キミは」
しばらくして声が重なる。視線が交わる。ひとまず女性に、軽い会釈で続きを促すと。
「……キミは、どうしてここにいるの?」
なかなかの核心をつつかれた。
「……多分、死んだからだと思います」
あたり障りのない返答。だけど、それで充分だったのか、なにかを彼女は納得したように、そっと、目を伏せた。
「……あなたは?」
俺も、彼女と同じように聞き返す。
「……私も、そんなところかな」
かすかに曖昧な返答。ただ、わずかな疑問を晴らすのには、こちらも充分だった。
「……………」
「……………」
いろいろと、わかんないことだらけだけど。
ひとまず、俺たちは死んでいて。
つまりは、この世界で生きていくしかなくて。
そのためにも、まずは女性とコンタクトを取るべきなわけだ。
……話し掛ける理由としては、ちょっと強引かな。
とはいえ、ほかに頼れるものもない。なんだったら、なにかしら彼女の方だって助けを求めているかもしれない。
「……あの」
視線を戻すと、俺そっちのけで女性は、腕に抱える黒猫を撫で回していた。そいつが、どこか彼女には懐いていることが、ちょっとムカつくけど。
「……好きなんですか?」
「……え?」
会話のキッカケになってくれたのは、個人的にナイスだと思った。
「……猫。お好きなんですか?」
驚くように、俺の方を向いた女性。そしてなぜか、しばらく見つめ合ってから。
「……猫がっていうか、動物が、だけど」
そんなセリフと一緒に、そいつのところへ視線を戻す。
「……動物は、嘘つかないから」
そう呟く彼女の表情は、俺からは見えない。あいつにしか見えていない、だけど。
その声色は。どうにも、悲しそうに聞こえた。
「……俺もですよ」
だから、なにか少しでも、力になれたらなと。いつものように、そんなことを思った。
「……俺も嘘、つきませんよ」
こんな言葉に、価値があるのかはわからないけど。
こんな行動が後押しになるのかは、わからないけど。
それでも、俺は。それ以外に。
「――私も」
「……え?」
わずかに止まる思考。彼女は、目を伏せたまま。
「……私も嘘、ついたことない」
そんな一言を、すっと、声に出した。
「……似たものどうしですね」
「……そうだね」
彼女の言葉に俺は、思わず微笑んでしまった。
そんなことを断言できる人間が、自分以外にいるとは思っていなかったから。
だけど、彼女は、そうじゃないみたいだ。
その声色はともかく、ここからは見えない、その表情は、なんの変化も生じていない気がした。
たったそれだけの動機、だけど。
なぜか、俺は彼女と、もっと話してみたいと思った。
「……あの」「――名前」
再度、重なる声。交わる視線。
「……教えて。キミの名前」
なんとなくでしかないけど、思う。
「……七星です。七星、光」
きっと、重なったのは声だけじゃなかった。
「……あなたは?」
きっと、交わったのは視線だけじゃなかった。
「……空木。空木、陽」
それは今までに、味わったことのない感覚、感情、感動。
……天を仰ぐ。
見上げた先には、希望の藍が広がっていた。




