6 幸運と不運
「過分に寄った力同士は打ち消しあうことがある」
館の一階、薬品庫らしい奥まった一室。
文字や数字を書き付けた紙片や様々な器具が無造作に散らばった作業台に腰掛け、数種類の薬草をすり鉢で混ぜ合わせながら、リークは淡々と、教師のような口調で言った。
「俺たちが運の強い娘を探していた理由の一つはそれだ。アリスのもたらす不運から自分の身を守れる娘。そして、自らの幸運でアリスの不運を打ち消すことができる、そんな娘が欲しかった。お前の幸運とアリスの不運――今回は、アリスが勝ったみたいだが」
期待外れだと言いたげに、リークはひとつため息をついた。
嫌味な態度に反射的に腹が立つが、アリステアに庇われ、怪我を負わせたあげく自分も打ち身を作っていては、反論のしようもない。
むっつりと黙り込むシャンテルをよそに、リークは慣れた手つきですり潰した薬草を小さく切った布に乗せ、湿布を作った。視線は手元に注いだまま、シャンテルに向けて言い放つ。
「できたぞ。服を脱げ」
「……戻った途端にこんな衝撃的な場面に出くわすとは思わなかったよ。リーク、欲求不満なの? だとしても、その誘い方はどうかなぁ」
リークの直入すぎる台詞と共に扉を開けたエリカは、相変わらずぼんやりとした無表情のまま、哀れむような諭すような言葉をリークに向ける。
「患部を出せという意味だ!」
弁解するようにリークは怒鳴る。怒りよりも焦りを多く含んだ声にとりあえず溜飲を下げたシャンテルは、彼の言葉に従い、袖の膨らんだブラウスの襟元を寛げる。すると、古びた長椅子に座るシャンテルに歩み寄ったエリカが、椅子に備えてあったクッションをひょいと渡してくれた。
「シャンテル、小さいわりには胸、普通にあるから。リークには目の毒。隠しときな」
「こんなちんちくりんに何も思うか! つーかそれお前こそ見てるだろうが!」
「……できれば二人とも見ないでくれるとありがたいんだけど」
乾いたほこりの匂いのするクッションを胸に抱え、冷ややかににシャンテルは呟く。
「そうだね、君はアリスの婚約者だし、紳士的に振舞わなきゃね。ねえ、リーク」
「だからなんで俺に振るんだ……」
「アリスは部屋に運んどいたよ。こぶは出来てたけど、他は多分へいき。むしろ、シャンテルの心配してた。ごめんってさ」
がっくりと肩を落とすリークを無視したエリカは、誰にとも無くそう告げて、シャンテルの隣に腰を下ろした。ん、とリークを促すように手を差し出す様子を見るに、湿布は彼が貼ってくれるつもりらしい。リークよりは気楽だし、と促されるまま背中を向ける。じんじんと熱を持った背中にひやりとした湿布が当てられた。
「魔法で治せばよかったのに。痣になるよ、これ」
「こいつ、妙に魔法の効きが悪いんだよ。魔力持ちでもないらしいのに」
「ただの打ち身だもの、大丈夫よ。大したことないわ。ありがとう」
背中をしまいつつ二人に向けて礼を言うシャンテルを、リークはどうしてか眉を寄せて見下ろした。よく見せる不快を示すためのものではなく、むしろ案じるような表情を疑問に思い、シャンテルは首を傾げる。
「……なに?」
「あいつと居ると、これからもこういうことが起こるぞ。アリスの傍ではお前の運も絶対じゃない」
「……言ったでしょ。これくらい大したことないわ。いちいち絡むわね、あなた」
むっとして、見下ろしてくるリークの視線を跳ね返すように睨み上げる。
「じゃあ、『大したこと』になったとき、それでもアリスを責めずにいられるか?」
「当たり前よ。不運はアリスのせいじゃないもの。それを責めるほど狭量じゃないわ」
「……即答できるのがわかってないってことなんだよ、『幸運の鍵』」
は、と嘲るように息を吐いて、リークはくるりと扉へ足を向ける。アリステアの治療へ向かうのだろう。
その背が扉の外へと消えてから、シャンテルは怒りに震える声で呟いた。
「だからなんであの人はああやってつっかかるのよ……!」
「リークは心配性だからねえ」
「それはアリスに聞いたけど、やっぱりそれだけとは思えないわ。早く出て行けって感じじゃないの。連れてきたのはあの人なのに」
のんびりと答えるエリカに、つい八つ当たりじみた言葉が漏れる。
「どうどう、シャンテル。……リークにはさ、アリスのために出来ることがもう、あんまり残ってない。だから焦ってるのもあるし――あれでも君に期待してる」
「……とてもそうは思えないけど」
「予防線を張ってるんだよ。あいつはさ、期待して裏切られるのが嫌なんだ」
「…………」
その気持ちだけはわからなくもない。どうせ駄目だと諦めれば、かえって気分は楽になる。遠巻きにされ、友人の一人もできなかった学院では、シャンテルもいつも心でそう呟いていた。諦めよう。何をしてもどうせ無駄なのだから、と。
「……じゃあ、私がアリスのために出来ることはなにかしら。結局、今日は私を庇ったせいで怪我をさせてしまったし」
腹立ちが収まれば、鍵としての役割を果たせなかった不甲斐なさがこみあげる。
俯くシャンテルの頭をぽん、と撫でて、エリカは慰めるように言った。
「そうやって思ってくれるだけで充分だよ、今はね。時がくれば、君の役目はおのずと見えてくる。……なんたって君を招いた『運試し』は、あの腰の重い人が仕掛け人なんだ」
後半はひとり言のような呟きだった。
きょとんと振り返った先、エリカの紫の目は嵌め殺しの窓の外、うっそうと広がる森の奥――細長い塔を映しているように見えた。