戦士ラインの剣 3
「ふむ……」
女は感心した様に呟き、そっとその剣の柄に触れた。主人はほっと胸を撫で下ろした。
その剣は、主人が十一年前、彼の甥っ子へとプレゼントする為に作った物なのだ。十一年前、剣の道を志していた甥は、ハルバルートの都で行われる剣術大会の年少の部に出場をした。その時、主人は自らの鍛え上げた剣をプレゼントする為に、甥には内緒で密かにハルバルートの都まで赴いたのだった。主人は別に順位にはこだわっていなかった。二位でも三位でも、何ならびりでも構わないとさえ思っていた。ただ、甥がとても努力をしているのを知っていたから、そのご褒美をあげたかっただけなのだ。果たして甥は優勝をし、申し分ないプレゼントとしての名目も立ち、この剣は彼の手へと渡される――はずだった。
(あの、戦争さえ起きなければ……)
主人は後になって、それが国の運命を決める大きな戦いだった事を知った。だが、その時の彼は、突然地から湧き出たようにハルバルートの都にあふれでた悪魔の兵隊から逃げ惑う事に必死で、一体何が起こったのかなど全く分からなかった。ただ、命からがら逃げ延びた先で、幼いながらも懸命に母を守ろうとした甥の死と、最後はその甥に覆い被さる様に死んでいた妹の話を聞かされた時、彼は燃え上がるような暗黒王への怒りを抱いたと同時に、この国は終わったのだと悟り、頭を抱えて泣いたのだった。
「赤の大臣、ラインの剣……」
主人は、はっと我に返った。少しの間ぼおっとしていたようだ。少女がいつの間にか女戦士の隣に立ち、一緒になって剣を眺めている。―赤の大臣、ラインの剣―少女は剣に添えられた銘札に書かれたものを読んだのだ。
女戦士は剣の柄に手をかけ、天にかざすように持ち上げた。
「素晴らしい剣だ」
目を細め、うっとりとしたように呟いたその言葉に、偽りなどはなさそうだった。そんな女戦士の様子に、少女はキラキラと瞳を輝かせているし、何故か主人までもが同じように瞳を輝かせてしまったのだった。
(これはもしかすると……買わせる事が出来るかも知れない)
先程まですっかりしぼんでしまっていた商売意欲が、むくむくとふくらみ始める。主人は交互にチラチラと、剣を握った女と、それを見上げている少女を見た。
――おそらく、女戦士はこの少女の従者か何かなのだろう。少女に対する丁寧な言葉遣いや態度を見ると、そう思えた。まぁ、それほど裕福な所の娘には見えないが、見ようによっては気品が有るようにも見えるし、それに従者などを連れているくらいなのだから、そこそこの家の娘なのだろう。
(いくら高値が付いているとはいえ、剣を買う金くらいあるだろう)
主人は下がりきってしまった口元を無理矢理引き上げ、商売道具の蛭子顔を復活させようと試みた。それほど上手くはいかなかったが、何とか笑顔と呼べるようにはなったので、若干、頬をひきつらせながらも女戦士へと歩み寄って、
「そ、その剣は、かの有名な赤の大臣――ラインが、幼き日に使用していた物なんです。……い、いかがですか、中々良い剣でしょう?」
「うむ。良く鍛えられている。この辺りの街で、これほどの剣が売られているとは……」
心底感心した相手の声に、主人の蛭子顔は完全に復活を果たした。
「そうでしょう! ――ちょっと、お客さんには小さ過ぎるかも知れないが――」主人は、何やら真剣な顔で剣の値札とにらめっこしている少女の背中に手を添えた。「このお嬢様には、実にぴったりの大きさじゃないかな?」
「一、十、百…………十二万チャリン……! うへぇ!」
少女は値段を読み上げて顎を落とした。
「飴玉が、百個……ううん。きっと千個は買えるわ。――それとも、一万個かしら? えっと、一個十チャリンだから、十個で…………百チャリン。百個で――」
黒目をくるりと上して、無意味な計算を必死で行なっている少女を不安げな表情で見つつも、主人はめげずにもう一押しするべく、女戦士へと視線を戻した。その時、入り口の扉の影からひょっこりと顔を覗かせている者がいる事に気が付いた。先程まで店にいた、あの優男だった。買い物をする事にまだ未練があったのかも知れない。興味深そうに、女戦士の握り締めた剣を見つめている。それを見て、思わず満面の笑みになったその瞬間、女戦士が鼻でフッと馬鹿にしたように笑うのが聞こえて、主人はとても嫌な予感がした。
「確かに良い剣だ。だが――これも偽物だ」
主人は再び、がくりと顎を落とした。
「な〜んだ。これも偽物かぁ」
少女が、呆れたようながっかりしたような声を出した。それを聞いて、扉の影から覗いていた優男の顔がピョイっと引っ込んだ。主人はわなわなと肩を震わせた。
「あ、あ、あんた……何の為にそんな……。な、何を証拠に、そ、そんな事を……」
