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天然のニート

作者: 村崎羯諦

「ほら、みんなあれを見て。あれがこの動物園の一番の目玉、ニートのジロウくんですよ」


 ガラスの向こうから、ガキの騒ぎ声が聞こえてくる。また来やがったか。俺は舌打ちをしながら、目の前のパソコン画面から声のする方へと視線を移す。そこには顔が四点の女教師とアホ丸出しの小学生どもが興味津々な様子で俺の方を注目していた。


「えー、みんなも知ってる通り、ニートっていうのは働くこともせず、勉強することもせず、あるいは仕事を探そうとも思わない人間のことを言います。昔は世界中に分布してたんだけど、色んな国でニートをやっつけようっていう運動が起きたんです。その結果、ニートは数を減らして、絶滅危惧種っていうとっても珍しい存在になっちゃったんだ」


 教科書の記述をそのまま読んでいるかのような教師の説明を俺は鼻で笑わずにいられなかった。教師なんだから、もっと工夫をしろよ、工夫を。きっと、あの教師も生徒の間ではそんな人気じゃないんだろうな、どうせ。


「そんな珍しいニートが見られるのは、日本でも数えるほどしかありません。しかもですね、ほら、ここの案内板を見てください。なんて書いてありますか」


 女教師に促されるまま、早くも自己顕示が芽生え始めている生意気な小学生の一人が答える。


「天然のニートって書かれてます!」

「そうだね。実はここにいるジロウくんは、動物園で飼育するために育てられた養殖のニートじゃなくて、きちんと自分の意志で働かないことを決めた、天然のニートなんです。これはとっても珍しいことで、日本では、この動物園でしか見ることができません。だからみんな、ちゃんと観察しましょうねー」


 教師の煽りと同時に、ガラス窓の向こうから小学生たちがガヤを浴びせかけてくる。ジロウという俺の名前を叫ぶ声もあれば、小学生らしい低俗な言葉を投げかけてくるやつもいる。俺は気にしないようにと目の前のオンラインゲームに集中しようと考えた。しかし、すぐさま我慢の限界を超え、俺は苛立たしげに床に落ちていた飲みかけのペットボトルをガラス窓の方へ向かって投げつけた。ペットボトルが強化ガラスにぶつかって鈍い音をたて、中身の液体が床に散乱する。小学生たちは俺の怒った姿に対し、面白おかしそうに歓声をあげる。お互いにキャッキャと顔を見合わせる姿がガラス越しに見えた。


「じゃあ、次はテングザルを見に行きましょうか」


 教師の言葉とともに、やっと小学生どもがどこかへ立ち去っていく。俺は怒りに駆られるまま、拳を思いっきり机に叩きつける。こんなはずじゃなかった。俺は何度も何度も繰り返してきた言葉をもう一度口に出す。親が突然死んだりしなければ、親が俺のためにもっと遺産を残しておいておけば、こうして動物園に拉致られ、あんなガキどもの見世物にならずに済んだんだ。こんな生活耐えられない。いつか、俺をいつも馬鹿にしている飼育員の里中をボコボコにして、この部屋から逃げ出してやる。俺は叫び声をあげ、頭をかきむしり、なんとか気持ちを落ち着ける。


 しかし、気持ちを鎮め、再びオンラインゲームに集中しようとしたその時。俺がふとガラスの方へと目を向けると、一人の女が腕を組みこちらを見ているのに気がついた。女は三十代後半くらいの年増で額に皺を寄せながらガラス越しに俺の部屋の中を物色している。ガラス越しに丸見えな部屋。飼育員によって快適な温度湿度に保つために設置された空調機器。壁際に設置されたベッドとマンガ雑誌で埋まった本棚。腰に優しい椅子と、L字型の机と、その上に置かれた一台のPC。もとの俺の部屋を見事に再現したこの部屋を女は一つ一つ舐め回すように観察する。そして、しばらくすると女がこつこつとガラス窓を叩き始めた。


 こちらに来いという合図だろうか。里中からは見物客との交流を禁じられているが、俺がなんだか妙に気になって女に近づいてみる。


「あなた、ここから出たいと思わない?」


 女の口から飛び出してきたのは、そんな言葉だった。挨拶もなしにこの女は何を言っているんだ。俺は怪訝な表情を浮かべたが、女はその変化に気がつくことなく胸ポケットから一枚の名刺を取り出し、その表面をガラスの窓に押し付けた。俺はその名刺に書かれた文言を読み上げる。『全国生物解放協力団体書記長 浅見華』名刺にはそのように書かれてあった。


