エピローグ
それから四日後。
学校の屋上で時間を持て余していたトオルは、新しい義体の具合を確かめるようにストレッチを繰り返していた。
「久し振りの義体だから、まだ、しっくりしないなぁ」
義体を失ったあの日。
救難信号を受信したコスモ・ダイレクト社は速やかに新しい宇宙船と義体を用意し、地球に向けて発送したのだが……それらがクレアの元に到着するまで丸三日を要した。その間、トオルの身辺におけるアリバイ偽装は宇宙人二人の記憶操作で補うこととなり、手足のないトオルは『生ける花瓶』として、保子莉宅の留守を預かり過ごすこととなった。
やることもないまま、ひたすら新しい義体を待ち続けた日々。
消化器官を備える体が無いので食べたい物も口にできず、お風呂に至っては幼女の入浴玩具の代わりになっていた辛い毎日。しかも最悪だったのは夏を前に羽化した蚊たちの存在だった。動けないことをいいことに、ここぞとばかりにトオルの血を吸いまっくたのだ。当然、発狂寸前になりながらも、その痒みを我慢し続けた。結果、それはトラウマとなり、今では「プーン」という羽音を聞くだけで、思わずビクついてしまうほど神経質になってしまった。
また当の家主たちといえば……
「動けぬおぬしに付き合っていると、暇を持て余して死んでしまいそうじゃから、わらわたちはいつもどおり学校に行ってくる。なので、留守番を任せたぞ」
と、いつもの保子莉節。
そして実際に留守を預かれば、これほど苦痛なことはなく、クレアにテレビをつけてもらっておいても、それらの悩みは解消されることはなかった。そんな苦労のない苦労を堪え、念願の義体を装着したときは無類の感動を覚えたほどだ。
そして本日。
昼休みの終わり間際。勇気を振り絞って深月に声を掛け、放課後に会う約束を取り交わしたのだ。
「一度は告白して大丈夫だったんだから、二度目も大丈夫さ」
腰が抜けるような緊張感。すでに膝が震え、喉もカラカラに渇いていた。
ちなみに学校が始まった週明け二日間における情報によれば、義体と共に消滅したスマートフォンを、深月は自分の不注意で失くしたものだと思いこみ、新たな機種を購入したとのことだった。それ以外は彼女の身辺に特別な変化はなく、また好きな人が出来たなどという浮ついた噂もない。
——間違ってもフラれることはないさ
と高を括っているところへ、スクールバッグを持った深月が昇降口から現れた。
「敷常くん、お待たせ。もしかして、だいぶ待たせちゃったかな?」
まるでデートに遅れた恋人のような台詞に、トオルの頬が緩んだ。
「い、いや。そ、その……僕も今、来たところだから」
もちろん、ありきたりの常套句だ。
「それで、大事な話って何かしら?」
後ろ手を組んで顔を覗き込んでくる深月に、義体の有機心臓はパンク寸前だった。
——落ち着け。落ち着くんだ、トオル!
