Le chat 〜我が家の場合〜
縁側に座って居ると、雪が降り始めた。ここに来てから何度目になるだろうか。恐らく五度目だろう。六度目かも知れない。ともすれば、十を超えさえしようか。
寒い。中に戻って、こたつに入ろう。そう考えた矢先、庭から鳴き声が聞こえた。にゃあ、にゃあ。
「そこに居るのは猫かいな。食いやせんから出ておいで」
出て来たのは、すらりとした脚を持つ三毛猫であった。どうやら人馴れしている様で、直ぐに此方側へ上ってきて私の足に纏わり付いた。
「お前自身は温かろうが、外は寒くなる。暫く此処に居るといい」
猫と言うのは人に比べて体温が僅かに高いらしく、火鉢で暖まるまでの即席湯たんぽとして都合が良い。内側に戻って外と仕切り、こたつに手足を突っ込む。温い。
猫と言えば、元々は犬と同じ祖先を持っていると何かの本で読んだ気がする。愛玩となったのは遥か昔のエジプトで、聖獣としても扱われていた。この国においても例外ではなく、かの紫式部も詠んでいる。
「旦那様、いつものお客さまがお見えです」
「うむ、通せ通せ」
どうせ玄関から此処までは近くない。もう少しのんびりしていよう。
こたつの上で丸くなっていた猫を撫でる。ところで、此奴は飼い猫だろうか野良だろうか。どっちにせよ飼うには相応の準備がいるから面倒臭い。飼うつもりもまだ無い。
「……Je souhaite dans ma maison: Une femme ayant sa raison,Un chat passant parmi les livres,Des amis en toute saison Sans lesquels je ne peux pas vivre」
「ほう、客人たる我を差し置いて一人炬燵でぬくぬくとしおるか」
「……おや、上様」
そこに居たのは、度々此処を訪れる一人である、織田信長その人。いまの我が主人である。
「先程独りごちていたのは何だ?聞いたことも無いが」
「あれですか。あれは、和蘭近くの国の詩人によるものであります。仏蘭西語による物で、題名は確か〈猫〉であったと記憶しております」
「南蛮の詩とな。我は聞いたことがないが、お主のでっち上げでは無いな?」
凄みながら此方に問いかける。嘘を付けば打首とでも言わんばかりの迫力であるが、この方はいつもこうだから問題ない。冷静に返答する。
「この詩は今から三百年後の物故、この日の本はおろか南蛮まで含めても上様が初めて聞いた方になるでしょう」
この返事を聞いて、主人は腹を抱えて呵々大笑した。
「今から三百年後か。お主は何時もそんな話をする。大概、知りもしない過去の話か知る由のない未来の話、さもなければたわいない蘊蓄だ」
「は、はぁ……」
これもいつもの事である。いつの間にか猫は私の方へ降りてきていた。
「お主が抱えているのは猫か。遂に寂しさ相まって、動物を飼い始めたか」
「いえいえ、単なる野良猫でございます。飼うかどうかはまだ考え中で……」
「なんだ、飼い猫では無いのか。まあ良い。此度も何か、話をしてくれるだろうな?」
「上様から押し掛けておいてそれはないでしょう。そうですねぇ……。今日は、猫の話を致しましょうか。ささ、上様もこたつにどうぞ」
ずっと胡座をかいていた主人に、私も入っているこたつを勧める。
「おお。では遠慮なく……やはり炬燵は温いのぅ……」
臣下が主人に同じものを勧めるのはどうかと思われるだろうが、我が主人はこういうお方である。
猫は私の腕を離れ、再びこたつの上で丸くなる。私は主人に猫の話を始める。私の伴侶が茶を汲んでくる。主人は茶を啜りつつ私の話に耳を傾ける。
私が平成の世から流されて早七年、信長に拾われてより既に四年、時は実に天正九年。雪は未来を示すように、着実に降り積もって行った。
私が我が家に望むもの
分別のあるひとりの妻と
本の間を歩きまわる一匹の猫と
彼ら無しではどんな季節も
過ごせない友人たちと。