4―13 暴言
スッ、と綾の右手が持ち上げられ、その人差し指と中指の間に透き通る小さな塊が現れる。それが氷でできた刃だと美咲と此方が認識した時、すでに綾はそれを投げ放っていた。
腕をしなやかに曲げ、手・腕全体の反動をも利用して投げられた高速の刃は、吹き抜けとなっている中庭を二階の手すり越しに覗く人へと直線的に走り――止まった。
――いや、正確には止められていた。その人物が顔の前に翳した左手の指に挟み込まれるようにして。被っている帽子にさえ傷一つ入ることなく。
「――え?」
警告を放つ時間もなく、例え発せれていたとしても一般人には到底反応できない速さの凶器を止めた。それはつまり……
「ひどいなあ、声をかけただけでこんな物投げるなんて」
ひどいと思っている様には欠片も思えない声音で彼はそう言うと手を刃から放し、それが二階の床に触れたと同時に踏みつけた。
パリン、と氷刃が砕けた音が残っている間に、少年は手すりを鉄棒のように利用して軽々と中庭に降り立つ。軽くズボンをはたき、目深に被った黒いキャップの位置をずらして片目を覗かせた少年は、警戒する美咲と此方をよそにゆっくりと綾の前に歩み寄り……
「久しぶりだね睦月綾。相変わらずの鬱陶しいその長髪、むしりとってやりたくなるよ」
暴言を吐いた。
一気に顔を青くした美咲となにがなんだかわかっていない此方が、恐る恐る綾の顔色を窺うと……
「ああ本当だな真岸。僕もお前の目に痛い金髪を今すぐ刈り取ってやりたい気分だ」
同じく暴言。しかも滅茶苦茶棒読み。
もう固まったまま成り行きを見届けるしかない美咲たちを置き去りに、綾と真岸という名前らしい少年は会話という形を借りた罵り合いを始めた。
「この神々しい金髪が目に痛いだなんて、よっぽど残念な目をしてるんだね」
「目がチカチカするような髪のどこが神々しいんだ女顔」
「女顔はお互いさまだよ。君なんか喋らなかったらナンパされるんじゃない?」
「顔と身長低いせいでリアルにナンパされた経験がある奴には言われたくないな」
「こっちだって無駄に身長だけ高い奴に言われたくないよ」
「負け惜しみか? チビ」
綾のその言葉が響いた瞬間ぴた、と少年の動きが止まった。
「…………な」
「な?」
「……チビ言うなぁっ!!」
ばんっ、とバネのように少年の体が跳ねて綾に近付くと、その手が握ったものが綾に向けられ――
「あ、いました!」
こちらに向かって発せられた聞き覚えのない声に、少年の動きが止まる。それを視界に入れてすぐ、美咲は声した方向へ振り向いた。やや遅れて此方もそちらに目を向ける。
二人が見たのは、見知らぬ黒服の人物。そしてその後ろにいる陽方と……
「あ」
と思わず口を開けた美咲と同じように、驚いた表情をした鳴海の姿だった。