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西方の中国人

 周王朝Qってのは、夏から続く遊牧血統って視点から再構成されたものになる。ただこれOの遊牧民はいる。ハプロ=絶対的血族集団って思い込みがあるけど、そもそも遊牧民の本場コーカサスではハプログループの境界線は混血まみれだから。J2の昔の形質からJ1ってもっと黒かったと見てる。中東人が中途半端な肌の色じゃないから人種の繋がりって良く分からないんだ。アフリカからでた集団が黒から褐色に成る。この肌の変化が中東に集まればややあさぐろいアジア人だけが黄色人種なんて言われないんだ。茶人が多分過去いたはずなんだ。シュメールはおそらくそういった茶人の文化じゃないか?と見てる。


 エジプトの人種の違いを描いた絵が残ってて、黒人、茶人、白人って並んでる。じゃ黄色人種って何?ってなると、白人が作った世界観だから、中国人しかみてないせい。アジア人南方はもっと黒い。まあ黄色人種とあわせて褐色人種にしたほうが良い。こうなってないのはすべてこの境界線の上の混血にあると見てる。しかもおかしな話で、J1の方がJ2より南に全体的に位置する。J2が地中海に偏ってるから、それでコーカサスと境界に面するJ1の方が白くなったと見てる。結局J2も混じったけどね。


 エジプトの褐色人種はJ2かHか?後は白と黒の混血だと思う。明らかにR1Bの侵食した形跡があるから。欧州における逆転現象。Eが欧州では上に行ったけど、Rがアフリカでは下に行ってる。Rが少数集団なので褐色になったと見てる。すべてドラヴィダが文明を作ったというつもりは無い。ただJ2の可能性もある。ただ今確かエジプトにJ2なんてエジプトを作ったと思えるほどは多くはいなんだよな。J1と見事に住み分けしてるから。といってもJ1がエジプトに侵食したのはイスラム教が原因だけど。


 後遊牧民の生活スタイルの問題だと思う。これは境界線上で常に起こるか?と言うと、遊牧民と農耕民族じゃまた違うと思う。移動範囲が大きくてまとまった単位になりにくいから。とにかく世界中で遊牧民は良く混血する。人種の概念がばからしくなる。


 ただ血族主義は確かにある。ただなんと言うか騎馬民族の方にするけど、この人達多分農耕民族へ攻撃するときだけまとまるんじゃないか?と見てる。パン、汎。この発想が騎馬民族にはある。血族を超えた何か良く分からないもので統一された大集団。この時農耕民族にはピントこない集合になる。


 トルコとモンゴルのハプロで語れない複雑な関係ってここにある。これにコーカソイドが関わる時とんでもなくややこしい事になる。モンゴル帝国のせいでモンゴロイドって言葉が出来たけど、実際は東アジア人を指したものだと思う。遊牧民って人種の概念が滅茶苦茶なのでモンゴル系を代表にスルのは相応しくない。特にトルコは酷い。すでにアジアにいるときにN集団なのに現代じゃ皆無で、Cと区別が付かないから。これが西にいくと白人と混ざって意味不明なトルコ人ってのが出てくる。モンゴル人は歴史が無いから良いけど、それを無視してモンゴル帝国だけに絞ったらモンゴル人も滅茶苦茶混血しまくってる。無理矢理モンゴル語を話すでなんとかモンゴル高原の子孫だけに狭くしてるだけ。


 何故モンゴルとトルコはこうも異質なものになったか?が突厥の前後する中央アジアの国家のせい。モンゴル帝国一瞬過ぎる。何度もトルコ系帝国が中央アジアで立ち上がるから、トルコ語を使う人の歴史が長すぎる。


 複雑極まりないのが、モンゴル帝国の配下だったトルコ系の子孫になるアラブ系のJのティムール。トルコなら良くある事。慣れっこになってる。トルコだからねで私深く考えない。モンゴルも何度も帝国を立ち上げていればこうなっていた可能性はある。当然ティムールはトルコ語だろうなと思う。言語は強いな。


