戦士ラインの剣 4
少女がにこにこしながら剣を差し出してきて、主人は戸惑った顔でそれを受け取った。女戦士は微笑みながら少女の事を見つめている。
――ファンゴの剣……。
キラキラと輝く少女の瞳を見つめながら、主人はなんとも言えない気持ちになっていた。
それほどの事をしたとは思っていなかった。――いや。正直に言えば、今だって大して悪い事をしたとは思っていない。ほんの一言、誰それの剣だと添える事で、思ったよりも客からの良い反応を得る事が出来た。だいたい、名前につられて買っていく客の方にも問題があるし、ボッタクリというほどの高い値段を付けている訳じゃないし、それに手抜きをして作っている訳じゃないし――。まるで言い訳でもするようにそこまで考えて、主人はやけに胸がざわつくのを感じた。
腕の中の小さな剣に目を落とす。
――あれから十一年、これほどの剣は一度も作れていない……。
忙しさの中で、貧しさの中で、何かを忘れてはいなかっただろうか? 日々の生活や暮らしに虚しさを感じて、大切な物を失いはしなかったか?
「おじさん」
声をかけられ、主人ははっと顔を上げた。
「おじさんにお願いしたい事があるの」
「お願いしたい事?」
主人がおうむ返しに聞くと、少女はこくりと頷き、少し不安そうな表情を浮かべながら上目遣いで見つめてきた。
「実は、とっても大切な剣が壊れてしまったの」
「剣が壊れた? ……ああ」主人は直ぐに、少女の言わんとしている事を悟った。「うちで修理を出来ないかということか……。勿論、直せる物は直すが、一体どんな風に壊れたんだい?」
「刃が、折れてしまったの……」少女はそう言いながら、自らの体に紐でくくりつけていた大きな長い包みを、背から下ろした。
「刃が折れた、か……」
――剣だったのか。
主人は、巻かれた布をほどいている少女を見ながら思った。店に入って来た時から、一体何を背負っているのかと訝しく思っていたのだ。
「まぁ、刃が折れたなら、新しい物をつけてやれば良いだけだ、が――」主人は、少女のほどいた布の中から出てきた物を見て、目を丸くした。「こ、こ、これは……」
それは、少女が使うには大き過ぎる剣だった。だが、主人が驚いたのはそれが理由ではない。
今は鞘に納められて見ることが出来ないが、おそらくその刀身は研ぎ澄まされて、気品さえ感じさせるような美しい輝きを放っているはずだ。柄に施された繊細な細工は、実戦で脆弱性を露呈する事なく、使う者の手に素晴らしく馴染むという。そしてその柄には、おそろしく濃い青色の石が埋め込まれていた。
――命の石。
国のほぼ中心に位置するカルカッチャ山の麓から産出される「命の石」は、かなり強い魔力を含んでいるという事で、闇の王国最大の輸出品となっている。最近では、例の「悪魔の兵隊」を作る材料としての用途の方が有名になりつつあるが、本来は魔力増大の為の装飾品、武器や防具、あるいは占いの道具などに使われる事が多かった。その中でも、ある世界最高峰の職人技術を持っている部族の作る作品は、その数の少なさも手伝って、庶民の手には入らぬどころか、目にも入らぬほど希少で価値があるものになっていた。
――カルバトの剣。 カルバト族の生み出した、至高の剣。
しかも、これは……、
「赤の大臣……ラインの使っていたものだ……」
主人が愕然として呟くと、隣から感心したように、
「ほう…。良く知っているじゃないか」
と聞こえてきた。
確かに、今までの武器に対するいい加減な知識を考えてみれば、主人がそんな事を知っている方が不自然である。
「おじさん……。これなの」少女が剣を鞘から引き抜いた。「直せるかしら?」
主人は更に目を見開いた。至高の剣とまで呼ばれたその剛剣の刃は、半ばほどでバッキリと折れてしまっていた。
「そ、そんな……。カルバトの剣が折れるなんて……」
主人の愕然とした表情を見て、少女は不安そうな瞳を向けてくる。しかし、彼は目の前の景色に集中する事が出来ず、その意識は頭の中によみがえった恐ろしい風景の中にいた。
地に転がる無数の死体。その、見るものを呪い殺さんとするような苦悶の表情。
――わー……。わぁぁ……。
耳の奥に、人々の叫び声が聞こえてくる。あの吐き気のするような「奴ら」の腐臭さえもよみがえってきて……。
