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氷の女王陛下と炎の宰相閣下

作者: 梅子




 ここは地面に水をかけてもすぐじゅわっと音を立てて煙になってしまう灼熱の地で、今は太陽が真上でギラギラと燃え盛っていた。

 氷の精霊である私は本来暑さにすこぶる弱い。それでも陽の光ごときに負けるつもりはなかった。暑ければ暑いほど、積極的に外へ出て散歩するのは私の日課だった。


「魔族というのは馬鹿の集まりだ」


 向かった先の公園でそんな声を拾ったのは、あまりの熱射に耳を片方溶けさせ始めた頃である。


「利己的で無謀。魔族同士ですらすぐに力を見せつけようとして戦いを吹っかけるくらいだ。その上、争いの理由なんて関係なしに勝者が無条件で偉く、正しい。そんなのだから人間と比べて個体数が少ないし、知略を用いる勇者にも敗けるんだ」


 この独特な語り口は、近所に住む幼馴染のイグニだろうな。

 視線を向けると、案の定、大木を背にしたイグニが犬っころ三匹に囲まれていた。


「はぁ? 意味ワカンねぇーし」

「俺たちに勝てないからって負け惜しみか? イグニは本ばっか読んで貧弱な奴だからな!」

「チビだし、キバもなけりゃ、ツノもない!」

「精霊の僕に獣の牙も角もあるはずないだろう。それと、君たちより背が低いのは僕の方が二つも年下だからだ。そんな相手に三人がかりで難癖をつけてくる方がよほど度量が低く見えるよ」


 別にそういうことが言いたいんじゃないと思うんだけどな。要するに、自分より弱いくせに意見するなってことでしょ。

 途中から聞いてた私ですら分かるのに、イグニって時々馬鹿になるんだよなぁ。あんな奴らさっさと殴って蹴って痛めつければ早いのに。


「イグニのくせして!」


 案の定、真ん中の犬がかっと頬に血を逆上(のぼ)せた。拳を握りこんで、思いっきり叩きつける。イグニは倒れ込み、脇腹を押さえながら咳をしていた。あーあ、また負けちゃったんだ。


「イーグニー!!」


 私は彼の元へ走って、犬っころの頭めがけて思いっきり飛び蹴りを食らわした。「キャン!」と子犬の様に泣いて、一匹が倒れ臥す。


「おまえっ!」


 間髪入れずにもう一匹、顎下から拳で殴り、最後に残った一匹には鼻っ面に思いっきり頭突きした。

 呆気ない。


 イグニの前に立って、仁王立ちで倒れ臥す犬たちを睨む。その内の一匹が、痛めた鼻を押さえながら吠えた。


「フロウ! 何しやがる!」


 私はふんと鼻を鳴らした。


「何って、イグニを庇ってるのよ」

「お前には関係ねぇだろ!」

「関係ないから何? この喧嘩は私の勝ち。さっさとあっちに行って」

「……くっそ」


 この場において一番偉いのは、一番強い私だ。強い者には従う。これが魔族のルールである。


 三匹は悪態をつきながらも、その場を去った。

 私は振り返ってイグニを見る。憮然とした表情を浮かべた彼は、大きくため息をついた。


「……なぜ君がこんな炎天下にいるんだ。いつ溶けても知らないぞ。現に、耳がただれている」

「心臓さえ溶けなきゃ大丈夫だよ。すぐ戻るもん」


 それに、暑いからって引きこもってたらいつまで経っても根性なんてつかない。尊敬するパパの教えだ。


 氷の精霊であるパパは、若い頃にあえて砂漠や火山の下に住んでいたおかげで、ちょっとやそっとの熱じゃ指先ひとつ溶かさなくなったそうだ。

 私が生まれた時も、一族の反対を押し切ってこの常夏の地に越してきた。幼い私に早くから根性を付けたかったらしい。

 おかげで、初めの頃は外に出ると一時間も経たずに溶けていた私も、今はこの通り、ちょっと耳をなくすだけになった。こんな熱気に負けてなるものか、って気合いが大事なのよね。

 パパには感謝している。ママは愛想を尽かして出て行ったけど。


「ほら、落ちてるよ」


 私は遠くに飛ばされたらしい本を拾って、イグニに渡した。きっとあの三人組がからかって投げたんだろう。


「ありがとう」


 立ち上がったイグニはズボンを叩いて砂埃を払った。

 褐色の肌にペタッとした赤い髪と、金色の目――見慣れた幼馴染の顔だけれど、ついまじまじと見てしまう。


 魔族の中でも精霊は特に美しいと言われる種族だ。その中でもイグニは別格だと思う。

 これで喧嘩さえ強ければ、女の子にもモテるだろうに。


 変わり者のイグニはいつも木陰でそうする様に、本を受け取ってページを開いた。

 はっきり言って、何が楽しいのかよく分からない。けれどイグニは、いつだって文字の羅列を読んでは幸せそうにしている。その顔を見るのは、結構好きだ。


 同じ精霊だけど、私は氷の一族で、イグニは炎。性質が正反対だから、こんなにも不思議に思うのかなぁ。

 私はイグニの隣に座り込んで、真剣な横顔をじっと見つめた。

 あ、眉間に皺を寄せた。イグニがため息する。


「……何をしてるんだ?」

「何って、イグニを見てる」

「それは分かっている。何でずっと僕の顔を見てるんだ」

「んー、綺麗だからかなぁ? それに、こうやって近くにいたら守ってあげられるでしょ。せっかくイグニが楽しそうに読書してるのに、またあいつらみたいなのが来たら、すぐぼこぼこにされちゃうし」


