第四章 奪還3
――なんだ、あれは?
月光に浮かぶ巨体の大男。
身の丈2メートル以上。
筋肉で盛り上がったいかり肩に厚い胸板。
野太い上腕二頭筋と太股。
腰まで伸びた髪はまるで連獅子のようだった。
「あれが僕の体?」
自身と異なる体格にトオルは絶望した。
――僕は残りの人生を、この義体で生きなければならないのだろうか
それを知らしめるかのように、再生体は気を失っている深月を抱えたまま、屋根の上の時計台から避雷針へとよじ登り、今一度、声を上げて己の存在を誇示する。
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
夜空に向かって放たれた獣声。宿木で羽を休めていた鳥たちも轟く咆哮に恐れをなして、一斉に闇夜に羽ばたいていく。
「あれが、トオルの真の姿なのか」
カッコ良く、何かのキャラの台詞を真似る長二郎だったが
「てか……あんなのが相手じゃ、勝てる気がしねぇぞ!」
眼光をたぎらせ、禍々しいオーラを放つ再生体に怖じけづいていた。
「ほ、保子莉さん! いったい、どうするつもりなのさ?」
面影すら残っていない自分の体。取り戻す方法や元の姿に戻す方法など、聞きたいことは山ほどあった。
「とりあえず落ち着け。クレアよ、あやつの心を読めるか?」
「はい。信じられないことに、先ほどからぁ熱烈に愛を叫んでおりますぅ。正直ぃ、心を読んでいる私までがぁ惚れてしまいそうですぅ」
そんなバカなことがあるか。そもそも、なぜ知恵を持たないはずの再生体が深月に惚れるのか。
「愛じゃと? あやつに女を口説き落とせるほどの知恵があるとは思わんがのぉ? ちなみに、あやつはなんと言っておるのじゃ?」
「愛するこの女は誰にも譲らん。俺にはこの女だけしか愛せない。……だそうですぅ」
頬に手を当てて陶然とするクレアに、保子莉が訝しむ。
「なんとも熱烈なラブコールじゃな。同じ遺伝子でありながら、ウジウジしているどっかの誰かさんとは大違いじゃ」
「そうやって僕と僕の体を比べないでよ。それより、どうやって一里塚さんを助けるのか考えないと」
深月奪還と再生体の身柄確保。もちろん優先順位などはなく、どちらかが欠けても困るのだ。
「心配せずとも、きっちりこの落とし前は付けてやるわい」
保子莉はそう言って、すぐさまクレアと一計を案じ始めた。どうやら保子莉自身が囮となって再生体を引きつけている隙に、クレアが深月を奪い返すという作戦らしい。
「クレア。分かっておろうが、くれぐれもヤツに悟られるでないぞ!」
タイミングなどにおける細かい打ち合わせもないまま頷くクレア。おそらく保子莉の心を読み取ってのことだろう。保子莉はトオルたちに待機しているよう命ずると、クレアと共に二階建て木造校舎の裏手へと姿を消した。
「うぅぅぅ……うがぁぁぁぁぁっ!」
しばらくした後、再生体が雄叫びを上げた。きっと自分のテリトリーに踏み込んできた者への威嚇なのだろう。その不穏な空気が流れる中で、保子莉の交渉が始まった。最初の内は相手に言って聞かせるような穏やかな説得。だが相手は言葉の通じないバケモノである。当然のことながら、すぐにコミュニケーション不足に陥り、保子莉の折衝が挑発へと変わっていく。
「かかってこんか、この根性なし! 優柔不断! 弱虫! 貧弱! 短足!」
屋根上から落ちてくる誹謗中傷の嵐に、なぜかトオルの心がえぐられた。
「うがあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
邪魔者であろう猫娘に、再生体は怒りの咆哮を上げながら、時計台から屋根へと飛び降りた。
「逃がしはせぬっ!」
同時に屋根板を蹴る音がしたかと思えば、屋根上から砕けた木片が舞い落ちてきた。相まみえる二人を見上げ続けていると、不意にクレアの勝ち誇る声がした。
「深月さんは返してもらいますですぅ!」
「うがっ?」
「でかした、クレア! こやつの相手はわらわに任せて、そのまま逃げてしまえ!」
「了解しましたですぅ!」
作戦通りの連係プレイが功を奏したのか、すぐさま屋根からクレアが舞い降りてきた。
「トオルさまぁぁぁぁぁぁあ!」
地面に着地するなり、深月を抱えたままトオルの元へ駆け戻ってくるクレア。正直、こんなにも早く深月を取り戻せるとは思いもしなかった。
「お嬢さまにぃ気を取られてましたからぁ、そんなに難しいことはなかったですよぉ」
一番厄介だと思っていた深月の奪還。これで一安心だ。
「でもぉ、まだ安心するのは早いですよぉ、トオルさまぁ」
とクレアから深月を託された。
「ちょ、ちょっと、クレア? なんで僕に一里塚さんを?」
するとクレアが悋気120%の眼差しをトオルに向けた。
「悔しいですけどぉ、お姫さまを守るのは王子さまの役目なんですぅ」
そう言われ、あらためて深月の寝顔に視線を落とした。長い睫毛。サラサラの髪。きめ細かな柔肌。まさか、こんな間近で意中の人を眺められるとは。しかも腕の中のお姫さまは想像していたよりも軽く、ちょっと力を入れると壊れてしまいそうなほど華奢だった。
――確か、眠り姫を起こすのは、王子さまのキスだったはず
桜色の唇に目を奪われ、自分の唇を押し重ねたい衝動に駆られていると……
「この状況でぇ何を考えているんですかぁ! お嬢さまがぁ再生体を足止めしてる間に、私たちは急いでぇこの場から逃げなきゃいけないんですからぁ、真面目にやってくださいなぁ!」
トオルの背中を叩き、クレアが廃校舎の玄関口に向かって走り出す。もちろん置いてきぼりにされたくないトオルたちも急いで廃校舎へとダッシュした。そして校舎へと逃げ込むと、二段跳びでもって階段を駆け昇る長二郎にクレアが問いかけた。
「長二郎さん長二郎さん。もっといっぱいいっぱいぃ速く走れますですかぁ?」
「俺を誰だと思ってるんだよ。自慢じゃないが、これでも陸上部の連中と鬼ごっこして負けたことはないんだぜ」
逃げ足を豪語する長二郎に、クレアが再度問う。
「再生体が追っかけてきてもぉ、逃げ切れる自信があればいいんですけどぉ、どうですかぁ? 大丈夫ですかぁ?」
念を押す言葉に、長二郎の自信がわずかに揺らいだ。
「ちなみにアイツはどんだけ速いんだ?」
「たぶんですけどぉ、この星のチーターさん並みにぃ速いと思いますですよぉ」
分かり易い比較対象に、長二郎が力いっぱい両腕をクロスさせた。
「ムリムリッ! そんなヤツ相手に、逃げ切れるわけないじゃんよぉ! しかも靴とか履いてないから、絶対にムリぃ!」
例え靴を履いていても、チーターから逃れるはずもないような気がするのだが。
「仕方ないですねぇ……」
クレアは足を止めると、長二郎をお姫さま抱っこして再び走り出した。
「女の子がお姫さま抱っこに憧れる気持ちが分かった気がする」
弾む巨乳に見とれながら、長二郎が栗色の髪を手にして匂いを嗅いでいると……
