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トルコ人

 今回のタイトルはトルコ。テーマよりタイトルにしようと思う。それと言うのもやっぱテーマは自説の弥生人とは何だ?ってものになる。はっきり言えば逆張りだ。だが名言はしてないが最先端のこれをやってる斎藤成也氏は私に近いと見てる。定説になってるO1B2=弥生人稲作民族って見方を変えて、O1B2もっと前から縄文文化に入り込んでいた縄文人だって説。でも半島にいるじゃん?それはおかしい日本は確かにガラパゴスだ。でも、元々は大半大陸の渡来人だ。海ルートがあるので全部とは言わないけど。たまたま半島に残れた消えるはずだったハプロと見てる。彼らを残した要因は何か?で日本と稲だと見てる。朝鮮の人は間違いなく不愉快になるだろう。


 父=中国、朝鮮=兄、日本=弟だから。大半大陸からやってくるので半島がまず中継点になる。だがこれ中継点じゃないどっちかと言えば通過点。ここがポイントなんだ。大半の大陸から来たハプロは今も残ってる強大なハプロによって絶滅させられてる。朝鮮に残ってるハプロはすべて納得できるほどの強い歴史の強者しかない。その例外がこれなんだ。


 常に例外を生んできたのは日本だった。だから日本が彼らを増やすのに協力したと見てる。彼らが大陸人から稲作を取り入れて日本を上回る発展をした可能性は否定し無いけど。縄文人は扱いに難しい。日本列島は何故稲作で出遅れたのか?で大陸の文化が距離的に遅いのが一番の理由だけど、それだけじゃない。縄文人は一つの集団じゃない。先進技術を取り入れるのに鈍い集団が要るんだ。単純にその差に過ぎないのじゃないか?と見てる。じゃ先端の集団は?おそらく半島に渡っていたと私は見てる。


 何故じゃ今Dが残ってないの?これはごく少数残ってる。侵略時代の名残かもしれないからなんとも言えないけど。次にそんな大規模な集団じゃない。後倭人といわれた集団は、O1B2と区別が付かなかったんじゃないか?と見てる。これがハプロで単純に民族的な区分けをしてはいけないと思ってる部分。大陸よりの集団と日本よりの集団でO1B2は日本人となってしまった集団があったのじゃないか?とは見てる。そうなると渡来の概念が変わってくる。危険になった同胞の受け入れとも見れる部分もある。


 ただし現在ほとんどDが残ってない点を考慮して、D系の集団はかなり小規模だったと見てる。そもそもDやO1だと過去の人達は区別してなかったとは思うけど。自分達の出自を問えるような上の身分だと思ってないし。後の時代もそうだけど、下っ端は自分がどんな生まれなのか?大体知らない。現在の私も含めて。



 トルコに移ろう。何故興味を持ったか?でトルコ人がアジア人とまるで似てないがアジアから来たと言い張るから。これを嘘かな?とやっぱり思う。壮大なファンタジーっぽいからそういう神話が出来たのかな?と。これがおそらく嘘じゃないと分かってくる。歴史とハプロを紐解くと分かる。


 トルコとはなんだ?がキーでトルコとはトルコ語にあって血族集団に無い。この矛盾が強く出たのが、第2期オスマントルコの王がR1B系だからだ。トルコにはR1Bが多い。これはツタンカーメンの秘密ってのでもこれが暴露されてる。これを白人の陰謀だって意見がある。まあこの経験は日本人なら知ってるだろう。あれこれもすべて自分達が起源だって民族がいるので。


 いやこれ出鱈目じゃなくて、この集団カメルーンまで行ってる。あそこまで行けばエジプト程度ってあっさり割り切れる。ただしエジプトはその後E系の地中海アフリカ系に変わってしまってる。直系じゃないのねって話。


 この集団2つのグループがあって、ものすごく前からそこら中に移動をしまくった謎のR1Bを運ぶ集団。バスクもこれじゃないか?と。欧州には前も書いたけど、R1Aに先行する形でR1Bが住み着いてる。大体はトルコ付近の集団の末裔なんだけど、それより1つ前の謎の集団がいるっぽい。それが同一グループなのか?は知らない。


 R1AにR1Bが一定割合で混じってるけど、これはR1Aの同一集団だと見て良い。先行したR1Bには言語に特徴がある。ただこれが1つに絞れたらわかりやすいが、そこまで私は詳しくは無い。謎の巨石文明といわれてるけど、これ自体テーマにしたいが問題は、アナトリア農業文化を伝えたR1B集団と同じなのか?が分からない。所詮ハプロをベースにいろいろつなげただけの私は浅学なものなので、専門的に歴史考古学の知識と成ると突っ込みきれない。


 んでアナトリアに何故R1Bが多いか?は分かってる。あの有名なヒッタイトである。言語集団として微妙にずれた古代印欧語を操る。んでバスクがそれと同一なのか?がよー分からん。ヒッタイトとエジプトの王家が同一なのか?は分からん。


 ただオスマントルコがヒッタイトの末裔なのか?と言うとそう単純じゃない。それがトルコの話しになる。


 トルコはなんだ?と言われたら言語だと書いた。その母集団がしかしアジアだと推測される。ハプロはおそらくN。トルコ語を操るN集団が東アジアで居て、一定のNハプロを今でもトルコは残している。


