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不運の王子と幸運の鍵  作者:
2章
5/33

1 不運の王子

 コンコン、コン。

通いの厨房係に教えてもらった王子の部屋の分厚い扉を、シャンテルは控えめに叩いた。しばらく返事を待って佇むが、一向に答えはない。

(……もしかして、まだ眠ってるのかしら)

どうしよう、と抱えた銀製の盆を見て、シャンテルはしばし迷う。

(まあ、お見舞いくらいしたっていいわよね。一人で食べるにはこの量は多いし)

従者たちも付き添っているはずだし、実感はまだわかないにしろ、シャンテルは王子の婚約者という立場でもある。部屋を訪ねても無礼にはあたらないだろう。

そう答えを出し、そっと扉を開けてみる。すると、中からは存外に元気な声が漏れ聞こえてきた。

「――俺は目がいい。夜目だってわりときく。リークが先輩騎士に喧嘩で負けて、嫌がらせに没収された騎士章を夜中に倉庫から見つけてやったのも俺だっただろう」

「いつの話だ! 第一、今はお前の不注意に対する説教をしてるんだぞ。そういう話をしてるんじゃない。話を逸らすな!」

「何を言ってる、そういう話だ」

 茶器を乗せた盆を持ち、慎重に歩みを進めるシャンテルの所作は、自然と静かなものになっている。そのせいか、賑やかに言い合う男たちは、近付くシャンテルの気配にまったく気付いていないようだった。この分だと、ノックの音も聞こえなかったのだろう。

「いいか、リーク。お前が何と言おうと、昨晩の俺は幸運だったんだ。なんたって、会ったその日に婚約者のスカートの中身を見ることができたんだからな!」

 広いベッドの上に半身を起こし、従者二人を侍らせた王子は無駄に堂々と言い切った。

 思いがけない言葉に手にした盆を落としそうになり、シャンテルは慌ててそれを持ち直す。乗せた茶器がガシャンと尖った音を立てた。

 その音で、男たちはようやくシャンテルの存在に気付いたらしい。見事に揃った動きで顔を向けてくる。

「あ、シャンテル。いらっしゃい」

 驚く気配もなくのんびり挨拶するエリカに、気まずげな表情をして視線を逸らすリーク。王子はといえば、シャンテルを見つめたまま、凍りついたように微動だにしない。

「…………見た、のね?」

 たっぷり間を取って問いかけると、硬直していた王子の肩がびくりと跳ねた。穏やかな微笑を浮かべるシャンテルにかえって薄ら寒いものを感じているようだ。

返事を促すように小首を傾げて見せると、王子は違うんだ、と顔の前で手を振って言い募る。

「いや、たしかにちょっと得したと思ったのは事実だが、決して不純な気持ちじゃないんだ! これはあれだ、青少年としてのむしろ純粋な……純粋な、その、なんだ」

「純粋なスケベ心だよね」

「そう、それだ!」

「……いや、駄目だろ、スケベじゃ。言い訳になってないぞ」

 くだらないことを口々に言う男たちに、シャンテルはがっくりと肩を落としてため息をついた。ばかばかしくて怒る気にもなれない。

 ため息を怒りと捉えたのか、王子は鮮やかな水色の目で窺うようにシャンテルを見上げる。その顔色は元気そうな声や態度とは裏腹に青白く、昨夜の行水が応えていることは明らかだった。

「……まあそんなわけで、君の災難を喜んでいるわけじゃないんだが……女性としては腹が立つだろう。だから見てしまったことは謝る。すまない」

 神妙に詫びる王子に対し、シャンテルは返事の代わりに手にした盆を突きつけた。

 ぱちぱちと瞬く水色の目に呆れ半分に笑いかけ、シャンテルは言う。

「とりあえず、お茶にしましょう。厨房を借りて作ってきたのよ」

 盆の上のスコーンと茶器を示すと、王子はきょとんとシャンテルを見上げたあと、人懐こい笑顔を浮かべた。


「平たく言えば、俺はものすごく運の悪い男らしい」

 スコーンと一緒に作ったホットジンジャーを舐めるように飲みながら、あっけらかんと王子は言った。

「……それはつまり、昨日みたいなことが頻繁にあるってことかしら?」

「そうなるな。……しかし、君は料理がうまいなぁ。スコーンもこれも、すごく美味い」

 どうやら熱かったらしく、淡く湯気を立てるカップをふうふうと吹きながら彼は言う。王子のベッドの傍らに腰掛けたシャンテルも同じものを飲んでいるが、特別熱くは感じない。どうやら王子は猫舌らしい。

「……ありがとう。でも、どっちかって言うと、その『運』について聞かせてもらえないかしら」

 料理ともいえない簡素な菓子と飲み物を満更世辞でもなさそうに褒めてくれるのは嬉しいが、今はそれよりも聞きたい話があった。

 促すと、王子は「おもしろい話でもないんだが」と前置きしてから、自らの半生を語り始めた。


 もとより彼――アリステア・ノエル・エリファス・ロアは、運の悪い性質だった。

 ロア王家の二子としての生まれは、幸運なものと言えるだろう。国勢は穏やか、統治者である父は磊落な人物で、母は優しく聡明だった。兄は奔放な性格で、振り回されることも多かったがそれなりに仲は良く、家族にも恵まれていたと言える。

 だが、どうにも運は悪かった。烏に出会えばつつかれ、穴があればはまり、出かければ雨だの雷だのに遭遇する――そんなことが幼い頃からかなりの頻度で、彼の身には起こった。石だの物だのにもよく躓いて転んだし、運に左右されるカードの類もすこぶる弱かった。細かいものを上げればきりがない。