 思うがままを口にすると、イグニは不快そうに眉をひそめた。


「僕を弱いと思うか」

「うん」


 私は素直に頷いた。

 だってイグニは、昔から喧嘩に勝ったことがない。いつもやられる側。

 元々、精霊は魔法が得意な種族だ。子どもの内はどうしたって肉体的に優れた種族の方が強い。ただ、それを差し引いても、イグニは充分弱いと思う。


「でも、喧嘩ならイグニの分まで私が勝てばそれでいいと思うよ。氷と炎って相性最悪だけど、イグニのことは好きだもん」

「……僕は君の、そういう所が嫌いだ」


 私はびっくりして目を見開いた。イグニがそんな風に言うのははじめてのことだった。


「君の性質は魔族の典型だよ。優しく見える分、もっと残酷だ」

「そりゃ、魔族だもん……」


 イグニの言う意味が分からなくて、私は首を傾げた。彼はまたはぁ、とため息をついて、読書を再開する。


 私を典型的と言うイグニは、きっと魔族らしからぬ魔族なのだろう。それってつまり、人間ぽいということだろうか。


 頭は良いけれど、時々すごく愚か。ルールにがんじがらめで、体も心も弱くて、すぐに群れる。

 当てはまる様な、当てはまらない様な。


「――ねぇ、イグニ」

「……なんだ」

「私のこと嫌いなの?」

「………………嫌いじゃないよ」

「なんだ、良かった」


 結局その日、私はイグニと家に帰るまで、ずっと隣にいた。

 その間にすっかりお昼寝までして気を抜いちゃったからか、右耳と右手の半分くらいを溶かして、戻すのにちょっと苦労した。






 その年の、ひときわ暑い夜――。獰猛な野盗が私たちの村を襲った。


 殺戮と略奪を楽しむ魔族の集団はたちが悪い。人間も同族も見境がないからだ。


 熊のおじさんも、蛇のおばさんも、虚を突かれてか大した苦もなく倒された。

 村には炎が回り、私の肌もちりちりと焼ける様な痛みを感じる。このくらいじゃ溶けたりはしないけど、不快は不快だ。


 私はイグニと一緒に逃げていた。パパたちみたいに戦いに行っても良かったけど、そうしたらイグニが一人になってしまう。

 いつもの公園の木陰へ身を隠すと、近くには同じ様に逃げて来た魔族たちの気配がした。

 多分、まだ子どもと言われる年頃の子ばかりだ。茂みの奥や木の上に登って隠れている。


 イグニは息を整えると、木の枝を拾って地面に何かを書き始めた。私は立ったまま、その模様をじっと見つめる。


「野盗は、多分こことここから入って来たんだ」


 ぶつぶつ呟きながらちょっと離れた位置に二つのバツをつける。


「僕が見た限りだと、魔狼族が三人、ここにいた。フロウは他に見なかったか?」

「目では何にも。ここら辺から音はしていたかなぁ」


 一つ一つ確認しながら、イグニはバツを増やしていく。

 やがていらいらしたように髪を掻きむしって、「辺りにいる奴らをみんな集めてくれ。情報を集めたい」と顔も見ずに頼んできた。

 意味が分からなかったけど、その横顔は真剣だ。


 私は頷いて、気配がする方を覗いては、隠れている子たちに片っ端から声をかけた。顔馴染みもいたし、あまり親しくない子もいる。よくイグニに突っかかる魔犬族の三つ子も居た。


「フロウがそう言うなら……」


 イグニの言葉を伝えればみんな不可解な顔をしたけれど、そう言って頷いた、この中で一番強いのは私。強い者に従うのは魔族の本能だもん。


 今、大きな木の陰には子どもたちばかりが二十人程集まっている。その中心にいるのが、イグニだ。


 彼らの話を聞きながら、イグニは野盗がいた位置にバツを書いていく。やがて出来上がった地図を見下ろして、イグニは言った。


「野盗は魔狼族の群れだろう。数は多くて五十程度。魔狼族は魔族の中でも集団意識は高い一族だ。二人から四人の小さなグループを作って分散している……」

「だ、だから何なんだよ」

「闇雲に動いたって、すぐに近くの仲間が来てしまう。集団には集団で対抗しないと無謀だ」

「よく分からないけど、あいつらを倒せるのか?」

「え、倒すの? 安全なところに逃げようよぅ……」

「……逃げるにも、戦うにも、まとまって動いた方が良いことは確かだよ。集団の生存率を上げる為にはね。ただ……どちらにするかを決めるのはフロウだ」


 イグニは地面から目を離して真っ直ぐに私を見た。


「君にしか決められないんだ」


 もう一度、憂うように呟く。思わず息を飲むくらい、彼の金色の目が力強く光っていた。


「君は誰よりも強い。きっと、本気で戦えば大人よりもすごいはずだ。君が鍵になる。その分……誰よりも君が危ない目に遭いやすいだろう。だから、決めるのは君しかいない。ここから逃げるのか、戦うのか」