 後満州系はO系がやたらと多いC系が軸となった騎馬集団だしね。私はCとOの境界線に多分Oの騎馬集団、遊牧集団がいたと見てる。それが周王朝の中核をなすO2集団だっただろうと見てる。


 さてここから続きだ。この前置きが必要なのは、秦の始皇帝とは何者なのか?って話しになるから。秦はウイグル、チベットに近い西方の集団になる。形質も青い目だとかそんな伝説もある。だが始皇帝のハプロはしっかりしてる。周系の後継から出た人間となってる。姫氏の末裔とは言わない。


 ちなみに、かりにきょう族の集団を部下にしたと仮定しよう。これなら確実にDが増えている。ここがキーなんだ。だがDはきょう族いがい増えなかった。よって、逆にきょうぞくに周のO系集団が混血したと私は見てるんだ。それぐらいDは分かり易い歴史さえ紐解ける指標になる。大きな集団ではチベットと日本しかなくて、しかも日本とチベットは絶対違うって分けられる分かり易いハプロなんだ。世界のどこにいってもチベット人か?日本人か?が分かるすごいもの。日本に1%以下ならチベット系Dが存在する。でもすぐ分かる。それぐらい異質なんだ。


 その点朝鮮と日本のO1b2はどっちがどっちか分かりにくい。


 中国は劉邦以外にもう1つ大集団があるが、私はしらない鮮卑?この集団知らないし、北魏?この国も知らない。一応中国の歴史、統一国家じゃないのも知ってるが、細かい国まで覚えてない。鮮卑族の北魏の人らしい。これもそうだ騎馬民族、遊牧民族系なのにO2だからびっくりされてる。


 これがハプロを浅く理解してるからこその思い込みなんだよな…。多分満州系じゃないの?詳しくは無いけど、あそこの騎馬民族なんてOの方が多いって指摘したとおりだし。


 満州ってすげー楽だ。滅茶苦茶細かく割れてる中国北東部のツングース系騎馬民族を清がすべてまとめてくれた。代表族はさすがにしってる金や清の母体である女真だな。他にもごちゃごちゃあそこにある。


 さて日本に関係する事でとても重要なのが、秦氏だ。彼らは半島からやってきた。なら朝鮮人だろ?それがそうならない。朝鮮には秦時代の労役逃亡者が作ったとされる辰韓がある。これが後の新羅の母体になる。


 問題はそこじゃない。彼らは始皇帝の末裔だと言ってるんだ。秦人だとは言って無い。冒頭にのべたものは始皇帝個人を特定出来るハプロなのか?違うんだよな。始皇帝はそのハプロに属しますって話しなんだ。


 ただし始皇帝がそのハプロを反映させたのは確か。問題は始皇帝と同じハプロを持った秦って集団は血族じゃなくても要るんだ大量に。


 日本が受け入れた亡命王家って大体出自がハッキリしてる。だが秦氏はかなり胡散臭い。秦人が多いから言葉を話せるだけじゃ胡散臭いだけ。所謂自己申告になる。私はハプロ自体はしっかり出ると見てる。ただ始皇帝の子孫であるか?は胡散臭いと思ってる。


 こういう時あてになるのが一気に増えてるか?だと思う。すごい数の子供作ってその子供がまた一杯作るので一気に増える当然突然変異が生まれる確率が高くなる。あるときを堺に爆発的にハプロが増えていくってなると見てる。系統図みないとなんとも言えない。


 これ今までの話しと繋がるのは、徐福のハプロから秦の始皇帝を引かないといけない。何故か?と言うとそこまで下位のハプロまでわけて集計して無いから。当然混じってるから。


 あれれ山東省出身(徐福)また集団小さくなったよ?ってなってしまう。何故徐福伝説が否定されたか?分かってきたような気がする。私もO1B2が徐福のハプロじゃないと分かると苦しいかも?とは多少思う。



 おっと遊牧民が飛んだな。要するに西方であるあの付近は遊牧系Oが普通にいるんじゃないの?って話し。秦は農業国だけどね。出自が遊牧民じゃないか?といわれていたのはあのあたりの地域的事情になる。後からD、C、Qじゃないからそうじゃないって言うのは遊牧騎馬ハプロってのを決め付けて過ぎてる。


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