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ねこかんふりーく  作者: わごはじめ
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第五章 猫耳カノジョ2

 空がうっすらと白み始めた頃。

 トオルは保子莉宅の丸ちゃぶ台の上で、乾いた笑い声を漏らした。

「あはは……。もぉ、悪い冗談はやめようよ、保子莉さん」

 とは言え、目は笑っていない。いや、笑える心境ではなかった。

 そこへクレアが溶液の入ったガラス容器を用意し、トオルの首にそれを差し込んだ。

「クレアたん。その鉢みたいなのに入っている液体は?」

「栄養剤みたいなものですぅ。首に埋め込んである養分インプラントだけでは二日も生きていられないのでぇ、滋養強壮の補給をこれで補いますですぅ。新しい義体が届くまではぁ、しばらくこのような応急措置をしますですよぉ」

「ふーん、なるほど。……って、見ようによっては、まるで球根栽培みたいだなぁ。そのうち、トオルの頭から花が咲いたりしてな」

 陳腐な発想をして笑う長二郎。だが次の瞬間、すぐに真顔に戻った。

「嘘だよね……嘘だと言ってよ、保子莉さん!」

 正座をして顔を伏せたままの猫娘を、トオルはちゃぶ台越しから見下ろした。

「ほんの冗談じゃ」と、笑って言ってくれることを願っていた。だが彼女の口から紡がれた言葉はあまりにも酷なものだった。

「今、話した事はすべて本当のことじゃ」

 早とちりをした挙句、誤って深月の記憶を消した事実に、トオルは惑乱するばかりだった。

 窮地を逃れ、命からがら地球へと戻って眠りから覚めたら、深月が昨夜のうちに帰宅してしまったというのだから無理もない。

「なんで、そんなことをしたのさ? 僕が告白したはずの記憶が、全部消えたなんて信じられないよ!」

 ゲームのセーブデータが消失したのとは比較にならない過失。そのことは保子莉も重々承知しているようで、床に視線を落としたまま微動だにしない。

「保子莉さんはいつだってそうさ! 好き勝手に判断して動くし……そもそも僕との事故だって、元を正せば保子莉さんのわがままな行動で起こったことだったんでしょ! それでもって、一里塚さんの記憶も勝手に消しちゃうし! どうしてそんなことばかりするのさ!」

 感情任せの叱責。それでも保子莉は一切の反論や弁解をすることもせず、口を閉ざしたままだった。

「黙ってないで、なんとか言ったらどうなのさ! いったい、どう責任を取るのさ!」

 矢継ぎ早に責め寄る訴えに、保子莉の肩がピクリと震えた。だが、それ以上の反応も示さなければ、なんの言葉も返ってこなかった。

「………………」

 長い長い沈黙の中、壁掛け時計の音だけがコチコチと部屋に響き渡る。

「いったい、どうしてくれるのさ?」

 一向に埒が明かない状況に、再度、返答を求めるトオル。すると保子莉は無言のまま立ち上がり、影を引きずるようにして台所の奥へと消えていった。その覇気のない後ろ姿に、トオルはさらなる憤りを覚えた。

 ——謝りもしないで、雲隠れするつもりなのか?

 そんな勝手な解釈をし、彼女の逃亡を許すまいとクレアに協力を請う。

「クレア、保子莉さんを逃がさないで!」

 しかしクレアは従わず

「お嬢さまはぁ、逃げも隠れもしませんですぅ」

「でも……」

「すぐに戻ってきますからぁ、静かに待ちましょう」

 落ち着き払ったクレアの態度に、トオルは反論を唱えることができずにいた。

 ——保子莉さんが戻ってきたら、納得がいくまで詫びを入れさせてやる!

 苛立つ気持ちを抑えて待ち構えていると、すぐに保子莉が現れた。が……

「ほ、保子莉さ……ん?」

 首の付け根からバッサリ切られたおかっぱ頭。その猫娘の姿に、トオルは茫然となった。

 ただ心の読めるクレアだけは、彼女が断髪の覚悟を決めていたことを最初から分かっていたらしく、気然とした態度で保子莉を見つめていた。

 保子莉は切り落とした黒髪の束を掴んだまま正座をすると、ひれ伏すように額を板張りの床に押しつけた。

「……取り返しのつかぬことばかりして、本当に申し訳ないと思うておる。こんなことでトオルの腹が癒えると思うてはおらんが、今はこのような戒めしかできん。…………これで、どうか怒りを収めてはくれまいか?」

 萎れた声で紡ぐ謝罪。首筋から覗かせる白いうなじが、自責の念を物語っていた。

 仮にもし自分が逆の立場だったならば、果たして丸坊主となって謝ることができただろうか。いや……おそらくそのような真似はおろか、自戒することなど微塵も思い浮かばず、ただただ言い訳を並べたて、謝罪を繰り返すだけだったに違いない。しかし目の前の彼女は自尊心を捨てて自らを戒めたのだ。その潔さにトオルは負けた気がしてならず、声を荒げた。

「か、髪を切ったくらいで、ぼ、僕の告白が元に戻るわけないだろっ!」

 間違ってはいない。それなのになぜか負け惜しみのように思うのは気のせいだろうか。カッコ悪くクズなヤツだと自分でも分かっていた。だが、それでもトオルは認めたくなかった。