 そんなこと言われても……。私は周りの子達を見回した。

 好戦的なのもいれば、臆病なのもいる。どうするかなんて彼ら自身が決めれば良いと思うのに、みんなが私の言葉を待っている。

 思わずため息がもれた。


「……イグニが手伝ってくれるよね?」

「もちろんだ」


 金色の目を見つめ返すと、彼は力強く頷いた。じゃあ、決めちゃうからね。


「追われるのは性に合わないな。どうせなら、野盗なんてみんなぶっ飛ばしちゃいたい」


 そう言うと、イグニは見たことないくらい、不敵に笑った。






 イグニがたてた作戦は、ごくごくシンプルなものだった。


 敵の数が少ない所から、静かに、一斉にボコる。


 ただそれだけ。

 生きてる大人に出会ったら協力を求めて、やっぱり集団でボコる。


「これくらいなら、私たちにも出来そうだね」


 どんな難しいことを言われるのかと思ってヒヤヒヤしていた私は、ほっと胸をなで下ろした。


「出来ないことを作戦立てる訳がないだろ。……この村は異種族の集まりだから、野盗にだってほとんど一人か、せいぜい夫婦で襲いかかる奴らしかいない。けど、相手は四人がかりで来るんだから最低限それを上回る数は必要だ」


 そんなものかな。私にはよくわからない。だって、喧嘩の最中に味方がいたら、誰を殴ったら良いのかとか咄嗟に判断できないんじゃない?