 世の中には、運の強い人間がいる。好き勝手に生き、時に相当に無茶なこともしでかす割に飄々と世の中を渡っている兄などは、その最たる例だろう。同じように、運の悪い人間もいる。それだけのことだ。淡い諦めと共に、彼はそう思っていた。

 日々の生活に不満はなかった。ふりかかる災難はどれも『ついてない』という言葉で片付く程度のささいなものだったし、周囲の環境にも恵まれていた。だから、親しい従者に言わせれば鈍い彼は、いつしか加速していた自らの『不運』に、なかなか気付くことができなかった。

 その不運が、他人に被害を及ぼすまでは。


「……被害?」

「俺が以前、ユーリ=プテルスの末の姫――シリエル皇女と婚約していたことは知ってるかな?」

「ええ。なにか事情があって、解消してしまったって聞いたけど」

 あれはシャンテルがまだ学院にいた頃だから、一年以上前の話だ。

もともと、大陸の三分の一を占めるユーリ=プテルス帝国の姫と、理想郷アヴァロンと称されることはあれど、ユーリ=プテルスに比べればちっぽけな島国に過ぎないロア国の王子の婚約は、帝国の民には不服なものだったようだ。

ユーリ=プテルスの国民がほとんどを占めていた学院では「あんな不釣合いな婚姻が成り立つはずがなかったんだ」と勝ち誇った顔をする者が多く、ロアの民であるシャンテルは婚約を破棄した姫に密かに腹を立てたものだ、と、当時のことを思い出す。

 ――その姫が、王子の『不運』となにか関係あるのだろうか?

 シャンテルが浮かべた疑問符に気付いたのか、王子は明るい容貌に似合わない、自嘲めいた笑顔を作って言葉を続ける。

「表沙汰にはなっていないが、婚約解消の理由は俺の『不運』だ。俺と一緒にいるときばかり、彼女を危険な目に遭わせてしまってな。カードに負けたり雨に降られたり程度ならよかったんだが、命まで危険に晒してしまっては、俺のことが嫌になっても仕方ない」

「命って……」

 一体どんなことがあったのだろう。

 言外に問うと、王子は記憶を探るように天井を見上げ、指を折りながら呟く。

「脳天から植木鉢が落ちてきたり、突風で折れた木の枝が飛んできたり……訓練の兵士の射った流れ矢が飛んできたりもあったな。他には、舟遊び中に船が壊れたり、遠乗りに出かけたときに馬が急に暴れて森で一昼夜迷ったり、あげく熊に襲われたり……」

「熊!?」

 仰天し、思わず大きな声が出る。学院で受けた嫌がらせにより、多少の危険にはなれているシャンテルだが、さすがに熊は怖い。お姫様なら尚更だろう。

「皇女が魔法の心得のある人だったから助かったが、そうでなければ守れた自信はないな。……とにかく、そんなことが重なって、俺も誰かの近くに居るのが――俺のせいで誰かを危険に晒すかもしれないと思うと、怖くなってしまってな。それで、なるべく人の集まる場所を避けて、ここで生活するようになったんだ」

「ちなみに、僕とリークはアリスのお目付け兼護衛役だよ」

「……護衛が先だろうが、バカ」

「リーク、いいこと教えてあげようか。ばかっていう方がばかなんだよ?」

「どっちが先に言おうとバカはバカだ!」

「……まあ、とは言っても、こんな風にわりと賑やかに、楽しくやってる。ここは地味だが、土地柄は悪くない。村の人に通いで手伝いにも来てもらっているし、生活の不自由も少ない。厨房係の婦人もいい人だったろう? 君も馴染んでくれるといいんだが」

 にわかに口げんかを始めた従者たちを示して、王子はようやく自嘲とは違う、明るい笑みを見せた。

吊り気味の目元を和ませた王子に、シャンテルもどうしてかほっとする。明るい色の髪と瞳、少年と青年の狭間にある、すらりと快活そうに伸びた手足を持つ王子には、影のある表情はそぐわない。

 そして、今の王子の話から、自身の招かれた理由にようやく見当がついた。思いついた答えが正解か確認するため、王子に向けて問いかける。

「……それじゃあ、私があのよくわからない『運試し』で選ばれたのは、やっぱり」

「――『金の林檎』」

「!」

「君にぴったりな二つ名だな」

唐突に意外な呼び名で呼ばれ、シャンテルは目を瞠って王子を見つめる。

 あまり好きではないあだ名に無意識に眉を寄せたシャンテルの視線にも、王子は揺るがない。鮮やかな水色の目で、泰然とシャンテルの目を見つめ返してくる。

「俺ももう十八だ。立太子の儀も先送りにしてはいられないし、遠からず妻も迎えなければならない。……なら俺は、俺の不運に負けない女性に、傍にいてほしい」

そこで一旦言葉を区切り、王子は深く微笑んで、こう告げた。

「つまり俺は君に幸運の女神に――俺にとっての『金の林檎』になってもらいたいんだ」

 自らの予想が外れていなかったことを知り、シャンテルはゆっくりと肩を落とした。……例えば熊に襲われたとして、自分の幸運は太刀打ちできるだろうか。熊に。正直言って、自信がない。

王子の言葉にどう答えたらいいものか分からず曖昧に笑ったシャンテルは、胸中でこっそりとため息をついた。……先が思いやられる。

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