そう自身に言い聞かせ、恋い焦がれた想いをありのままにぶつけた。
「おっ、主役さまのご帰還だ」
西日が差し込む教室に戻れば、長二郎の第一声が。それに合わせるように、保子莉も椅子を押し退けて立ち上がった。
「首尾のほどは、どうじゃった?」
朗報を期待して瞳を輝かせる保子莉。それとは対照的に副担任のクレアが複雑な表情を浮かべていた。そんな馴染の顔が並ぶ中で、トオルは半笑いをして告げた。
「言いにくいことなんだけど……その……オッケーはもらえなかったよ」
「えっ、マジ? もしかしてフラれたのかよ?」
「トオルさまぁ。泣きたいのでしたらぁ、クレアの胸の中でぇ思いっ切り泣いてもいいんですよぉ」
予想外の結果に誰もが驚いていた。当人以上に落胆する親友と、涙目で同情するクレア。そして保子莉も沈痛の面持ちで放心していた。
「ありがとう、クレア。うん……まぁ、はっきりフラれたってわけではないんだけどね。今は恋人を作る気分じゃないんだってさ」
当たり障りのない返事。きっと深月なりに気を遣ってのことなのだろう。それを聞いて、保子莉が沈鬱極まったまま椅子に腰を落とす。
「わらわがそそっかしい真似をしたばかりに……申しわけない」
項垂れるおかっぱ頭の保子莉に、トオルも気持ちが折れそうになった。……が、グッと堪えた。
「あんまり気にしないでよ、保子莉さん。もしかしたら、まだチャンスがあるかもしれないんだから」
負け惜しみの混ざる前向きな言葉に、誰もが目を丸くしていた。人が変わったようだ。きっと、そこにいた全員がそう思ったに違いない。
でも、それは強がりだった。しかし、だからと言って、ここでウジウジしても何も始まらないし、自ら一歩を踏み出さなければ何も変わらないし変えられない。
——だから僕は今日から変わるんだ
胸に刻み込むトオルの決意を汲み、保子莉も静かに頷いた。
「結果はともかく、おぬしが納得しているならばこれ以上、とやかく訊くことはするまい」
素っ気ないはずの言葉。それなのに、いつも以上に暖かい言葉だった。
そして保子莉は立ち上がり、スクールバッグを肩に下げた。
「さて、お腹も空いたことだし、そろそろ帰るとするかのぉ」
その帰宅の声に、一同は揃って下校することとなった。
「クレアたぁぁん、待ってくれよぉ!」
「イヤですぅ」
のべ河の遊歩道で追いかけっこをする二人。その背中を、トオルは保子莉と一緒になって眺め見ていた。
「のぉ、トオルよ?」
「ん? 何、保子莉さん」
「やっぱり気になるのじゃが……おぬし、本当にこんな結果で良かったのか?」
「うん。一里塚さんに自分の想いを伝えることができたから、今はそれだけで満足だよ」
決して良い結果とは言えない。だが不思議と後悔はなく、紡いだその言葉は紛れもない本心だった。
「そうか……。おぬしが納得しておるならば、それはそれで構わんのじゃが」
罪の意識を感じて打ち萎れる保子莉に、トオルは言った。
「そんなに気にしないでよ」
「しかしのぉ……」
「失恋したことはともかく、僕は保子莉さんに会えたことに感謝してるんだからさ」
「な、なんじゃ? 急にあらたまって?」
戸惑いの色を浮かべて見上げてくる彼女に、トオルは笑顔で返した。
「今回のことでいろいろと分かったんだよ。長二郎はやっぱり僕の親友だったし、それに……」
「それに?」
トオルは肩から下げていたスクールバッグを抱え直し、背筋を伸ばした。
「それに、こうして自分を変えることができたから、僕としてはそれだけで充分満足だよ」
多少の無理はあるかもしれない。だがそれは気遣いや配慮とかではなく、心の底から湧き出た本音だった。同時に保子莉たちに会えたことにも感謝した。もし保子莉と出会っていなければ、きっといつまでも告白できずにウジウジしていたことだろう。それだけに、今見てる景色が……いや、世界が輝いて見えるのだ。
「確かに……変わったかもしれんな」
そう言ってトオルの腕をグイッと抱き寄せる保子莉。肘に当たる小さな胸の感触に、トオルは顔を赤くしながら訊いた。
「と、突然、どうしたの保子莉さん?」
「そう照れるでない。おぬしにカノジョが出来るまで、わらわが『代理彼女』なってやろうというのじゃ。どうじゃ? わらわのような美少女がカノジョならば不服もあるまい?」
と言いつつ、保子莉も頬を赤らめてはにかんでいた。もちろん美少女からそう言い寄られれば悪い気はしないし、『代理彼女』としては、もったいない存在だろう。それだけにここはひとつ「うん。よろしく」とでも言っておくべきなのだろうか。
しかし、それではつまらない。
「カノジョじゃなくって、猫の間違いでしょ?」
照れ隠しも含めて目一杯な皮肉を言ってみせるトオルに、保子莉も笑壺に入っていた。
「そうかもしれんのぉ」
満面な笑みをこぼすカノジョに、トオルは堪えきれずに朗笑した。
■次回
ねこかんふりーく2/猫耳ネゴシエーション