 いつも一緒の三つ子たちはともかく、そんな面倒なことを考えるくらいなら、一人の方が楽だって思っちゃう。

 そう言うと、イグニは首を横に振った。


「相手は戦い慣れた野盗だ。変化(へんげ)もするだろうし、武器も持っている。頼むから先走ったことは止めてくれ」

「……分かった。頑張るよ」


 魔兎族の女の子が耳を澄ませながら、野盗の気配が少ない方を探り当てる。

 彼女の示す方向へ向かいながら、私はぱたぱたと手で顔を仰いだ。それにしても暑い。燃え盛る炎の中に突っ込んで行ったパパ、溶けていないといいけど。


 ――私たちは公園のすぐ近くにある家の裏へ回った。

 夜目にも、蔵を漁っている男が一人見える。変化している様で、見た目は二足歩行の巨大な狼そのものだ。

 どうやら仲間は別の家を荒らしているらしく、男とは少し離れた位置にいた。


「今だ」


 イグニの合図で、まずは私が飛び出した。静かに、と念を押されてたから、素早く近づいて、首の後ろを思いっきり蹴る。直後に三つ子が牙を立てて、男の足を噛んだ。


「ぐあっ!!」


 声をあげて男が倒れた。そこを、木の棒を持った子達でぼこぼこにする。

 その内の一人が武器を奪い取って私にくれた。小さな短剣だ。


「なんだ!?」


 握った感触を確かめる間も無く、男の仲間が騒ぎを嗅ぎつけて様子を見に来た。そいつへ、今度は正面から斬りかかる。


「このっ!」


 私の二倍は軽くある大人の狼。その分、剣の振りが大きくて、懐に入るのは簡単だった。

 わき腹に短剣を突きたてる。痛がる男の手首を間髪入れずに蹴り上げ剣を弾いた。

 剣を拾ったのは、イグニだ。私たちの身長くらいありそうなのに、しっかりと握って、男にとどめを刺す。


 ……これが、イグニの言った集団で戦うってことなのかな。

 熊のおじさんも蛇のおばさんもやられていたのに、私たちはみんなで野盗を倒した。力を合わせた方が強いって、こういうことか。はじめて飲み込めた気がする。


 私たちはイグニの指示通り動いた。途中で大人たちも合流して、子どもばかり二十人くらいだったのが、三十近くになった時。


 笛の音が鳴って、野盗たちは消えていった。取るものを取って満足したのか、恐れをなして逃げたのか。

 どちらにせよ、もう敵はいない。


 三つ子が吠えて、他の子達もそれぞれ叫び、喜んだ。

 イグニは少し嬉しそうに口角を上げただけだった。


 私たちが倒したのは、せいぜい五人くらい。それが多いのか少ないのかはよく分からない。

 けれど、私たちは何人か怪我をしただけで、死んだ子はいない。みんな無事に、それぞれが家のあった場所へ帰っていった。

 私も、イグニと一緒に帰る。


 辺りの火はまだ鎮まる気配がない。家が燃えていたら面倒だな……なんて考えていたら、ちょっと離れたところで氷の塊が現れた。

 多分、パパが火を消すのに魔法を使ったんだと思う。良かった、溶けずに生きていたんだ。


「フロウ、行ってみよう」


 イグニが私の手を掴んで走り出した。パパは、家の近くにあるリィンの樹ごと氷漬けにして、火を消していたらしい。


「パパ!」


 駆け寄ろうと思ってさらに速く走る。同時に、背後でごとん、と嫌な音がした。

 振り返ると、イグニが目を丸くして私の手を抱えている。私の身体を見れば、肩から先がない。


 どうやら私の右手が溶けて取れてしまった様だ。

 関節の繋がりが脆くなっていたところで、手を繋いでいたイグニより急に速く走ったから、その衝撃で外れちゃったのかな。

 取れた右手の断面は氷みたいになっている。


「フロウ、無事だったか」


 パパが私たちの元まで見て、おや、と片眉を上げる。


「なんとまぁ、手が溶けたのか。これしきの炎で……まだ根性が足りないな」

「違うよ、さっきまでどこも何ともなかったもん」

「フロウ……これ、どうしたらいい?」


 イグニがおずおずと私に手を差し出して来た。


「そこら辺に捨てていいよ」


 溶け落ちたものを持ってても仕方がないし。

 そう言うと、イグニは微妙な顔をする。


「君は……それで良いのか?」

「良いも何も、腕の一本くらいすぐに生えるもん」

「それはそうかもしれないが、自分の手だぞ?」

「もうただの氷だよ。……こういう感覚、炎の精霊にはあんまりないのかな?」


 私の核となる氷の心臓さえ無事なら、手がもげようと頭を潰されようとちゃんと再生する。

 私はまだ魔法も使えないくらい子どもだから、一晩はかかるけど。それでもいちいち溶けた身体にどうこう思うことはない。


 私は首を傾げた。


「精霊なら、だいたいどんな種族でも似た様なものだと思ってた。……パパ、私変なこと言ってる?」

「いいや、もちろんイグニだって手がなくなってもまた生える。それが精霊族の不老長寿たる所以だからな。ただフロウよ、普通は氷の精霊だって身体を溶かせばショックを受けるもんなんだ。なんせ大抵は雪国にこもっているからそんな経験も根性もない!」


 ガハハ、とパパが豪快に言う。

 イグニはまだ私の手を抱えたまま、複雑そうな顔をしていた。


「それはそうとして……」


 パパはそんなイグニを見て、にやりとほくそ笑んだ。


「どうやら、イグニは一つ大人になった様だ」

「どうしてそう思うの?」


 訝しげにするイグニに変わって、私が尋ねる。パパはぽんぽんと私の頭を撫でた。


「イグニから炎気が溢れている。だからお前の手が溶けたんだよ。村に放たれた様な火に耐えるのは簡単だが、これが魔法による炎やその素になる炎気となると、相当の根性がいる。フロウの手くらい、簡単に無くなるはずだ。イグニは炎の精霊としての本性が目覚めた。魔法もすぐ使える様になるぞ」

「へぇ! イグニ、すごいねっ」


 拍手しようとして、片手しかないことに気づく。代わりにイグニの手にタッチしようとしたら、物凄く嫌そうな顔で避けられた。


「君はっ、今の話を聞いていなかったのか!? 僕に触れると溶けるんだぞ!」

「ちょっとくらい大丈夫だよ。ねぇ?」

「例え溶けようとも、根性を鍛えるいい機会だ」


 うんうん、とパパも頷いた。イグニは「僕の精神衛生上良くないんだ!」と怒鳴る。そのまま、踵を返して帰ってしまった。

 そんなにぷりぷりしなくてもいいのになぁ。


「イグニって変なところで怒るよね。私がいいって言ってるのに」

「心配しているのさ」

「イグニが? 私を?」


 よく分からない、と肩をすくめたら、パパは私の頭をがしがしと撫でた。


「フロウはまだまだ子どもだなぁ」


 まあ、まだ氷気も出ていないしね。


 それとかこれに何の繋がりがあるのかはさっぱりだけど、何となく黙っておいた。一晩に色んなことが起きすぎて、もうどうでも良かったとも言う。





 魔王様がまた勇者に敗けた。


 魔界のはずれにある私たちの村にもその報せはすぐやって来た。

 その時の村人たちが浮かべた、何とも言えない、諦めの様な、がっかりした様な、達観した様な……あの複雑な表情を何と表現すればいいのだろう。


 みんな口では、そうだと思った、いつになったら人間を完全に支配できるのやら、なんて言ってる。でも、新しく魔王様が立つ度に、今度こそは……ってちょっと期待する部分もあるらしい。


