第四章 奪還4
それは正に鬼神だった。
同時にクレアはトオルの精神がこれ以上、崩壊しないようにと祈るしかなかった。
溶岩のようにぐつぐつと煮えたぎり、渦巻く烈火の炎は憎む者すべてを焼き尽くす業火にも思えた。そんな醜い心を宿してしまったトオルを、震えながら哀れみていると、長二郎と深月がクレアのもとへと駆け寄ってきた。
「クレアたん。ボーッとしてないで、早く保子莉ちゃんを診てやれよ! まだ間に合うかもしれないだろ!」
「あ、すみません。そ、そうですね。すぐに蘇生処置を試みますですぅ」
クレアは保子莉を床に寝かせると、端末でもって容態を診断し……小首を傾げた。
「あれれぇ、変ですねぇ?」
「どうした、クレアたん?」
「それがぁ生命反応がありましてぇ」
同時に保子莉の両瞼が持ち上がった。
「お嬢さまぁぁぁぁぁぁぁあ!」
おもむろに上半身を起こす猫娘に、クレアが泣きついたのはいうまでもない。
「いったい、どうしたのじゃ。何をそんなに泣いておるのじゃ?」
「し、死んだんじゃねぇのかよ?」
長二郎の死亡確定の声に、保子莉が力いっぱい否定した。
「勝手に人を殺すでないわ! 気絶しとっただけじゃ! そもそも、こんなくだらぬことで死んでたまるものか」
「でも、どうして死んだ真似なんかしたの?」
深月の素朴な疑問に、クレアが涙を拭いた。
「真似ではなくぅ、ただの酸欠だったようですぅ。再生体の手のひらでぇ口元が塞がれてぇ、呼吸がままならないところでもってぇ暴れたものですからぁ、脳に酸素が行き届かなくなってぇ失神したんだと思われますですぅ」
「なんだよぉ、俺はてっきり保子莉ちゃんが死んじゃったのかとばっかり思ったぜぇ」
クレアの見解に、ホッと胸を撫で下ろす長二郎だったが……
「でも、敷常くんは死んだものだと思ってるみたいだよ」
指差す深月に全員が視線を向ければ、トオルが再生体を吊るし上げたままボディブローをぶちかましていた。
「自分の犯した罪を懺悔しろぉぉっ!」
攻撃の手を緩めず連打するトオル。その変わり果てた肉体に、保子莉が猫目を丸くした。
「いったい、何がどうなっておるのじゃ? 見たところ、義体の制御を完全に失っておるように見えるのじゃが」
「実はぁ、お嬢さまが殺されたと感違いした途端、トオルさまの強い意思がリミッターの強制解除をしてしまいましてぇ……今は怒りだけで闘っている状態ですぅ」
「つまり、早とちりをして暴走状態ということか」
「残念ですがぁ、そうなりますですぅ」
困り果てた顔をするクレアに、保子莉が「いや、待てよ」とほくそ笑んだ。
「むしろ、このままトオルに再生体を取り押さえてもらえば、好都合なのでは」
「お嬢さまぁ、いくらなんでもぉトオルさまに頼り過ぎですよぉ!」
「では訊くが、おぬしにあのバケモノを取り押えることができるのか?」
クレアは今一度、両者の闘いぶりを見て、頬を引きつらせた。
「か弱い乙女の私にはぁ、ちょっとムリかもですぅ」
「誰がか弱い乙女じゃ。怪力自慢のクレハ星人が聞いて呆れるわ。ともかく、力が取り柄のおぬしでさえ勝てるかどうかも判らん猛者相手に、今のトオルは互角に渡り合っておるのじゃから、このまま闘わせてしまえば良いではないか」
そう言って保子莉は立ち上がると、ありったけの声で檄を飛ばした。
「いいぞ! その調子で一気にそやつをねじ伏せてしまえ!」
元気に叫ぶその姿を見て、トオルの手がピタリと止まった。
「ほ、保子莉さん?」
死んだはずと思った猫娘。それが今、何事もなかったかのように蘇っているのだから無理もない。単に仮死状態だったのか、それとも宇宙技術による蘇生によるものなのか。いずれにしても、トオルにとっては朗報以外なにものでもなかった。
