2―11 探知
妖しく、冷たく、そして美しい月を背に彼は立っていた。
黒髪が月光で輝き、または影に融ける。
白い肌がより一層白く、光と影に浮かび上がる。
綾を含め、外に出た10人の誰一人として口を開かず、痛いくらいの静寂が辺りを包んでいた。
―――いや、正確に言うと綾以外の全員が彼を取り巻く力に呑まれ、言葉を発することが出来ないのだ。
それほどまでに圧倒的な、一種の神々しささえ感じる気配。
その中で、綾が動いた。
「………来い」
そう彼が呟いたように見えた。だがその声は誰かに届く前に掻き消された。―――突然の暴風によって。
「きゃっ!」
「うわ!」
吹き付ける突風に思わず美咲と鳴海は目を閉じた。
ごうごうと唸る風の音が世界を支配し、塗り潰していくのだけを感じ、さらに固く目を瞑る。
すぅ、と視覚を失った空間で何かが動く気配がした。一つではない無数の、カタチがない何かが風の中に潜んでいる。でも………これだけの暴風だというのに、それらに悪意や敵意は覚えなかった。むしろ心地よくさえ感じた。
ふと気付いた時、すでに風は止んでいた。
加えて、辺りに広がっていた気配が綺麗さっぱりなくなっている。まるで、風と共に消え去ったかのように。
「あ、れ?」
おかしい。
さっきまであんなに強い風が吹いていたというのに、何故庭の桜が散っていないのだろう?
今が満開のはずの桜の花は、花びら一つ舞い散ることなく元の姿を保っていた。それに綾のすぐそばにある小さな蓮池にも、わずかな波紋さえ起こっていない。
「誰か、書くものをお持ちの方いらっしゃいませんか」
「あ、私持ってますー」
突然の綾の呼びかけに応えたのは、揚羽。彼女は先程の光景に対しさして驚いた様子がなく、いつもと同じように見えた。
「失礼ですが、今から言うことを書き取っていただけませんか?」
「いいですよ」
揚羽は着物の袖から手帳と鉛筆を取り出すと、綾に向かって微笑んだ。
綾も彼女に微笑み返すと、一息置いてから言った。
「では………
1時の方向、舞桷駅大通り裏路地。23時11分。
4時の方向、葉月南公園入口。21時47分。
6時の方向、葉月神社第二鳥居。1時21分。
11時の方向、北針マンション工事現場。20時49分。
以上四ヶ所、“歪み”の発生予想地と時間です」
「はい、お疲れさまでした。では…」
「ちょっと待て!」
揚羽の言葉を遮って、篝が声を荒げた。
「あんなものが探知術だと!?単に風を起こしていただけではないか!そんなことで“歪み”が探れるわけが」
「では、お聞きしますが。貴殿には単なる風を起こせるのですか?」
綾の辛辣な台詞に、篝は言葉を呑み込んだ。
「それに、もし“歪み”の予測が間違うようであれば、私はここにいません。―――違いますか?」
「そこまで!」
パン、と手を叩いて揚羽が仲裁に入った。
「篝さん、緋荻さん、壬杉さんに小春さん。追って指示を出すと思いますので、客室にお戻りください。綾くんと美咲ちゃんと鳴海くんは私についてきて。では解散とします!」
強引にそう告げると、揚羽は綾を引っ張り奥に行ってしまった。美咲と鳴海は慌てて二人を追いかける。
廊下の角を曲がる時、後ろで憤然とした声が聞こえた気がした。