 私自身は、今回は三年も保たなかったなぁ、って、それくらいの感想しかないけど……。幼馴染のイグニは、多分誰よりもかっかとしていた。


「大切なのは何故魔王が勇者に敗れるのか、その分析をすることだ!」


 そう言ってずっと本を広げては何かを書き留めている。


 もうすっかり魔法を覚え、背も伸び、声も低くなったイグニだけど、中身は昔とちっとも変わらない。変なことばかり考えている、本の虫。

 この間も、部屋にうず高く積まれた本の山を前に、


「魔族には歴史と知識の重要性を解する者が少なすぎる。だからこれだけしか集まらないんだ……」


 なんて、私からすれば病気の様なことを言っていた。


 ただ、昔みたいにいじめられることはもうない。肉体を成長させ、魔法を操るイグニは強くなっていた。

 それをひけらかすことはないけど、自分より上か下かくらい、魔族なら何となく判断できる。誰が絡みに行ったって、今の彼ならほぼ返り討ちだ。


 元々の綺麗な顔立ちに加えて、強さもこれくらい備えたイグニ。それでも未だ私くらいしか友達がいないのは、やっぱりこの性格が大きいんだろう。


 こんな田舎村で、一人ぶつぶつと勇者に勝つためには……なんて言ってるんだもん。いっそ、町に行って魔王軍に入ったらいいんじゃないかな。

 少なくとも、ここでリィンの樹を育てるよりずっとイグニには合っていると思う。


 ああでも……。前にそう言ったら、思いっきり顔をしかめて、「君はどうなんだ」と聞かれたことがある。


「君は昔から、僕なんかよりよっぽど強いだろう。誰も君には敵わない。魔族として、その力を試してみたいとは思わないのか? あの三つ子たちだって、とっくに村を出たじゃないか」


 あの時私は、なんと返したんだっけ。よく覚えてはいないけど、私の答えがイグニの意に沿わなかったのは確かだ。

 ふてくされた顔をして、「もういい」とそっぽを向かれた。本当にいいとは、これっぽっちも思っていなさそうに。


 あれ以来、私たちは特に変わりなく毎日を過ごしている。イグニは本ばかり読んで、私はパパを手伝ってリィンの樹を育てて。

 魔王様が勇者に敗れたところで、人間がこんな辺境まで攻めてくることもなし。刺激的なこととは程遠い、穏やかな日常だった。


 ――それが崩れたのは、魔王様が倒れてから三月ばかりが過ぎた頃。

 村に、妖艶な美女が現れた。


 美女が歩く度に、金細工と一緒に編み込んで背にたらした黒髪が、しゃらん、と宙に揺れていた。

 しゃらん、しゃらん、しゃらん。

 耳、額、腕、臍、足……浅黒い肌に映える幾つもの装飾は、動くたびにこすれ合って音を鳴らす。


 豊満な胸元を纏う赤い布は金の刺繍が施され、スリットを入れた長く薄いスカートが風にひらりと舞った。まるで官能的な踊り子の様だけれど、それにしては鮮やかな紅い瞳に媚びの光は一切ない。


 突然現れた異邦人に、村人たちは静まり返っていた。誰も声すらかけることなく、美女が通る道を開けて行く。


 リィンの木に水をやり、一息ついて本を読むイグニの側で、私は実を食べていた。丘の上から見下ろす村の喧騒に何事かと思ってぼーっと見ていたら……。


「御前を失礼致します。御名をお聞かせ願えますか?」


 美女は私の前で跪き、そう問うた。


「私? フロウよ」

「フロウ様……氷の精霊族でいらっしゃいますね。(わたくし)はダーリンレイヴと申します。貴女様をお迎えに参りました」


 本から目を上げたイグニが息を飲む。私はその様子を見て、なんだか面倒なことが起こっていることを察した。


「迎えって、どこに?」

「無論、魔王城でございます」

「魔王城? どうして?」

「貴女様が、私の次なる主人にございますので」

「私、あなたとは初めて会うと思うよ?」

「おっしゃる通りございます」


 美女がにっこりと微笑む。とても綺麗な笑顔だけど、変な人だなぁ。

 私はもう一度、リィンの実を頬張って、首を傾げた。


「分からないのか……」


 そう呟いたのは、イグニだ。見れば、なんだか暗い顔をしている。


「君は……君は選ばれたんだよ」

「何に?」

「魔剣にだよ……! 魔剣ダーリンレイヴ!」


 魔剣って……あの魔剣?

 再び美女へ視線を移すと、彼女は変わらぬ笑みを浮かべていた。


「魔剣はただ一人、主人を選ぶ。選ばれた者が魔王だ。君が……君が次の魔王なんだ!」






 魔剣という存在がいつからあるのかは誰にもわからない。


 ただ、持ち主に強大な力を与える不滅の存在に選ばれた者を、いつしか私たちは魔王様として敬った。

 先の魔王様が勇者によって斃れたのは三ヶ月前。未だ新しく王様が決まったなんて話は聞かない。

 

 イグニにすすめられて、私はとりあえず魔剣だという美女を私の家まで連れて行った。

 美女は困った様に眉尻を下げて「まさかこの様な辺境にいらっしゃるとは思わず、お探しするのに少しばかり時がかかりました」と言う。


 パパはため息をつきながら銀色の髪をかきむしった。


「まさかフロウがねぇ。それなりに根性はある奴だが、女が魔王なんて聞いたことねぇや」

「過去には幾人か、お仕え致しましたよ。いずれの方々も精霊族の様に魔法に秀でた種族であられました」

「イグニなら知ってると思うよ。聞いてみたら?」

「興味ねぇよ。第一、そのイグニは何処へ消えたんだ」


 そう言えば、美女を家に入れてから姿を見ない。自分の家に帰ったんだろうか?