「この非常時にぃ何を考えているんですかぁ! いい加減にしないとぉ、本気で窓の外へ放り捨てますですよぉ!」
「俺も協力する」と申し出た割にはセクハラ三昧なお荷物状態なのだから、投げ捨てられても文句を言える立場ではないだろう。
「それよりもトオルさまぁ! しっかりついて来てくださいねぇ!」
まくし立てるや否や、廊下を疾走するクレア。それに伴い、トオルも義体の脚力でもって風を切っていく。
「クレア! 保子莉さんは? 保子莉さんはどうするのさ!」
自ら囮となった猫娘。仮にこの四人が再生体から逃げ切ったとしても、保子莉ひとりが欠けてしまっては意味がないのだ。だが……
「お嬢さまのことならぁ心配ありませんからぁ、今は逃げることだけにぃ集中してくださいなぁ!」
つまり人の心配よりも自分の身を案じろということらしい。クレアの強張った表情。それだけに、再生体がいかに油断ならない相手なのかが理解できた。
再生体の左脚を挫き、さらに屋根板につけた左手をも弾き退け、続けざまに右脚、右手を払い除ける猫娘。そのブレイクダンスさながらの素早い動きに、重心失ってバランスを崩す巨体。そしてトドメとばかりに相手の横っ腹を両足で蹴り飛ばし、屋根から下へと突き落とす。
「そのまま地獄……もとい、地に落ちてしまえっ!」
だが再生体は屋根板に長い爪痕を残し、ひさしを掴んで地上への落下を免れた。
「うがが……」
低い呻き声を発しながら睨みあげてくる再生体に、猫娘がほくそ笑んだ。
「粘るのぉ。もっとも、そうしてもらわねば、こちらとしても困るがのぉ」
必要なのはトオルたちの逃亡時間。言わば時間稼ぎだ。
だが保子莉の思惑に反し、再生体の関心が他所へと向いた。鼻をヒクヒクさせて大気中の匂いを嗅ぎとる再生体。同時に自らひさしを離し、真っ暗な地上へとその身を落とした。
「ずいぶん、あっけなく引き下がったのぉ」
相手の不可思議な行動を不審に思いながら、ひさし越しに地上を見下ろす猫娘。だが肝心な再生体の姿が見当たらない。
「どういうことじゃ?」
首を傾げながら猫耳を欹て……そして再生体の意図を知る。
「しまった! 狙いはクレアたちのほうじゃったか!」
知恵を持たぬ者に出し抜かれたことへの苛立ちと、自身の詰めの甘さを悔やみつつ、すぐさま屋根から飛び降りた。
「トオルさまぁ、もう少しで船ですよぉ……って、来たぁ!」
いきなり窓を突き破って現れた再生体に驚きつつも、咄嗟の判断で理科準備室に長二郎を投げ入れるクレア。
「トオルさまもぉ早く深月さんを連れてぇ、船の中へお戻りくださいなぁ!」
怒り狂って猛進してくる再生体に、ハイキックを見舞うクレア。その遠慮なしの足蹴りに、再生体が廊下の壁を巻き添えにして外へと吹っ飛ばされていく。その必殺一撃を掠め見ながらトオルは理科準備室に飛び込むと、床に転がる長二郎の襟首を掴んで宇宙船へと逃げ込んだ。
「いやぁ、マジで焦った。まさか、あのバケモノが戻ってくるとは思わなかったぜぇ」
明るい船内に転がり込んだ途端、白壁の通路に腰を下ろして安堵の息を吐く長二郎。その緩みきった親友に、トオルは深月を抱えたまま足踏みをした。
「再生体がすぐそこまで来てるのに、何ノンビリしてるのさ!」
「あぁ、悪りぃ悪りぃ」と長二郎が腰を上げた途端……
「頼んだぞ、クレア!」と猫娘が船内に飛び込んできた。
「なんじゃ、おぬしら! まだこんなところで遊んでおったのか!」