「私は今、全国で人間の道楽のために自由を奪われた生物を解放する運動を行っているの。こんな非人道的で、前近代的な場所なんて存在しちゃいけないわ。他の動物たちも、あなたも、もっとありのままに生きるべきなのよ。命ある全ての存在が、こんな見世物として生かされ、そのまま死んでいくなんて許されないわ」


 女の口調はさらに熱を帯び、次々と言葉をまくしたてていく。話題は動物園の衛生面から調達方法、しまいにはヒトラーやナチスの話にまで広がっていき、しまいには実存主義、ポスト構造主義とかいう聞いたこともないような単語が俺の耳を通り抜けていった。ようやく女は自分の演説に満足したのか、小さくため息を付き、言葉を止めた。俺は途中から話など聞いていなかったが、女の言わんとしていることはなんとなく理解できた。つまり、ここに不当に閉じ込められた哀れな俺を助けようとしてくれているのだということを。


「明後日の正午ぴったり。その瞬間までに、支度を整えておきなさい」


 女はそれだけを言い残すと、右奥にあるテングザルのコーナーへと歩いていった。俺がガラス窓越しに女の様子を見ていると、女は果物を食べているテングザルに向かって、先程俺にしたものと同じような演説をし始めるのだった。



****




 そして、運命の日の正午がやってきた。いつものように飼育員の里中が持ってきたピザをつまみながら、オンラインゲームに興じていると、突然遠くの方から大きな爆発音が轟いた。続きざまに爆発音があちこちの方向から鳴り響き、少し間を開けて来園客の悲鳴が沸き起こり始めた。俺はガラス窓へと近づき、外の様子を眺めた。園内のあちこちで黒煙が立ち上り、目の前を多くの人間が我先にと出口へ向かって逃げ出している。


 その人混みに続く形で、数多くの動物や鳥が園内を駆け回っていった。俺が左右を見渡すと、怪しい作業服の人間が、動物がいる檻を機械で壊している光景が見える。鉄の檻から解放された彼らは同じように外へと飛び出し、自分を解放してくれた人間に誘導されるがまま、動物園の出口へ向かって駆け出していく。象もキリンもシマウマも、皆が皆自由を勝ち取るチャンスを逃すまいと、血眼になって園の外へと逃亡を試みていた。


 ガチャリ。


 俺の背後で解錠する音が聞こえた。俺が振り返ると、部屋の入り口には、この前の女が立っていた。女の足元には、俺の飼育担当里中が意識を失い、倒れ込んでいた。


「さあ、早く。あなたは自由なのよ」


 そう言うと、扉を開けたまま足早にこの場を去っていく。俺は里中に一発足蹴りをお見舞いし、数年ぶりの外へと飛び出していった。天井のない空。煙ったい空気。悲鳴と喧騒は一段落したようで、園内は動物たちの声しか聞こえない。俺は手にした自由を身体全体で浴びるように、両手を上げ、背筋を思いっきり伸ばした。


 さあ、俺は自由だ。自由なんだ! じゃあ、何をする? その問いが頭に浮かんだ瞬間、俺はふとその場で固まってしまう。


 俺は改めて周囲を見渡した。草食動物だけでなく、恐ろしい肉食動物までもが、運動団体の人間に誘導されるまま園内を駆け回っている。遠くでは人間の叫び声がかすかに聞こえてくる。そして園の外にはさらに多くの人間がいて、その中にはかつて俺を馬鹿にした親戚やいじめっ子もいる。


 俺はふと右斜め前を見た。ちょうど先程檻から解放されたテングザルが欣喜雀躍と園内を飛びまわっている。テングザルの表情は俺の今の表情とは対象的な、晴れ晴れとしたものだった。


 俺は棒立ちのまま、その場に立ちつくす。その時、一陣の北風が吹き込んだ。俺は寒さに身を縮こませ、両腕をさすった。


「……やっぱ、外は寒いな」


 俺は自分に言い聞かせるようにそうつぶやくと、快適で安全で、ガラス窓のついた俺の部屋へと戻っていった。

 

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