「まあいいか。で、都にはいつ行くんだ?」

「フロウ様には、出来るだけ早く魔王城にお越し頂きたく存じます」


 美女は曖昧にそう答えた。


「ご友人や親しくされる方々とのお別れも……名残惜しいでしょうが、早々にすまして頂ければと」

「そりゃまた急な話だな」

「パパは? パパはどうするの? 一緒について来てくれる?」


 そう聞くと、パパはひらひらと手を横に振った。


「フロウ、お前もそろそろ独り立ちする年頃だろ。俺がお前に着いて行ってどうするんだ。俺はここに残るか、また当て所なく旅にでも出るよ。ま、たまには顔くらい見に行ってやる」

「そっか……」


 確かに、私ももう十六になる。自分の身の振り方は自分で決めるべき頃だ。


「でも、さみしいな」

「お前がそんな風に言うとはねぇ……。魔族なら魔族らしく、根性を張って生きろ。ましてや、お前は魔王になるんだろ。勇者なんてぼこぼこにしちまえよ。それでこそ俺の娘だ」

「うん……分かった」


 私は最後にパパの広い胸に飛び込んだ。

 氷の精霊らしく、見た目ばかりは怜悧で繊細な美貌を持つパパ。でも中身は誰よりも熱くって、広くって、大好きなパパ。

 パパの胸も腕も、ひんやりとして心地よい。よく手足なんかを溶かした時は、こうしてパパに冷やしてもらたっけ。


「じゃあ、村のみんなにお別れしてくるね」


 私は笑って、パパの元を離れた。


「おお、行って来い」


 パパが最後に私の髪を撫でる。


「大きくなったもんだ」


 最後にそう、呟いて。





「ねぇ、フロウが次の魔王様になるってほんと?」

「確かに、フロウ程強い奴はここいらじゃ一人もいないけど……それにしても魔王様なんて驚いた」


 家の外には、既にたくさんの村人たちが集まっていた。まだ私は何も言っていないのに、すっかり話が広がっている。


「一体その話をどこで聞いたの?」

「イグニだよ。魔剣様がお前を迎えに来たんだって、そう言ったぞ」

「えらく暗い顔をしていたがなぁ」

「イグニが?」


 言われてみれば、美女が訪ねて来たあの場にいたのは、私とイグニだけだ。話の出所は彼以外あり得ない。


「それで、いつ魔王様になるんだい?」

「フロウなら人間どももきっとこてんぱんだよな。俺、いつか魔王軍に入るから、そん時は取り立ててくれよ」

「いやしかし、フロウが魔王様かぁ。お前も親父さんも、氷の精霊の癖してこんな暑いところに住んでよ。変わりもんだとは思っていたが、まさかこんな大出世をするとはな」

「イグニは寂しがるだろうねぇ。あいつの家族以外、この村で同族はお前さんとこくらいだったし、一番仲良かっただろ。あたしゃー、てっきりこのまんまくっ付くかと思ってたよ」

