1―11 恐怖
「帰ってもいい、だって?傲慢にも程があるんじゃないのか」
美咲は驚いて鳴海を見る。彼が敬語を使わないのを聞いたのは初めてだった。
「あくまでお前は雇われてるんだ。辞めさせるかどうかは当主さまが決められることだ」
「それは、僕が当主より弱かったときの話だな」
綾は当然のように言った。そのため一瞬聞き流しそうになったが、意味を理解した美咲は唖然とし、鳴海は眉をつり上げた。
「何だと?じゃあ、お前は自分が当主さまより強いと言いたいのか?」
「さあ?試してみないとわからないな。……ただ、負けることはない。それだけだ」
余裕ある態度を崩すことなく言い切る綾。それがさらに神経を逆撫でたらしく、鳴海からは強い怒りの感情が見てとれた。当主に憧れている彼にとって、当主を見下すような発言は許し難いのだろう。
「そこまで言うんだな」
彼は綾の胸ぐらを掴んで、言った。
「精霊術なんていう、精霊から借りた力で戦う奴がよく言えたもんだ、呪力もまともに扱えなかったくせに―――」
「黙れよ」
空気が、凍りついた。
正確にいうと、そう感じさせるほどの殺気が爆発的に広まったのだ。……先程と何一つ変わらずに佇む、一人の青年から。
「ひとつ、訂正させてもらおう」
絶対零度の殺気に怯んだか、力の抜けた鳴海の手を振り払いながら彼は何事もないかのように話す。
「呪力が扱えなかったんじゃない。……何の因果か、それこそ呪いかはわからんが、呪術抵抗がなかっただけだ」
呪術抵抗とは、名前の通り呪術に対する抵抗力のことだ。それがないということは、かけられた呪術はもちろん己が編んだ術さえ全てが自分に影響を与えることを意味する。呪術は呪力より組み立てられるが、呪術が使えないのと呪力が扱えないのとでは意味が異なる。
それ以前に、呪術抵抗はどんな人であれ生まれつき持っているものなのだ。一般人が誰かに呪われたとしても、ほとんどがそれを感じないように。つまり、呪術抵抗がないことは呪術師にとって考えられないほどの異常なのである。
それを綾は本当に初めと変わらぬ口調で言ったのだ。術師として弱点――それこそ決定的なものとなる事柄を。
「それに、僕の強さが借りものだと言うのなら―――試してみるか?」
と、綾は唐突に放っていた殺気を消した。
空気は全て元通りとなったが、美咲の膝はまだ震えていた。間近にいた鳴海は言うまでもない。
「僕は精霊術を一切使わずに、自分の力と得物だけで戦う。
やってみるか?」
肩に掛けていた刀の入った竹刀袋を示してから、彼は唇の端を少しだけ歪めた。