「良かった」
……が、それが失敗だった。安心した瞬間、義体の握力が緩み、再生体の拘束を解いてしまったのだ。
「たわけっ! どうして、そこでヤツを逃がす!」
「えっ? いや、その……」
一転して剣幕に変わった保子莉。その罵倒に狼狽えていると、再生体に横殴りされ、思いっ切り壁へと吹っ飛ばされた。
「言わんこっちゃない」
間抜けな逆転劇に保子莉が目を覆っていると、再生体が咆哮を上げながら、とどめを刺そうと腕を振るう。……が、寸前でその攻撃をかわし、トオルも負けじと応戦する。休むことなく拳を繰り出し、熾烈を競う両者の闘い振りに、保子莉が安堵の息を漏らした。
「なんとか持ちこたえそうじゃな」
そして応援する深月を一見し
「クレアよ。今のうちに深月を連れ帰ろうと思うのじゃが、どうじゃろうか?」
一刻も早く再生体から深月を遠ざけようとする保子莉の案に、クレアも迷うことなく頷いた。
「賢明な判断ですねぇ。ちなみに長二郎さんはどうしましょうかぁ?」
クレアが、深月と一緒になって声援を送る長二郎を指差せば……
「あやつは放っておいても問題なかろう。それにもし連れて行こうとしても、トオルを置き去りにするような薄情な奴でもないしのぉ。何よりクレアから離れようとせんじゃろ。ゆえに訊くだけ時間の無駄じゃ」
「おまけに人の言うことを素直に聞く性格とも思えませんしねぇ」
「良く分かっておるではないか。そういうことじゃから、後のことは頼んだぞ」
保子莉はそう告げると、再生体に気づかれないようにそーっと深月のもとへ忍び寄った。
「深月よ。わらわと一緒に来い」
「えっ? でも敷常くんが、まだ闘ってるよ」
「あやつのことなら心配はいらぬ。それよりも、あのバケモノがおぬしを狙っておるのでな、このどさくさに紛れて逃げることにする」
そう言って深月の手を掴み……
「クレア。わらわたちがエンジンルームから出たら、隔壁を遮蔽しろ。一歩たりともヤツをここから出すでないぞ!」
「もちろんですぅ。もう二度とお嬢さまの尻尾を掴ませませんからぁ、ご安心のほどを」
クレアの心強い返事を聞き届け、深月と共に出口に向かう保子莉。だが再生体が二人の逃走を見過ごすはずはなく、トオルを壁に叩きつけ、宙を舞って保子莉たちの前に降り立った。
「うがぁぁぁあっ!」
「保子莉さんっ! 一里塚さんっ!」
行く手を阻み、腕力に訴えて猫娘を排除しようとする再生体。おそらく今度は無傷では済まないだろう。同じ過ちは犯してならないとばかりに、トオルは急いで身を立て直し、床を蹴った。だが、猫娘の頭上に振り下ろされる再生体の拳のほうが早かった。間に合わない。それでも諦めずに手を伸ばした瞬間、クレアが再生体の拳を受け止めた。
「させませんですぅ!」
とは言え、それは一時しのぎの牽制に過ぎず、簡単に弾き飛ばされてしまった。そして再び拳を持ちあげた再生体に、保子莉が深月を庇いながら怒号を発した。
「わらわを見くびるでないわぁぁぁっ!」
フーッっと尻尾を立て、鋭い両爪を構える猫娘。脳天目掛けて振り下ろされる拳。しかし今度はトオルがそれを受け止めた。
「僕の好きな一里塚さんを、お前なんかに奪われてたまるかぁぁぁぁあっ!」
吠えると同時に相手の腕を掴み取り、渾身の力でもって投げ飛ばす。当然、再生体は為す術もなく船の動力機関にメリ込んだ。
「ふぅ。トオルのおかげで命拾いしたわい」
難を逃れた猫娘が、安堵の息を漏らすと同時に悦に入る。
「それにしても、どさくさに紛れてぬかしおったのぉ」
「いやぁん、私だけのトオルさまだったのにぃ」
