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ハプロの移動と稲

 半島の陸稲文化を見ているとこれは日本とは全く別らしい。私はO1B2は半島から満州に広がったと思ってるけど、逆に満州に陸稲を運んだ民族がいたのではないか?と考え直してきた。それと言うのもこの種が日本由来の水稲と合流して半島の稲の先祖になったらしい。縄文人と弥生人の合体としてこれ以上理想的なケースは無い。


 元々小集団だと予想してるので満州には薄くしか残ってないのはあまり気にしてない。そして半島だけ多くしたのは日本の強力と水田稲作がそれだけ大きな人口増加の武器になったからだと見てる。


 船で沖縄経由でO1B2はやってきたが沖縄での分布の少なさからどうも胡散臭い。船で直越江南からやってきたは、まあこれは面白いと思う。大量渡来は間違いなくあったのだから、そういった小規模な渡来が前からあったとしてもおかしくはない。


 私は大量渡来疑ってない、そのハプロの大半がO1B2だと言うのがかなり胡散臭いと思ってる。今現在ハプロが残ってないのは全部移動したからだ。これが調子良すぎる、ご都合主義。そういう事は良くある。それは元々小集団だったって事になる。その点山東省のコーカソイド集団も私はコーカソイドが東まで侵入していたというのは疑ってる。逆に言えば、小集団だったからこそ、周りの漢民族に入れ替わってしまったんだと見てる。


 胡散臭いと思ってるのは、項羽のハプロがどこまで信用できるか?分からないけど、O2A2Aらしい。O1系のハプロ曹操以外ほとんど出たことが無い。しかも曹操は江南と関係ないし。他にも明の皇帝がO1系じゃないか?といわれてる。O1B1のベトナムなど言った系統である。O1B2が古代でも歴史上の人物で残った事がほとんど無い。


 大胆な仮説を立てるなら、稲作はO2系に乗っ取られたと見てる。すでに稲作が行われていた山東省出身の徐福も周王国(王家では無い)系のO2系だった。長江文明は人種的には乗っ取られたのではないか?と見てる。


 要するにどういう事かと言うと多くの人間は、戦国時代の国の崩壊でO1B2が移動したと見てるんだ。私は違う。私達の知らない歴史の中で華北の人種が広がる中で自然と入れ替わったんじゃないか?と見てる。その時玉突きのように押し出されて、ベトナムと満州半島に移動したのでは?


 初期陸稲稲作の時期が長く、その集団がやってきたのではないか?と。細かい事は分からないが、満州経由で半島に下りてきた稲は熱帯地域に適したものに限られてない混合になる。それに対して日本にやっていたものは熱帯ジャポニカといって温暖な気候のみが向いてるものになる。O1B1とO1B2がそれらを分けたんじゃないか?と推測してる。


 渡来の時期に民族大移動をしたとやるからどうも苦しくなる。水田栽培が始まる前の陸稲時代にすでに移動したとするとそれほど大きな集団じゃなくて良い。それほどコメと言うのは労働集約的といわれている。ミノリが多い分、労働力も必要になる。どうしても集団が大きくなる。なんと言うか水田稲作は民族移動のフットワークが重い。


 土着説を説明するとこれぐらいしか思いつかない。半島から満州に広がったっぽい分布だけがどうもひっかかるけど、これ小集団だったので逆だったのでは?って理屈も成り立たないことも無い。



 いやらしい言い方になってしまってるが、半島と使うのはわざと、国を想像してしまう朝鮮という言い方を避けてる。多分それがおかしくしてる元だから。日本も同様に私は九州と言う言い方をしてると思う。


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