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不運の王子と幸運の鍵  作者:
3章
15/33

5 森の奥へ

 最初に予想した通り、館の後庭はずいぶん広いようだった。

 ずんずんと、お嬢様にあるまじき勇ましい足取りで先を歩くマルティナの後ろで、シャンテルはきょろきょろと周囲を見渡した。広葉樹が多く植わった庭は、小さな森といってもいいほどに緑の密度が濃い。うっそうと繁った葉に日も遮られ、午前だというのに辺りは薄暗かった。

 周囲より一段高くなった道を整えたのは、もうずいぶんと昔のようだ。みっしりと生えた下草がそれを物語っている。人のまばらな館の更に奥とあれば、通る人は多くないのだろう。

 高低差の激しい足元に注意しつつ歩いていると、これまでずっと不気味に沈黙していたマルティナがようやく口を開いた。

「このあたりは、夜中になると人の声がするらしいわよ」

「…………」

「その昔、ここは不遇の王子が無実の罪で幽閉されていた場所だったんですって。この先に塔があるでしょう。そこで死期を迎えた彼の霊が、夜な夜な庭をさ迷っているとか」

「……やめてよ。くだらない」

 信じるわけではないが、怪談はあまり得意ではない。

 面白がらせるのも癪なので、出来るだけ冷静な、呆れた口調を装って言うと、マルティナは不意にぴたりと足を止め、シャンテルを振り返った。

 怖がっているのがばれてしまったのか、とぎくりと構える。だが、シャンテルの予想に反して、マルティナは真剣な目でひたとシャンテルを見つめていた。そして、言う。

「あなた、やっぱり帰る気はないの?」

「……ええ。ないわ。帰らない。帰るのは嫌よ。だって私、まだ何もしてないもの」

 そう、自分はまだ、何もしてない。何が出来るのかはわからない。何も出来ないのかもしれない。――それでも。

「何の努力もせずに、ただ諦めるのはもう嫌なの。あなたが――他の誰が何て言ったって、私はまだ帰らないわ」

 少なくとも、アリスはシャンテルに気持ちをくれた。それは、そう、確かにシャンテルを救ったのだ。それに報いることもせず、彼の抱える問題を見なかったことにして、ただ逃げ帰るなんて格好悪いことが出来るわけがない。――それに何より、シャンテル自身の気持ちが、ここを離れたくないと言っている。

「……そう。じゃあ、私ももう、遠慮はしないわ」

 淡々とした静かな声で呟いて、マルティナは視線を伏せた。

「いきなり現われたあなたになんて、あの人は渡さない。私の方がずっと前から――私はずっと、あの人を――」

 口の中で呟く声は小さく、聞き取れなかったシャンテルは、マルティナとの数歩の距離を更に詰めた。そのシャンテルの腕を、突然顔を上げたマルティナはぐいと強く引く。ふらついた体を、今度は後ろに突き飛ばされた。

「……え?」

 思いがけないマルティナの行動に、ぽかんと見開いた目に映る世界が反転する。

 声を上げる間もなく、シャンテルは木々の背後、低くなった段差の向こうへ転がり落ちた。とっさに受身を取って、故意に後ろへ転がるようにして衝撃を殺し、起き上がる。

「……もう、なんなのよ……っ痛!」

頭は無事だったものの、衝撃を和らげるためについた手の角度がよくなかったのが、ずきりと嫌な感じに左の手首が痛む。どうやら捻ってしまったらしい。

「……これじゃ登れないわね。下からでも戻れるかしら……?」

 痛めた腕では、シャンテルの背と同程度ある段差を登り、道に戻るのは難しそうだ。

 念のため見上げた道の上には、すでにマルティナの姿はない。落ちたシャンテルを確認することもなく、どうやら館に戻ってしまったようだ。

(アリスの手前、私が勝手に落ちたことにでもして、助けは呼んでくれるでしょうけど……いつになるかわからないわね。どうしようかしら)

 大人しく待つか、自力で戻るか。考えつつも、シャンテルはため息をつく。油断していた。手の出る喧嘩などしたこともなさそうなお嬢様に、こんな真似をされるとは思わなかった。どうやら彼女は本気で自分を憎んでいるらしい。

(……王太子妃の身分って、そんなに魅力的なものなのかしらね? 公爵令嬢だって、充分に雲の上の人じゃない)

 裕福とはいえ一介の商家の娘であるシャンテルには、どちらも同じようなものに思える。もっとも、立場も変わればその差は大きなものなのかもしれないが。

「くけ!」

「きゃあ!?」

 立ち尽くすシャンテルのポケットから、ぽんと勢いよく、光る物体が飛び出した。

 唐突な鳴き声に跳ねた心臓を押さえつつ、シャンテルは思い出す。そういえば、エリカがタマオを付けてくれていた。

「くけけ」

 ふわふわとシャンテルの周りを数回漂ったあと、タマオは森の奥へ進んでいく。呆然と見ていると、先の方で動きを止めて、付いてこい、とでも言うように瞬いた。

「……あの、塔……?」

 タマオの進む先を見上げれば、木々の隙間から細長い塔が見えた。タマオは頷くように上下に揺れると、更に先へ進んでいく。

「……あの塔、きっと誰か居るのよね? だとすれば、手くらい貸してくれるわよね」

 リークが近寄るなと言っていた気はするが、こういう事態だし仕方がないだろう。館の敷地に住まっているのだから、そうそう危険な人物でもないはずだ。きっと、シャンテルに対してそうするように、リークが毛嫌いしているだけだろう。

 タマオに導かれて塔へと足を進めながら、それにしてもとシャンテルは思う。

「ここへ来てから、自分の『幸運』に自信がないわ。力は打ち消しあうって、こういう意味かしら……」

 薄暗い森でひとり呟いて、シャンテルは深くため息をついた。


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