5―8 式神
……呪術師の起源ともいえる、陰陽師と呼ばれた人々が主に使っていたとされるもの、それが式神術である。
紙、人形、土くれなどに術を掛け、生物のように己の意のままに操る術。または、存在する霊や妖怪、鬼などを従える術を指し、今もなお多用される、呪術の代表的なもののひとつだと言っても過言ではない。
そして、煉賀家において式神のエキスパートとされるのが、美咲たちの姉的存在である南雲揚羽その人であり、前者と後者どちらの式神術をも得意としている。そして前者の術で彼女が連絡用にと好んで使うのが、自らの名と同じ揚羽蝶を模した式神なのだ。
とはいえ、携帯電話が普及した現在では、連絡用として式神が使用されることは少なくなっており、そのため二人ともとっさに思い出せなかったのであるのだが……。
「なんで、式神が……?」
呟く美咲の傍らで鳴海が右腕を上げると、蝶はくるりとその場で一回転した後、静かにその指先に止まった。
鳴海が軽く息を吹きかけると、蝶は一瞬にして式神から元の姿へ――一枚の手紙へ形を変える。
美咲は横からそれを覗き込み……驚愕に目を見開いた。
『見回りに出ていた術師たちの連絡途絶。至急、屋敷へ帰還されたし。
――揚羽 』
手紙には見覚えのある達筆な字でそう記されており、それが間違いなく揚羽から届いたものであることを示している。
急いで書いたのか、具体的なことは書かれておらず、それが余計に事態の緊急さを物語っているように思えた。
だが、わざわざ式神を寄越さずとも、緊急ならば携帯で電話かメールをする方がずっと早く連絡がつくし具体的なことも伝えられる。連絡用の式神は数えるほどしか見たことがないうえに、揚羽との連絡は携帯電話でするのが常なのだから、むしろそのほうがずっと自然だ。
嫌な感覚を覚えながらも、美咲はスカートのポケットに入れっぱなしになっていた携帯を取り出し、折り畳み式のそれを開いて……すぐに今まで確認していなかったことを後悔した。
「……圏外…………?」
アンテナは一つも立っておらず、画面に表示されているのは無機質な『圏外』の文字。術師という役目柄、街のことに詳しい美咲が知る限り、圏外となる場所は街外れであっても片手にも満たず、そもそもこんな街中で圏外になるはずもない。
振ってみても、軽く叩いても、一度電源を落としてみても『圏外』の文字は消えず、美咲は自分の中から再び落ち着きが失われていくのが分かった。
「どうして……」
「……美咲さん、それだけじゃないですよ……」
同じく携帯を開いた鳴海が、押し殺したような声で言った。
「時間が、おかしいです」
「時間? …………っ?!」
そう言われて携帯の片隅にある時計に目をやった美咲は、言葉を失う。
――――九時二分。
煉賀の屋敷を出てから、既に三時間近くが経過していた。
「……なんで? 大して家から離れてないのに……私たち、一直線にここに来たはずじゃ……?」
茫然と、美咲は辺りを見る。歩きでも十数分でたどり着く、見慣れた近所の商店街。確かにそうであるはずなのに、何度見ても時計は九時すぎのままだ。
加えて、夜といって差し支えない時刻であるにもかかわらず、辺りは依然薄闇に包まれたままである。……まるで夕方であるかのように。
何故、と疑問ばかりが頭の中を埋め尽くす。しかし、どうしようもないことは美咲にも分かっていた。情報が圧倒的に足りないこの状況で少しばかり考えたところで、何か思いつくわけでもない。
今、美咲たちにできること。それは一刻も早く煉賀の家に帰り、この異常さを報告することだけだ。
「……屋敷に、戻りましょう。できるだけ、早く」
「……ええ」
美咲は鳴海と顔を見合わせて頷くと、二人同時に足を踏み出し――元来た道を走り出した。