序章
男の胸元で揺れる小さな鍵に、シャンテルは目を奪われた。
鍵自体に目立つ特徴はなかった。持ち主である男にも。ただ、男の白に近い金の髪と、控えめなきらめきを放つ金色の鍵の取り合わせは、やけに強くシャンテルを引きつけた。
「……この『鍵』が気になるの?」
かけられた声に、無意識に男と鍵を見つめていたことに気が付いて、慌てて頭を横に振る。この宿の支配人の娘であるシャンテルは、直接に客の応対をすることこそ無くとも、客を不躾に見つめるなという教え程度は受けていた。
だが、男はシャンテルの否定など気にも留めない。
口元に優しげな笑みを刻んだ彼はゆっくりとシャンテルに歩み寄り、旅に疲れた外見とは裏腹に軽やかな声で、歌うように言葉を続ける。
「嘘を言うなよ、見てたじゃないか。もっとよく見たくはないかい? 金色のお嬢さん」
自身も金髪のくせにシャンテルをそう呼んだ男は、首に下げた鍵を指でつまみ、猫を誘うようにわざとらしく揺らして見せる。
からかいを多分に含んだその仕草に腹が立ち、踵を返そうとしたシャンテルに、男は強情なお嬢さんだなぁ、と笑った。そして、背中を向けたシャンテルの首に、鍵が結ばれた細い紐をふわりとかける。
こんなもの、いらない。
そう言って付き返してやろうと振り返った手の中で、鍵はぽう、とほのかに熱を持ち、淡い光りを放ち始めた。
困惑して男を見上げれば、彼もまた驚いたように水色の目を丸く瞠っている。
声を上げることもできず、昼日中の広間ではかすんでしまうほどの淡い光に魅入られたように、シャンテルと男は息を潜めてじっと静かに、鍵を見つめる。
やがて小さな温もりと光が、鍵と共にシャンテルの胸の奥へ吸い込まれるように消えたとき、男はぽつりと呟いた。重い荷物を下ろしたように。
「――君は守人に選ばれたんだな」、と。