――死にたくない。死にたくない。
一心にそれだけを思い、走っていた。共に逃げていた者は、一人減り、二人減り、いつの間にか横に並ぶ者は誰もいなくなってしまった。遥か前方を一人の若者が走っている。主人は彼を追いかけるように走っていて、何としても離されるまいと必死になっていた。しかし、体力にはそこそこ自信のある主人も、かけっこなどしなくなって数十年になる。さすがに若者の足とは比べ物にならず、もつれる足を必死で動かしても、相手の背中はどんどん離れて行くばかりだ。
――死にたくない。死にたくない。
滝のような汗が目に入って視界が霞み、肺は焼け付くように痛い。それでも主人は走り続けた。それは、離れて行くとはいえ、まだ同じように必死で逃げているあの若者の背中に励まされての事でもある。ところが、
「――!」
協会のような白い建物の角を曲がった若者が、突然仰向けに倒れた。主人はピタリと立ち止まる。建物の陰からは、若者の上半身だけが万歳をするように見えていて、それがピクリとも動かない。主人の心臓は弾けんばかりに高鳴っている。その時――、倒れた若者を踏みつけるように、「奴ら」が現れたのだ。青い石が不気味に、その胸で光を放っている。
彼は慌ててきびすを返した。「奴ら」の足はそれほど早くはない。足は既に棒のように感覚がないが、まだ、諦めきれない。
――死にたくない。死にたくない!
ところが、今度は遥か前方から駆け寄ってくる無数の「奴ら」の姿が見えてきて、主人は再び足を止めた。膝が、ガクガクと震える。
――もう、駄目だ……。もう、走れない……。
「ぐわあぁぁ……!」
背後で叫び声が聞こえて、主人は慌てて振り返った。
そこに、真っ赤な女戦士の後ろ姿があった。
真っ赤な女戦士とは妙な表現ではあるが、主人が彼女に抱いた第一印象を表すのには、実に適切な言葉だった。鮮やかな赤い髪に、赤い鎧、右の手に握られた剣も赤い。更にはその背中も足も、広げた両腕も、真っ赤な血に染まっていたのだ。そしてゆっくりと振り向いた顔も赤く染まっており、その中に驚くほど澄んだ青い瞳があった。
「――来い!」
叫ぶと同時に前を向き、走り出す。立ち向かってきた「奴ら」を一瞬でなぎ払い、もう一度振り返った。
「来い! 死ぬまで走れ!」
主人は、無我夢中でその赤い背中を追いかけ始めた。先ほどまで前を走っていた、倒れた若者の横を通り過ぎる時、その顔のあまりの幼さに胸が締め付けられるように痛んだ。一瞬、自分と同じように都の中にいるはずの、甥の顔が頭の中に浮かんだ。無事でいてくれと、強く祈る。
女戦士は、無数に襲いかかる敵を全て一人で切り伏せ駆けていく。主人がそれを必死で追ううちに、気が付くと周りには五、六人の者が同じように女戦士の背中を追い駆けて走っていた。彼女は敵を倒しながら走って行くのに、全力で走る自分達と変わらぬ速度で進んで行くのが不思議でならない。いや、それどころか、もしかすると時折速度を緩め、こちらの足に合わせているようなふしがあるのだ。
そうして街はずれまで来ると、ようやく彼女は立ち止まった。
「走り続けろ! 必ず生きのびる事が出来る!」
そう言って、赤い女戦士は再びハルバルートの都へと戻って行った。おそらく、自分達と同じようにまだ生き残っている民を助けに行ったのだろう。彼女の言葉は挫けそうな主人の心を励まし続け、何とか彼は安全な場所までたどり着く事が出来たのだ。人心地ついたところで、彼はふと思った。あの体中にふりかかっていた血は、決して他人のものばかりでは無いだろう。良く思い起こせば、彼女の体には無数の傷があったようにも思えるのだ。
――それにしても、凄かった。まるで踊るかのように二本の剣を操り、敵を次々と払い除けていく様は、鮮やかとしか言い様が無かった。
――あの右手の赤い剣は、人の手で作られた物では無かったな。まるで彼女の体の一部のように見えた……。
主人は仕事柄、ついついそんな所に目がいってしまっていた。
――あの、左の手に握られた剣は、俺なんかじゃ一生作り上げる事が出来ないものだ。あれは、おそらく……、
「おじさん……?」
少女は首を傾げてこちらを見ている。主人はゆっくりと焦点を定め、その小さな手に握られた剣を見た。
「悪いがそれは、俺なんかには直す事が出来ない物だ」