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エッセイ集/『鬱』系集  作者: 東雲 流水
第一部(一回目の完結)
8/171

芝居、人生。

人生=道ならば、人生=芝居という考え方もしてみましょう。

繋がりがないのは普通です。人生というのは、繋がりない糸ですから。

茶番である芝居には

一番目立つ主役と

主役を引き立てる脇役がいる


自分の人生だから

自分が主役だ


自分の人生だから

他人が脇役だ


他人の人生だから

他人が主役だ


他人の人生だから

他人が脇役だ


他人の中には

自分も含まれている


明確な主役はいない

明確な脇役もいない


それは

自分以外の自我を知らないから


目に見える自我は

大切にできるが

目に見えない自我は

存在しないものと等しい


自分が主役でない物語は

自分が主役でない人生は

存在しないと言えば

存在しない


でも

全体での芝居の主役は

人生の成功者で


全体での芝居の脇役は

人生の失敗者だ


個人の一人踊りではなく

全体の大きな踊り


踊りに失敗しても

脇役ならば気にされない

全体の芝居の主役である方は注意して下さい。主役は、下手であればすぐに降ろされるものですから。

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