「炎と氷でか? そりゃちょっと無理があるだろ」


 私は思わずため息を吐いた。あれやこれやと、みんなおしゃべりだ。これ以上付き合ってたら、多分日が暮れる。


「ねぇ、そのイグニはどこに行ったか知ってる?」

「さあねぇ」

「さっきあんたん家から出て来た時は、向こうの方に行ってたけど」


 近所のおばさんが指し示したのは、イグニの家からは反対方向だ。とりあえず、そっちに向かって歩くしかない。


「分かった。どっかで見かけたらまた教えて」

「分かったよ。後で親父さんにうちで採れたクジャの実をやろう。餞別だ」

「じゃ、私もなんか贈ろうかねぇ」

「俺も!」


 魔族が他人に何かをあげるなんて、珍しいこともあるもんだ。みんなよほど浮かれているらしい。

 私はとりあえず「ありがと」と礼を言い、イグニが向かったとかいう方へ足を向けた。


 道なりに真っ直ぐ進めば、リィンの木を植えた農園がある。イグニの家族が所有し、私とパパも手伝って管理する場所。幼い頃から私たちの遊び場でもあった。


 あちこち探したけれど、イグニの気配はない。農園を後にして、更に道を進む。


 行き着いたのは、村に唯一ある公園だった。植えられた木々でちょうど良い日陰があって、ちょっとした遊具も立ち並んでいる。

 昔はここでもよく遊んだけれど、近頃は通り過ぎるだけだ。身体も大きくなって、この手のものじゃもう遊んでも楽しいとは思えない。

 特に、イグニがここより農園で本を読むようになってからは、自然と足も遠のいていた。


「イグニ!」


 私はそこで佇む彼へ声をかけた。イグニは公園の端に立つ大きな木の下で、どこか遠くを見ている。名前を呼んでも、緩慢に振り返るだけ。うんともすんとも言わない。


「こんな所で何してるの?」

「君こそ……何をしに?」

「何って、イグニを探しに来たの。気がついたら居なくなってるんだもん」

「僕を探して、どうするんだ。別れの言葉でも言うつもりか?」


 イグニが乾いた笑みを浮かべた。その目は未だに私を見ない。

 私は首を傾げた。


「イグニ、何だかいつもと違うよ?」

「そりゃ……そうだろ。むしろどうして君がいつも通りなんだ。魔王になるんだぞ? もっと浮かれるとか、不安がるとか、普通ならあるだろう。どうして平常心でいられる」

「そんなことないよ。びっくりしたよ」


 ある日突然、あなたが次の魔王です、って言われて、驚かないはずがない。私だって、こんなの想像したこともなかったんだから。


 そう言うと、イグニは静かに「違うだろ」と首を横に振った。その美貌に陰を落とす。


「君は大して驚いちゃいない。魔王になるっていうのは、もっと……君が感じる以上に大きなことなんだ。けど君は、超然と受け止めている。もっと小さな時からそうだ。君はいつも、何もかもを上から見下ろしているみたいな……側にいればまるで自分が何か卑小な生き物かなにかみたいに、感じることがある。君は誰よりも強い。そう、この世の誰よりも。そしてそのことを、君は本能的に知っているんだ」

「……意味がわからない。私が強いからなんだって言うの?」

「……そういうところだよ、フロウ。君は昔、僕に魔王軍へ入って力を試さないのかと聞いた。でも、それを言うなら君の方がよほどそうするべきだ。僕よりずっと強いんだから。なのに、君は自分のことは棚上げして……。――君は知っていたんだよ、そんなことをしても無駄だと。誰よりも自分が一番強い、時が来れば、向こうの方からやってくる。その時、しかるべき地位に就くんだと……!」

「イグニ?」


 イグニの身体から、炎気が立ち上る。彼は明らかに興奮していた。

 やっと目を合わせたかと思えば……その目つきは鋭い。怒っているのだろうか?


 イグニの炎気を当てられて、肌にちりちりとした痛みを感じる。こんな感覚久しぶりだ。


「ねぇイグニ、落ち着いてよ」

「僕は落ち着いている」

「なら、何を怒っているの?」

「怒ってる訳じゃない。ただ僕は……僕は――」


 イグニがはっと目を見開く。私の指先が、溶け始めたのだ。

 彼の全身から発せられた炎気が瞬く間にしぼむ。同時に、私の肌を焼く様な感覚もなくなった。


「ごめん……」

「別にいいよ。これくらいすぐ戻るもん」


 少し身体に氷気を纏えば、ほんの二、三秒で再生する。家に帰ってから、治せばいい。


 ただ、イグニは落ち込んだ様だ。また俯いて、赤い前髪が目元に陰を作る。


「ねぇ、もう一回話してみてよ。私が魔王様になれるくらい強くて、それを私が知っていたから、なんだって言うの? ちゃんと、私にも分かるように教えて」

「それを、僕に、言わせるのか……」


 イグニがはぁー、とため息を吐いた。その顔は先ほどの興奮の余韻のせいか、何だか赤い。

 彼は「そうだな……ええと……」ともごもご口を動かして、意を決した様に私を見た。


「つまり、僕は……君がいつか魔王になることを、どこかで察していたんだ。君は誰よりも強いから」

「そうなんだ。イグニはやっぱり賢いね」

「でもそうなれば、君は遠くに……本来君がいるべき所へ行ってしまう。この村のことなんて、君は振り返りもしないだろう」

「それが、どうしたの?」

「分からないか? 僕は君に置いて行かれるんだ。それがずっと怖かった。……こんなこと言っても、君は困るだけだろうが……」

「困るというか……」


 私は珍しく言葉に詰まった。

 眉間にしわを寄せると、イグニが不安げに私を見る。


 なんだか、胸の辺りがもやもやした。どうして彼は、そんなことを言うのだろう。どうして、そんな顔をするの。

 ぐるぐる考えてたら、だんだん……無性に、腹が立って来た。


「イグニは、一緒には来てくれないの?」

「え……?」

「イグニは、私が魔王様に選ばれたのにいつも通りだって言ったけど、そんなの、イグニが一緒だと思ってたからだよ。イグニが居てくれたら、何が起きたって大丈夫だもん。なのに、イグニはこの村に残るつもりだったの? 私の手を離しちゃうの?」


 そんなの、想像もしなかった。パパから離れることはあっても、イグニだけは隣にいてくれると、そう思ってたのに。

 私の目に、思いがけず涙が溜まってきた。


「ねぇイグニ、一緒に行こうよ。向こうになら、イグニの好きな本もきっといっぱいあるよ。魔王城がどんなところかは知らないけど、イグニ一人くらいなら住む部屋もあると思う」

「僕は……そんなに強くない。魔王軍に入ったって、君の近くに行けるほどじゃないんだぞ」

「別にいいよ。その分私が強くて、イグニを守ればいいんでしょ。今までと何も変わらないじゃない。イグニは強くなんてなくていい。ただ、あの時の……野盗が村を燃やした時みたいに、どうすれば良いのか教えて。いつも勇者を倒す為には、なんて言ってるじゃない。私と一緒に、やってみようよ」