「いや、長二郎がさぁ……」
「言いわけなどしとらんで、さっさと逃げんか!」
「ごめんなさーい!」
牙をむく保子莉の剣幕に、慌てて宇宙船の奥へと走り出すトオルたち。
「まったく悠長に構えておってからに……」
逃げる二人を見届け、船内からそーっと外の様子を窺う保子莉。見れば性懲りもなく襲ってくる再生体をクレアが何度も何度も蹴り飛ばしていた。
「まさか、ここまでパワーアップするとは思いもよらんかったわい」
再生体のタフさ加減にあきれていると、タイミングを見計らって船内に逃げ込んできたクレアが猫娘を二度見する。
「お嬢さまぁ、何こんなところでぇ悠長に構えているんですかぁ!」
「いや、わらわは……」
と言い淀む猫娘だったが、クレアはその場に留まることもせず、疾風の如く素通りしていく。同時に廃校舎側から聞こえる猛り狂った怒号に、保子莉は尻尾を逆立たせて身悶えると、四つ脚でもってその場から全力逃走した。
「こ、こらっ! わらわを置いていくでない!」
長い黒髪を振り乱しての疾駆。保子莉は半分涙目になりながら、併走するクレアに助言を求めた。
「クレア、クレア! 再生体が追ってくるのは想定内として、この後はどうすれば良いかのぉ?」
「そうですねぇ、とりあえず施術室に誘い込めればぁ、押さえつけて麻酔で寝かすこともできるんですけどぉ」
策を唱えるクレアに、猫娘が眉を顰めて疑問の声を投げかけた。
「簡単に言うが、おぬしの力でヤツを押さえられるのか?」
「うーん……正直、やってみないことには、なんとも言えませんですねぇ」
「何しろ、おぬしのバカ力と張り合うくらいじゃからのぉ……場合によっては、あのバケモノを亡き者にするしか手立てはないのかもしれんのぉ」
「ですねぇ」
走りながら再生体退治を企てる二人。その背中を追うように、殺意の籠った雄叫びが船内に木霊した。
「ヤツめ、完全にキレておるわ」
そして、すぐさま指示を出す。
「クレア! 今の内に連結ドアを閉鎖して、学校側との空間転移接続を解除しろ! それと適当な区画で隔壁閉鎖し、エアーロックを開放して塵もろとも宇宙空間に放り出してしまえ!」
これで厄介払いができると踏む保子莉に、クレアも躊躇なく頷いた。そんなことを取り交わしながら走っていると、エンジンルーム手前でトオルたちに追いついてしまった。
「なんじゃ、おぬしら! まだこんな所でグズグズしておったのか! 再生体は、すぐそこまで迫って来ておるのじゃぞ!」
すると機能を果たさなくなった隔壁を潜る長二郎が息を切らしながら反論する。
「保子莉ちゃんたちが速すぎんだよ!」
「そうだよ、保子莉さん。これでも長二郎は一生懸命走ってたんだから、そんなに怒らなくてもいいじゃないか」
「ヤツは待ってくれはせんのじゃから、もっと死ぬ気で走らんかい! ほれ、モタモタしとらんで、早く行かんか!」
保子莉が目くじらを立てて煽っていると、クレアが悲痛の叫び声を上げた。
「お嬢さまぁ! 隔壁閉鎖が間に合いませんでしたぁ!」
「なんじゃと? なんちゅう追い上げじゃ! ……って、誰じゃ、わらわの尻尾を掴んどるのは? って、うにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ?」
突然、猫のような悲鳴をあげる保子莉に、振り返るトオルたち。見れば、仁王立ちする再生体の姿がそこにあった。
――い、いつの間に!