身を震わせて嘆くクレアの背中を、長二郎がさり気なく抱き寄せた。
「昔の男のことなんか忘れて、俺と一緒に……げふっ!」
クレアの突き出したアッパーカットを喰らい、華麗に宙を舞う長二郎だった。
「一里塚さん、大丈夫? 怪我はない?」
安否を気遣うトオルに、深月が頬を染めて首を縦に振る。
「うん。ところで敷常くん。今、私のことを好きだって言ってたけれど……本当なの?」
思いがけない一言だった。
威勢余って出た言葉とはいえ、本人から尋ねられた以上、白黒ハッキリさせなければならない。もう後には引けないと、トオルは覚悟を決め、乾いた喉に唾を押し込んだ。
「ほ、本当です! にゅ、入学した時から一里塚さんのことが気になってました! も、もし……もし、良ければ僕と付き合ってくださいっ!」
張り詰めた気持ちが行き場を失い、胸を圧迫する。格好悪いことに声も膝も震え、義体の心臓がドクンドックンと脈打っていた。
フラれても後悔はしない。
深月に「ごめんなさい」と断れてしまえばそれまでなのだ。もちろんその後のことは考えてもいないし、そんな余裕もなかった。イエスか、それともノーなのか。トオルは頭を下げたまま彼女から告げられる返事を待った。
「はい。私で良ければ」
その言葉の意味を、脳みそが理解するまでに数秒を要した。
――つ、つまり……付き合ってもいいと? 僕の恋人になってもいいと?
同時にトオルはガッツポーズをして、あらん限りの声を張り上げた。
「いやぁぁぁぁぁったぁぁぁぁあ!」
まるで夢のようだった。
自分に自信が持てず、告白してもフラれるだろうと思っていた毎日。それが今、こうして受け入れられ、願いが叶ったのだ。同時にクレアがすすり泣き、長二郎も「うんうん」とトオルの恋愛成就に感極まっていた。
――ついに僕にもついにカノジョができた! カノジョができたぞ!
バラ色人生の確定。リア充まっしぐら。もう気分は最高潮だった。しかし、その一方で再生体が嫉妬心を漲らせながら唸り声を上げた。
「なぁなぁ、保子莉ちゃん。あいつちょっとヤバくねぇ?」
「なんとも諦めの悪いヤツじゃのぉ。して、クレアよ。あやつはいったい、なんと言っておるのじゃ?」
眉根を顰める保子莉に、クレアがメソメソしながら再生体の心を口にする。
「許さん。100%オリジナルな俺さまよりぃ、手足の欠けたヤツのほうがいいわけがない。と怒ってますですぅ」
「まぁ半分養殖モノと、頭だけ天然モノでは、似たり寄ったりのような気もしなくもないがのぉ。おっと、こんなくだらんことで時間を費やしている場合ではないわい」
置かれた現状を思い出し、保子莉は頬を染めてはにかんでいる深月の手を取った。
「深月、幸せに浸るのは後回しにしてくれ。クレアよ、仕切り直しじゃ。今度こそ、後のことを頼んだぞ! トオルもしっかり闘うのじゃぞ! あと、長二郎……特におぬしに言うことはないが、みんなの足を引っ張る真似だけはするでないぞ!」
「お嬢さまぁ! 隔壁を遮蔽しますから、早くお逃げください!」
「言われんでも分かっておる。行くぞ、深月!」
閉じ始めた隔壁を掻い潜り、通路の向こう側へと逃げる保子莉たち。その二人を追うようにして再生体が閉じ掛けた隔壁をこじ開けようとする。
「うがっ! うがぁぁ!」
歪み始めた隔壁の隙間から、遠退く深月に手を伸ばす再生体。だが……
「ここから先には行かせやしない!」
トオルは漲る力でもって再生体を隔壁から引っぺがし、後方へとぶん投げ、逃げる保子莉たちから遠ざけた。
――男の意地にかけて、カノジョを守ってみせる!
と、少しだけカッコイイ自分に酔いしれるトオルだった。