4 お嬢様の挑戦
翌朝から、マルティナの嫌がらせが始まった。
砂糖壺の中身を塩に替えて渡してきたり、転んだふりをしてケーキをぶちまけてみたり、「ちんちくりん」と書かれた矢文を射掛けてきたり(矢尻は摩擦されたものだったが)、その手段は意外と地道なものだ。学院での嫌がらせを思い出したシャンテルは、いっそ懐かしい気持ちにすらなった。だが、その嫌がらせの結果の全てがシャンテルではなく、アリステアに降りかかっているという状況は、いささかよろしくない。
「なんか、空回りっぷりが面白いねえ、マルちゃん」
「……マルちゃん?」
「マル様の妹だから、マルちゃん」
「……マル様?」
「……変なあだ名を付けるな。仮にもうちの主筋だぞ」
いさめるリークに応えた様子もなく、エリカはのんびりと伸びをしている。
「僕には関係ないしー。魔法使いは契約を守るけど、他は気まぐれなんだよ」
「魔法なんてろくに使えないくせに……」
そんなエリカが唯一使える魔法の結果であるタマオは現在、テーブルの上に置かれたクッキーをもそもそと齧っている。食事までするとは、ますます光球ではない。……うん、やっぱり、生き物っぽい。
正体不明のタマオをぼんやり眺めつつ、シャンテルは話題を変える。
「それより、アリスは平気なのかしら……。見事に私の身代わりになってるけど」
「まあ、今んとこ怪我もないし、もともと運は悪くてもアリスは丈夫だからさ。精神的にもタフだし。大丈夫だよ」
「そういう問題じゃないでしょう」
「運が強いのはマルちゃんもだから、大丈夫なんじゃない? マルちゃんもアリスに直接手出しはしないだろうから、今みたいにしてれば心配ないよ」
テラスでテーブルを囲むシャンテル達の視線の先では、アリステアとその腕に絡みつくようにしたマルティナが、揃って庭を散策している。花壇に咲く花を示して笑うマルティナは、こうして見る分には非常にかわいらしく、それに応えるように微笑むアリステアともお似合いだ。「ちんちくりん」な自分と並ぶより、確実に絵になる光景だろう。
(なによ。べつに、私じゃなくてもいいんじゃないの)
拗ねるように思ってしまい、そんな自分にシャンテルはため息をつく。アリステアのために出来ることはなにか、一晩考えてはみたものの、まだ何も浮かんでいない。怒る権利はまだないだろう。
ひそやかにため息をつくシャンテルの前で、リークが急に席を立った。
なんだろう、と背後に視線を向ければ、そこには今日も気取った服を纏い、無駄に華やかな笑みを浮かべたマルシリオが立っていた。
「おはようございます、マルさ――マルシリオ様」
「おはよーございまーす」
先ほどの会話につられたのだろう、おかしなあだ名を口走りそうになったリークをからかうように見つめながら、エリカは間延びした挨拶をした。
座ったままのエリカを見てどうしようかと一瞬迷うが、まあ一応礼儀だし、とシャンテルはリークに倣い、席を立った。スカートの裾を持ち上げ、軽く礼をする。
「……おはようございます。昨日は乱暴な真似をして申し訳ありません」
「いや、こちらこそ申し訳なかった。これでも僕も殿下を案じているんだ」
テーブルを蹴り上げた行為だけは一応詫びておくと、マルシリオは存外素直に自分も非を詫び、手を差し出してきた。本心の在り処はわからないが、妹よりは大人な対応ができる人物のようだ。
和解の握手なのかと差し出された手を素直に取れば、マルシリオは笑みを深くしてシャンテルの手を持ち上げ、口付けた。
「マルシリオ様……それは一応、殿下の婚約者ですので。あまり親しげな行いは……」
「うわぁ、騎士ってやっぱり気障だよねえ。ひゅーひゅー」
苦々しく諌めるリークに、混ぜっ返すのはエリカだ。当のシャンテルはと言えば、そうか、リークの主筋なのだから、アルティエリ家も騎士の家系なのか、と、手を取られたままぽかんと考えていた。と、その時、背後から肩にふわりと手が乗せられた。
「――仲直りも済んだようで、何よりだ。俺たちにも茶をもらえるかな」
にっこりと笑んで、庭から戻ったアリステアは言う。その表情はいつもどおりの明朗なものだが、どうしてか今に限っては、薄ら寒いものを内包しているように思える。
「お、おや、殿下。おはようございます」
マルシリオもアリステアの笑顔に微妙な違和感を感じたようだ。そそくさとシャンテルから離れ、リークの引いた椅子に座る。
「ねえ、アリステア様。私、もっとお庭の奥まで入ってみたいですわ」
同じくテーブルにつこうとしたアリステアの腕を引いて、マルティナは言った。遠まわしに二人きりになりたいと訴えるマルティナに、シャンテルは思わずむっとする。
「あまり我侭を言うものではないよ、マルティナ。庭なら後でリークか僕が」
「お兄様は黙ってらして!」
諌める兄を逆に怒鳴りつけたマルティナは、アリステアの後ろからシャンテルを睨みつけ、それでは、と挑むように言う。
「――シャンテル様、ご一緒してくださらない? お兄様とは済んだようだし、私とも仲直りをかねて、どうかしら」
「マルティナ、それなら後で、俺も一緒に――」
「……いいわ。行きましょう」
「シャンテル?」
心配そうな視線をよこすアリステアに笑いかけてから、あくまでにこやかに微笑むマルティナをまっすぐに睨み返す。言外に逃げるのかと言いたげなその笑顔に、負けるわけにはいかない。
(嫌がらせの件もあるし、話は早いほうがいいわよね。……受けて立とうじゃない)
庭に足を向けたシャンテルの服の裾をひょい、とエリカが引っ張った。振り返ったシャンテルだけに聞こえるように、彼は小さく囁く。
「奥は暗いから、タマオ連れてきな。何かあったら、気配も追えるから」
「……わかったわ。でも、そんなに心配しないでも大丈夫よ。私、けっこう腕っ節は強いもの。少なくとも彼女には負けないわ」
「それは知ってるけど、念のため、ね」
こそこそと言葉を交わすシャンテルとエリカを、先に立ったマルティナが訝しげに見つめている。その視線に、シャンテルはタマオをポケットに突っ込んで、慌てて彼女の後を追った。