鋭い獣の眼光で威圧する再生体に、トオルたちは大きく距離をとって身構えた。
「痛たたたっ! 痛いじゃろ! 離せっ! 離さぬか、このバケモノめがっ!」
尻尾から逆さ吊りにされた猫娘に、全員が二の足を踏んでいると……
「あれ……ここ、どこ?」
予想外な深月の目覚め。目の前で常人とは思えない大男と、宙ぶらりんの猫娘の存在に加えてのお姫様抱っこ。もう最悪としか言いようがなかった。
――このままでは、あらぬ誤解を招いてしまう
思い浮かぶはBL本事件。正直、今度ばかりは口から出任せなどの言いわけは通用しないだろう。と、立て続けに起こる不測の事態にトオルが周章狼狽していると、深月が平静を保ったまま言う。
「敷常くん。とりあえず、降ろしてくれるかな?」
また引っぱたかれることを覚悟した。抱えていた深月を降ろし、再生体の視界に触れないよう彼女を背後に隠した。
「一里塚さん。あとで事情を説明するから、今は何も聞かず、僕の後ろに隠れてて。決して動いちゃダメだからね」
しかし、それは深月から現状を遠ざけるための愚策に過ぎなかった。実際、深月は頷きはしたものの、トオルの肩越しから現状を把握し、驚愕の色を浮かばせていたからだ。つい先ほどまで仲良く勉強をしていたはずのクラスメート。それが猫耳と尻尾を生やし、荒れ狂った大男に捕らわれているのだから無理もない。
「わらわの大事な尻尾を気安く掴んだ貴様の愚行は、万死に値するぞ!」
ジタバタと暴れ、必死に抵抗する猫娘。それを煩わしく思ったのか、再生体は保子莉の顔面を丸ごと鷲掴みすると、今度は頭から吊るし上げた。
「みぎゃぁ! みぎゃぁぁぁ!」
大きな手のひらに顔全体を覆われ、くぐもった獣の声を発し、両五指から鋭い爪を伸ばして相手の腕を闇雲に切りつける猫娘。だからと言って、再生体がその程度で猫娘を離す気などはなく、トオルたちに歯を剥き出して吠えまくる。
「うがっ! うがががぁ!」
「なに言ってんだか、さっぱり分かんねぇよ」
噛みつくような相手の威勢に気圧され、長二郎が身を竦めていると、クレアが再生体の心を読み解いた。
「俺の女を返せと言ってますですねぇ。たぶん本能だけで行動しているのでぇ、深月さんを引き渡せばぁ、すぐにお嬢さまを解放するとは思いますけどぉ」
「獣の分際で人質交換とは、ふてぇ野郎だな!」
そんな二人の会話を耳にした途端、深月の双眸に戸惑いの色が浮かんだ。
――それじゃあ、まるで生贄じゃないか
「一里塚さんを渡すなんて、そんなことできるはずがないじゃないか」
しかし、だからと言って囚われている保子莉を見捨てるわけにもいかない。何しろ相手は駆け引きにおける言語能力はおろか、意思疎通や知恵などを持ち合わせていないのだ。あるのは純粋なまでの生殖本能だけ。そんな生得的行動をする相手に人間らしい交渉を求めても通じるはずはなく、仮に人質交換に応じて騙し討ちなどしようものならば、それこそ、この場にいる全員の身が危うくなるだろう。
――一旦、一里塚さんを渡して、保子莉さんを助けるしかないのか
とは言え、その後の救出作戦が思い浮かばない。機は好転するのか、それとも悪化の一途をたどるのか。もとより深月には、なんと説明すればいいのだろうか。答えの出ない選択に、トオルが懊悩していると……
「トオルさまぁ。言っておきますけどぉ二度目が成功するとは限りませんよぉ。なので、ここは実力行使あるのみですぅ」
言うや否や、床を蹴るクレア。
「お嬢さまをぉぉ放しなさぁぁぁぁいっ!」
気合い声を発し、再生体の鳩尾に右ストレートを捻り込む。その渾身の一撃に、相手が倒れるものと誰もが確信した。だが次の瞬間、クレアは再生体が振るった太い腕に弾き飛ばされ、床に叩きつけられてしまった。
「マジか? クレアたんの攻撃がまったく効いてねぇぞ!」
平然と立つ再生体に、長二郎も焦りの色を浮かべていた。
「お嬢さまぁ……」
ダメージを負って床に這いながらも、保子莉を心配するクレア。しかし、その声は再生体の手の中で喘ぐ猫娘の耳に届くことはなかった。