 最後に、「お願い」と涙を拭って呟く様に言うと、ぎゅう、と力強い腕に抱きすくめられた。


 イグニだった。彼の太い首筋が頬にあたり、赤い髪がすぐ隣にある。両手はぎゅっと背中に回り、私の身体をすっぽりと覆っていた。

 パパの抱擁とは違う、熱さ。心地よさとは無縁で、でも、思わず私の手もイグニにしがみ付いていた。


 どれくらい、そうしていただろう。イグニがそっと、いましめを解いた。私の頬に手を当て、ぐっと顔を覗き込んでくる。


「フロウ……」

「イグニ……」


 お互いに名前を呼んで、そして――


「ごめ……もう限界……」


 私はその場で倒れ込んだ。あまりに熱くて、のぼせてしまったのだ。







「いやぁ~、前々から思ってはいたけど、お前らって前途多難だな」


 パパはからからと笑いながら魔法で氷枕を作ってくれた。


「……何のことですか?」


 イグニが不機嫌そうに鼻にしわを寄せる。


 膝から崩れ落ちた私を何とか抱きとめ、連れ帰ってくれたのはイグニだ。

 何故だかうまく力が入らなくて、自力では中々回復できない。パパは何も言わず私をベッドに寝かせ、氷気を分けてくれた。

 イグニの背に負ぶわれている間も、熱くて熱くて溶けそうだった。


「フロウ様、お加減はいかがでしょうか?」

「明日には戻ると思うよ。そしたら出発でいいの?」

「可能であれば……」

「分かった。じゃあ、明日の朝ね」

「御意にございます」


 美女は嬉しそうに微笑んだ。


「何か持ってくものはあるか?」

「うーん……リィンの実があれば嬉しいな」

「分かった。幾つかもいできてやる」


 パパが笑い、私もつられて微笑んだ。


「あ、それとね、魔剣さん」

「魔剣、で結構でございますよ。何でしょう?」

「魔王城にイグニも連れて行くんだけど、どうにか出来る?」

「致しましょう」


 美女は鷹揚に頷いた。


「私の転移魔法であれば、お連れするのは容易です。城の者へもフロウ様の良人(おっと)として遇する様、先触れを出しておきましょう」

「良人?」


 途端、イグニが顔を真っ赤に染めた。


「違うっ! 僕たちはそういう仲ではない!」

「あら、まあ……そうなのですか? 私てっきり……」

「良人かぁ、そんな風に言われたのは初めてかも」

「では、なんと心得れば良いでしょうか」


 イグニを、なんと、ねぇ……。私は氷枕を額に押しあてながら、考えた。


「んー、友だち? というより、幼馴染? が一番近いかなぁ」

「では、大切な客人としておもてなしすればよろしいですか」

「客人というか……イグニはこう見えてすごく賢いんだ。勇者とも、ただ戦えばいいってことじゃなくて、その前に色々準備をしたり、国そのものを変えていく必要があるって、いつも言ってる。イグニの賢さに助けられたこともあるし、隣にいてくれると、安心出来るの」

「左様にございますか」


 イグニが照れた様にそっぽを向く。パパはにやにや、変な顔をしていた。

 ただ美女だけが、慈愛に満ち溢れた眼差しで微笑んでいる。


「ではイグニ殿は、宰相となられるのですね」

「宰相?」

「魔王陛下を助け、支える一番の忠臣ですよ。フロウ様のお話を聞きますに、ぴったりな役職かと愚考します」

「一番の忠臣かぁ……」


 イグニが配下って言うのは、何だか少し違うけど……うん、いいかもしれない。イグニが支えてくれるのなら、何があってもきっと平気だと思う。


「決めた。イグニを宰相にする。これからもずっと隣に居てね。約束だよ?」

「ああ。力の限りを……――君に、尽くすよ」


 私たちは微笑み合った。イグニなら、全てを任せられる。

 例え勇者が来て、私が倒されるとしても……隣に彼がいてくれるのなら、それも悔いはないと思う。

 イグニのことを信じているし、大好きだから。


 私たち、いい幼馴染だと思う。だからきっと、いい王様と宰相にもなれるんじゃないかな。





 ――事実、私からの全幅の信頼を、イグニは終生裏切らなかった。


 振り返れば決して平かな道のりではなかったと思う。それでも、いくつかの衝突を繰り返しながら、彼はほとんど形だけだった魔族の法を整備して、無駄な同族間の争いを罰した。

 同時に各地からは適切な税を徴収し、軍備を整えて、兵を鍛える。結果、勇者や聖剣との戦いも制し、魔族は久方ぶりの優勢を取り戻した。


 それでも無駄な侵攻はせず、百年、二百年、三百年と時が経ち……やがて私が斃れた時も、彼は側にいた。繋いだ手は決して離されなかった。


 ――氷の女王陛下と、炎の宰相閣下。


 後の魔族たちは、歴史に残る繁栄を敷いた私たちをそう讃えたという。


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