 要するにハプロを見るセンスに長けたものならC以外って発想で出てくる選択肢になる。それぐらい騎馬民族を語る上でCは重要。何故か?と言えばジンギスカンの遺伝子だからと推定されてるから。これ以上ない分かり易い代表的人物。C以外ならNかOになるってのが東アジアの定説になる。


 ただトルコにCは現存する。これは騎馬民族=Cだが、ここにOやNが度々入り込む。その事に神経質になっては行けない。曖昧で漠然と捕らえたほうが良い。民族が成立したときにたまたま出自が違うハプロが混ざってるなんて幾らでもある。それがR1AにJやG、R1Bがたまに混ざってる理由なんだ。彼らにすれば自分がアラブ人だとまるで思ってないし、形質とY染色体ハプロは全く違う。


 実際アジアでトルコ語を使う最大集団はCだと私は見てる詳しく調査したわけじゃないので分からない。それは突厥の成立の場所が関わってる。突厥はモンゴルより早く成立してる。


 ああ話を飛ばした突厥は古代トルコ人が起こした国といわれてる。当時はまだCは優勢じゃなかった。これには話が合って、どこまで本当か分からないけど突厥がコントロールして強大なモンゴルをかき乱し統一国家を作らせないようにしていたとか云々。


 これにまたややこしい話が絡むけど、東突厥ってのが末裔としてウイグルになる。でもこの集団の基礎ハプロってQらしい。遺骨を調査して分かってる。


 トルコ人と違うじゃないか?トルコとは言語であって血族じゃない。ウイグルの辺りはQが多かったんでしょ?としかいえない。んまーこれがQだから困ってる。ONCで大体OKって法則からずれてる。それと言うのもアジアの白人系にはQが深く関わってる。Qはアメリカに行かなかった集団が中東あたりでうろうろしてて、Rと似た行動を取ってる。これをバイカル湖の話しと繋げると当たり前に思える。RとQはバイカル湖で同一集団だったから。遺伝的にQとRは兄弟関係にあるので当たり前なのだけど。


 中国の白人集団で無視できないのがRよりもむしろQだと見てる。今でもQは残ってるからね。ややこしいのはアジア系のQも中国には残ってて、どっちの祖なのか?はさっぱり分からん。モンゴロイドとコーカソイドのQって変じゃない?となるとQってそういうハプロなんだ。母方ですべて決まる。元々QはRに近いので、白人だと言えるし、アジア人だとも言える。


 突厥においてQは外したい。それぐらいQはややこしい。後コーカソイドとモンゴロイドって区別が、ハプロやってるとあほらしくて仕方なくなる。世界は全て混血だって感じでなんとなく見た目の割合で決まる適当なものだと思ったほうが良い。そもそもCとOなんて全く系統が違うのに同じ一重まぶた集団なんだから。一重まぶたを代表とする新モンゴロイド集団ってどういう経緯でそうなったのか?がかなりややこしいと思う。寒冷適応だったのか?が私はなんともいえない。例えばある集団がボトルネック状態にさらされると、元々持っていた形質が集約されて変な集団が出来る。


 アフリカ人の形質としてありえないか?と言うと、二重一重ってのは違うけど、内眼角贅皮ってのが蒙古ひだといわれてて、目頭に皮膚でさらに覆った形になるアジア人の形質に成る。これがかなり大きくて、これ他の人種にもものすごく低いけどいる。ボトルネック効果で、たまたまこれが集積してしまった集団が出来たら。寒冷適応だという理屈は成り立つ。


 ただし他にも数多くの性質があるので適応的だという理屈は説明が付く。だが進化論はかなりあやしい学問で、考古学が科学なのか?と言うと怪しさを持ってる。ただし考古学よりは科学してる。遺伝子を使ったから科学だというなら警察の捜査も科学だ。科学を道具として使ってるだけで、考古学は科学じゃない。それゆえに私が突っ込んでるんだから。そこで騙されちゃいけないので私は書いてる面もある。


 話がずれた。んで突厥の成立で東の方はCとNの集団だったと予想できる。でも今と異なるのは当時はまだモンゴル族が騎馬民族で名を上げてなかった。ここがポイント。突厥の構成集団として今よりはCは低い頻度だったと見てる。


 ただこれ現代のトルコと関係ない。話しは2段階になる。中央アジアに突厥と国家が出来た。これが重要なんだ。どこかで中央アジアの一体は突厥の末裔って意識がある。


 過去からずっと変わらないのはここがコーカソイドとモンゴロイドのぶつかる地点だという点。これが中国に白人が過去居た証しになる。この均衡した線は一定じゃない。時代によってモンゴロイドが西まで張り出し、時代によっては東までコーカソイドがやってくる。これについて真面目に考えると疲れる。大体こんな感じで捕らえると良い。突厥がここの国だったのが大きいんだ。過去から現代まで突厥の支配地域はコーカソイドとモンゴロイドがごちゃまぜでかつ混血まみれ。


 この突厥地域からオスマントルコは後の時代に起こる。それならオスマントルコはコーカソイドの国家であっても全く可笑しくは無い。アナトリアにR1Bが多いってレベルの話じゃない。そもそもかなりの数のトルコ語を話す集団は所謂白人だ。だが彼らを作ったのは、間違いなく東アジア人。この点トルコ人が東アジアからやってきたモンゴロイドだって伝説は伝説じゃない本当の事なんだ。


 ずっと私はファンタジーだと思ってたんだけどね…。


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