「みぎゃ…………」
呻き声が途絶え、活発に動いていた尻尾が布切れのようにダラリと垂れ下がった。
「保子莉さん? 保子莉さんっ!」
しかし返事はおろか、何の反応もなかった。その様子に全員が彼女の『死』を確信した。深月は震える手でもって口元を押さえ、長二郎も言葉を失い、クレアもヘナヘナと力無く腰を抜かす。
「そんな……う、嘘だよね……」
信じがたい悲劇。それは生まれて初めて直面した命の最期だった。その実感の湧かない死に、トオルの手足は無意識に震え、脳裏に様々な思い出が駆け巡った。
河原で助けを求める保子莉。
ベッドでふんぞり返る保子莉。
一緒に登校する保子莉。
猫缶をおいしそうに食べる保子莉。
バスケット勝負で猫耳を披露した保子莉。
地球を見せてくれた保子莉。
そして……猫耳コンプレックスの保子莉。
次々とフラッシュバックする記憶。
同時にトオルは彼女を救えなかったことを悔やんだ。クレアが行動を移すよりも先に、何かしらの最善策を考え、行動に移すべきだった。少なくとも陽動する役目くらいはできたはずなのだ。それなのに何もせず、オロオロと狼狽えるばかり。その結果、保子莉を死に至らしめてしまったのだ。そんなやるせない憤りと掴みどころの無い情動が錯綜し、トオルの胸中で煮え滾る感情が沸き立ち始めた。
「許さない……。保子莉さんを殺したお前を、僕は絶対に許さない」
トオルは嗚咽しそうな声を押し殺し、再生体を睨みつけたまま、深月を長二郎に預けた。
「お前のようなヤツが、僕と同じはずがない……」
悲しみと憎しみの交錯の末、トオルは怒りを爆発させた。
「お前だけは……お前だけは絶対に許さないっ!」
刹那、トオルの義体が肥大化した。肩甲挙筋、胸筋、上腕筋、背筋、大腿筋……頭部以外のありとあらゆる筋肉が盛り上がり、着ていたシャツがビリビリと裂けていく。
「し、敷常くんの体が大きくなってる……」
「違うぞ、ボブ子。そこはあえて『覚醒』と言ってやれ」
するとクレアが慌てて端末を覗き込み、凄まじい勢いで跳ね上がっていく体力数値に悲鳴をあげた。
「ダメですよぉトオルさまぁ! リミッターがぁ、義体のリミッターが解除されちゃってますですよぉ!」
だがトオルはクレアの警告を無視した。今さらやめろと言われても怒りの感情を抑えられない以上どうにもならないのだ。そして再生体と互角に張り合えるほどの形態まで成長を遂げたトオルは、一足飛びで再生体の懐に飛び込んだ。
「その薄汚い手を離せぇぇぇぇぇぇえっ!」
腹にめり込む渾身の一撃により、短い呻き声とともに血を吐いて吹っ飛んでいく再生体。同時にトオルは宙に放り出された猫娘を両腕でもって受け止めた。
「……保子莉さん」
命を削がれ、小さな亡骸となってしまった猫娘。その力無き遺骸にトオルが打ち拉がれていると、クレアが涙ながらに駆け寄ってきた。
「トオルさまぁ! お嬢さまは? お嬢さ……うっ!」
口元を押さえて表情を引きつらせるクレアに、トオルは無言のまま保子莉を託した。
その屍となった猫娘を、悲痛の面持ちをしたまま預かるクレア。
煮えたぎるほどの凄まじい怨嗟の念と、途方もない痛哭。そんなトオルの心を読み取ってしまったクレアは保子莉を抱えたまま後退りしていた。
――許さない。何がどうあっても、あいつだけは絶対に許さないっ!
トオルは船の動力機関にめり込んでいる再生体を睨みつけ、歩み寄る。
「これで終わりだと思ったら、大間違いだからな」
そう吐き捨てるや否や、トオルの手がグローブのように肥大化した。そして再生体の顔面を鷲掴みにし、その巨体を高々と吊るし上げた。もちろん再生体も両手でもって掴まれた腕を外そうと、必死にもがく。だが……
「見苦しいぞっ!」
抗う相手にトオルはさらなる怒りを覚え、頭蓋骨を砕かんばかりにギリギリと握力を絞った。
「お前が保子莉さんにしたことは、こんな生易しいもんじゃない! お前さえ……お前さえ現れなければ、保子莉さんは死なずに済んだんだ!」
そう訴え、トオルは怒り任せに鉄拳を振るった。