「そ、そんなことで許されると思ったら大間違い……ぐはっ!?」

 言い切らないうちに、後頭部を貫くような衝撃が走った。同時に威勢良く吹っ飛ばされ、受け身を取ることもままならず、顔面から壁に激突した。

「イタタ……。いったい何が?」

 床に転がったまま視線を持ち上げれば、冷厳な目をして見下す長二郎の姿があった。

「ざけんなよ……トオル」

「な、何すんだよ! 今、僕を後ろから突き飛ばしただろ?」

「違ぇよ! 蹴りだ、蹴り! お前がサイテーだったから蹴り飛ばしたんだよ! 第一、それが保子莉ちゃんに対する態度かよ!」

 そう一喝して、長二郎はトオルを持ち上げた。

「お前なぁ、女の子が大事にしている髪を自分で切るって、どういうことだか分かってんの? ましてや保子莉ちゃんの場合、気分転換とかで切ったのと訳が違うんだぞ」

 もちろんトオルにも、彼女がどんな思いで髪にハサミを入れたのか、想像はできていた。

「で、でも髪はまた伸びてくるじゃないか! だけど、僕の告白は元に戻らないだろ!」

 トオルの主張に、長二郎がため息を吐いた。

「お前とは長い付き合いだけどよぉ、今日ほど情けないお前を見たことねぇよ。マジでイラつくぜ。確かに、お前の言い分もわかる。だけどよ、フラれたわけじゃねぇんだから、もう一回、コクればいいだけのことだろ。それを、いつまでもウジウジとグチってよぉ。あえて言わせてもらうがなぁ、お前、保子莉ちゃんたちと出会わなければ、たぶん一生、ボブ子なんかに告れてないぞ」

「そ、そんなことないさっ!」

「いや、そうなってたさ。素直に行動に移すこともできず、言いたいことも言えないお前の性格だ。少なくとも今の調子では、きっと一生、童貞のままだろうよ」

 突き放すような見識に、トオルも負けじと反論を唱えた。

「ちょ、長二郎こそ中学の時に、俺は童貞を守り続けて、伝説の魔法使いになるんだって言ってたじゃないか!」

 すると長二郎は目を反らし……

「またそんな古い話を……。悪りいなトオル。俺、もう魔法使いになれないから」

 すでに経験済みを打ち明ける親友に、トオルは驚きを隠せなかった。

「とにかくだ。魔法使いになりたくなければ、もう一回告ればいいじゃんよ」

 確かに魔法使いにはなりたくなかった。だが、もう一度あのような勇気が湧くだろうか。

「ケジメをつけた保子莉ちゃんに、いつまでも文句をタレてても何も変わらねぇんだし、ここらへんで赦すことができる人間になっても、いいんじゃねぇか? それができなければ告ることもできないと、俺は思うがな」

 確かに、深月への告白が終わったわけではない。ただリセットされただけなのだ。そう考えると、意固地になっていた自分がバカっぽく思えてきてならなかった。

「長二郎の言うとおりかもしれない」と親友の手の中で小さく頷くトオル。もっとも体が無いので頷けてはいないのだが、長二郎にはハッキリとその意思が伝わっていた。

「俺はお前の親友だから、いつだって応援してやるよ。だからもう一回、気合い入れて告ろうぜ」

「……うん、そうだね。ありがとう」

「お前に礼を言われるようなことはしてねぇよ。それよりも……」

 とトオルをちゃぶ台の上に置き直し

「保子莉ちゃんを赦してあげろよな。それが男としてのケジメってやつだ」

 言われて猫娘を見やれば、真剣な眼差しでトオルのことを見据えていた。

「あ、あの……そのぉ……」

 バツの悪い対面に堪え切れず、目線を反らした。……が、彼女はトオルを見つめたまま黙っているだけ。それは容赦の言葉を聞き届けるまでは、微動だにしない覚悟だったに違いない。

「あのぉ、保子莉さん……さっきは言い過ぎてゴメンなさい」

 もし体があったならば、頭をペコリと下げていたであろうその態度に、長二郎がトオルの髪をクシャクシャと撫で回して笑った。

「そこでお前が謝ってどうすんだよぉ。保子莉ちゃんを赦すんじゃねぇのかよぉ? って、まぁトオルらしいっちゃあ、トオルらしいけどな。相手の非より自分の非を認めちゃうんだからさぁ。俺はお前のそういうところが好きなんだよ」

 きっと滑稽だったに違いない。それは自分でも分かっていた。

「私もそんなトオルさまがぁ、大好きですぅ!」

 飛びつくクレアの胸に抱かれながら、トオルは保子莉と目を合わせた。

「わらわを赦してくれるのか?」

 戸惑う固い表情に、トオルは面映おもはゆい笑顔で応えた。

「もちろんだよ。すべて保子莉さんが悪いわけじゃないし……僕がもっと男らしくしていれば、いいことなんだからさ」

 そう。全ては自分次第。

 まだ終わったわけじゃない。もう一回やり直せばいいだけのこと。その前向きな言葉を聞いて、保子莉も穏やかに微笑んだ。

「そうじゃな。わらわも惚れそうなくらい、今のおぬしは男らしい顔をしておる」

 それは、まるで澄んだ朝の訪れを迎えるような笑顔だった。

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