5―6 不快
ああ、悔しいんだ。と、何故か鳴海はそう感じた。ただ漠然と、根拠もなく。
そういえば、涙を見た数少ない時も、悔し泣きがほとんどだったと思い出す。
鳴海は、静かに問うた。
「……悔しいんですか?」
「え?」
がばり、と勢いよく美咲が顔を上げた。その目は大きく見開かれ、そのせいで溜まっていた涙が一粒だけその頬を伝う。
街灯の光を受けたそれを、綺麗だと、場違いにも思う。
……わずかに考えこむような沈黙の後、美咲はぽつりと言った。
「そっか、私、悔しいんだ……」
ぎゅ、と掴んだ方の美咲の手に力がこもるのが分かった。
「……あの予感が何なのか分からないのが。それだけのことで取り乱してしまうことが。当主さま――お義父さんたちに心配をかけて、気を遣わせたことが。あと、何より――――綾が何も教えてくれないことが、話してくれないことが、……悔しい」
ぽつ、ぽつと漏れ出た声は小さく、耳を澄まさないと聞こえない程度のものだったが、だからこそそれらの言葉は本心なのだろう、と鳴海は思い――――同時に、不快だとも思う。
それは、美咲がこれだけ気にかけ、心配し、不安に感じているのにも関わらず、連絡ひとつ寄越さない綾に対する怒りから来るものであり。
また、美咲が綾をどこか無条件に信じているらしいことへの疑念から来るものでもあった。
……一週間前、調査の初日に陽方に言われたことを、鳴海は悩んだ末、その夜に美咲に話していた。
曰く、日向と煉賀絢文は友人だったということ。
曰く、煉賀絢文は六年前に既に死んでいるのだということ。
曰く、《睦月綾》と名乗るあの男を信じるべきではないということ――――
それらのことを聞いた美咲は、しばらく考え込んでから口を開いた。
『……たとえそうだったとしても、私は綾を、《彼》を信じるよ。……なんでかな? 綾は私を絶対に裏切らないし、裏切られたとしても――それでもいいって思えるんだ』
淡い笑みを浮かべてそう言った少女に、鳴海は何も言うことができなかった。
……その時、一つだけ美咲に伝えなかったことがある。
曰く、絢文が死んだとされる日に起こったことを……美咲が忘れ、当主が隠しているということ。
だが、ほほ笑む彼女にそのことを問うてはいけない気がして……。結局、それきりそのことについて誰かに話す機会もなく、また美咲に尋ねる勇気もなく、現在に至っていた。
自分は、信じているのだろうか、信じていないのだろうか。いや、信じたいのだろうか、それとも信じたくないのだろうか?
あの男を……睦月綾を、自分はどう思っているのだろう?
「ごめん、鳴海。心配掛けたね」
美咲の声に、鳴海は思考に沈み込んでいた意識を現実に引き戻した。
「いいんですよ。美咲さんの心配をするのが俺の役目ですから」
「どんな役目よそれ」
美咲が吹き出し、つられて鳴海も笑みを浮かべ、夕暮れにしばし二人の笑い声が広がる。やっと、いつものペースが戻ってきたようだ。
すると突然、あ、と美咲が声を上げた。
「? どうかしましたか?」
鳴海が不思議そうに尋ねると、美咲は少し頬を赤らめ、落ち着かなさそうに視線を彷徨わせる。
ますます不思議そうな目を向ける鳴海に、美咲はそっぽを向いたまま言った。
「あー、あの、その…………そろそろ腕、放してほしいなぁ、なんて……」
「っ、すっ、すみません!!」
そう言われてようやく、鳴海はずっと彼女の腕を掴んだままだったことを思い出し……ばっ、と音がしそうなほど大慌てで解放すると、勢いよく手を引っ込めたのだった。
「……そこまで慌てなくてもいいじゃない」
と、その時美咲が呟いたのだが、ひどく動揺していた鳴海はそれを聞いておらず、結局その言葉は誰にも伝わらなかったのは、余談である。