二度も期待を裏切られた(だって、勝手に買いそうだと思い込んじゃったんだ)主人は、怒りを通り越して悲しくなってきてしまった。目尻に涙まで浮かべ、女戦士を睨み付ける。
「もう、出ていってくれ……。こ、この剣が偽物だろうが本物だろうが、あんたらには何の関係も無いだろうが? それとも、俺を役所につき出すか? 詐偽だとか何とか言って――」
少女は慌てて両手を振りながら、
「おじさん、別にワタシ達そんなつもり無いのよ。ただ――」
「だったらなんだってそんなに、商売の邪魔をするんだ!」
大声で怒鳴った主人に、少女は目をぱちくりさせたが、女戦士は動揺したようすも無く、手にした剣をじっくり眺めている。そして、ゆっくりとその口を開いた。
「あの人は――」
主人は訝しげに首を傾げた。「あの人?」
「ラインさんは子供の頃、こんな素晴らしい剣は持っていなかった」
「…………」
主人は更に訝しげに女戦士を見つめた。かまわず相手は言葉を続ける。
「あの人が子供の頃使っていたのは、こんな風にちゃんとした剣などではなく、まるで玩具のように木で出来た剣だったのだ」
「木で出来た剣?」少女は首を傾げる。女戦士はこくりと頷いた。
「そうです。しかも、まるで本物の剣のように刃を細く削ってあって、ある意味でそれは木刀よりもちゃちな物だったそうですよ」
「どうしてそんな剣を使っていたのかしら?」少女が再び首を傾げた。
「お父上がそのように命じられたそうです。ラインさんのお父上は、軍の剣術師範をも務められた方です。それこそ家での稽古は厳しく、父親というよりは剣の師のようだったとラインさんは言っておられた。そして、影でこっそりお父上の事をこう呼んでおられたそうです。――鬼軍曹と」
「ぷっ! 鬼軍曹……」少女は思わず吹き出した。
「その鬼軍曹がおっしゃったそうです。――お前なぞは、まだ本物の剣など持つことはない。私が一人前だと認めるまで、木の剣でも使っていろと。そして、ラインさんは軍に入るまでずっと木の剣を使い続けたのです」
「ずいぶん厳しいお父さんだったのね……」少女は溜め息を吐くように言った。
「木の剣だとて、それを使う者の腕によっては鉄をも斬ることが出来る。お父上はそうおっしゃったそうです」
「木の剣で鉄を……」主人が思わず呟くと、女戦士はちらりとそちらを見た。
「世間では、実際に赤の大臣ラインは木の剣で鉄を斬った事があると伝えられている。聞いた事がないか? 『ラインの木剣』と言えばかなり有名な話だがな」
ちょっと意地悪な目をされて、主人は思わず俯いた。
「木の剣で鉄を斬るなんて、すごい!」少女は興奮して頬を紅潮させている。
女戦士は少女に視線を戻し、にこりと笑った。
「私は実際ラインさんに聞いてみました。――本当に木の剣で鉄を斬ったのか――と」
「それで? それでラインさんはなんて?」少女は興味津々で聞き返した。
「ラインさんは呆れた声でこう答えました。――木の剣で鉄が斬れるわけないだろう――と」
少女は一瞬目をぱちくりさせて、ブーッと吹き出した。
「アハハハ〜! ラインさんらしいわ!」
――馬鹿を言うなマリンサ。木の剣で鉄を斬れるわけがないだろう。
その時の、心底呆れたようなラインの声が頭の中に甦り、少女と一緒になって女戦士は笑った。
「あ、あんた達は一体……」
主人は一人取り残されたような顔で、笑う二人を半ば呆然と眺めている。女戦士は笑顔を引っ込め、少し厳しい顔付きで主人を見た。
「分かっただろう。見る者が見れば、こんな物は偽物だと直ぐに気が付く。それに、たとえそれほど悪意が無いにしろ、人によってはこういう物は不愉快だと感じるのだ」
「………………」
静かな声ではあったが、確実にそれは怒気を含んでいた。主人は叱られた犬のようにシュンとして俯いた。そんな二人の大人を交互に見上げていた少女が、突然、
「ね、貸してマリンサ!」
にっこりと笑いながら手を伸ばされて、女戦士は戸惑った表情を浮かべながらも、その小さな手に剣を渡した。少女は満足そうにそれを両手で握り締める。主人が、危ないから返しなさいと声をかけよとした瞬間、えいやっという掛け声と同時に、少女が剣をぶんっと一振りして、主人は思わず言葉を飲み込んだ。
「うん……。本当に良い剣だわ」少女は再びにっこりと笑う。「こんなに素敵な剣に、偽物の名前なんかつけちゃ可哀想よ。――ねぇ、おじさん!」
突然呼びかけられて、主人はびっくりたまげてしまった。
「な、なんだい?」
「おじさんの名前は何ていうのかしら?」
「へ……? あ、ああ。名前ならファンゴだが……」
少女はにっこりと笑いながら、満足そうに頷いた。
「ファンゴね……。じゃあ、今日からこの剣は『ファンゴの剣』に改名ね!」