戦士ラインの剣 2
女は何事も無かったかのような顔で、壁に飾ってある杖を眺めている。その杖の下には「大魔術師アプルの使っていた杖」と銘札が付いている。
「そうなんだ。じゃあ、これも偽物なの?」
今度はやけにあっけらかんとした声がして、主人は顎を落としたままでそちらを見た。少女が杖に付いた銘札を指差している。女は当然とばかりに首を縦に振った。
「よりによって大魔術師アプルとは……。アプルが活躍したのは三百年も前の話ですよ? その割にはこの杖――」女は杖に顔を近付けて、わざとらしく難しそうな顔を作り、「まるでつい最近作ったようにピカピカだ」と言って、フッと鼻で笑った。
その、ちょっぴり馬鹿にしたような顔が感にさわって、主人はようやく我に返った。とっくに引っ込んでしまった蛭子顔の代わりに、不愉快そうな顔で周りを見回す。女戦士の話を聞いたせいか、いつの間にか店にいた客はほとんど帰ってしまったようで、残っているのは優男だけだった。その優男も不安げな表情を浮かべ、並べられた商品と女戦士を交互に見比べている。女戦士の言った事が真実かどうか計りかねているのだろう。つまり、この店の商品が偽物ばかりかどうか――。
主人は慌てて女戦士に向き直った。
「そ、それはあれだ、ちょっ、ちょっと書き方を間違えたんだ。それはアプルが使っていたのと、同じ作りの――」
「じゃあ、これも偽物なの?」
少女が今度は、先程主人が売り込みをした、「赤軍の副隊長『ネムロン』の剣」を指差して言った。
「勿論、偽物です」
「あ、あんた一体何を根拠にそんな事を言うんだ!」
言い切った女に、主人は心外だという様に、赤黒い顔を更に赤くして怒鳴った。――もっとも、女が言った事は事実ではあったが。
「根拠……」
女は少女が指差した剣に歩み寄り、それを手にとった。
「赤軍の副隊長を務めていたネムロンは、自らの使っていた剣には実に強いこだわりを持っていた。もしも刃が欠けるなどという事があったとしても、全く同じ剣を、わざわざ同じ鍛冶屋に作らせていたらしい」
女の説明に主人は、そんな事は知っているといった顔で、ふんっと鼻をならした。――もっともそれは、初めて聞く話ではあったが。
「だからなんだ。それは、そのネムロンが好んで作らせた鍛冶屋に、全く同じ素材を使って作らせた物なんだよ」
「ほう……。――ネムロンが同じ鍛冶屋にこだわったのは、勿論その鍛冶屋の腕が良かったというのもあるが、扱っている素材がそもそもそこにしか無かったという理由からなのだ。その素材とはミスリル銀の事だが、ミスリル銀がどこで取れるかというと……。主人」
突然話しかけられて、思わず主人は、「は、はい?」とどもりながらも、素直に返事をした。
「わざわざ、この剣を海の向こうイルデ・ミルドから取り寄せたのか?」
「イルデ・ミルド!」
主人は驚いて思わず叫んでしまった。いかにも初めて知ったと言わんばかりだ。女がまた鼻でフッと笑ったが、主人はさすがに言い訳の言葉が思いつかなかった。女は追い撃ちをかけるように言葉を続ける。
「それにしても、この辺りはいい加減すぎて笑って仕舞うんですが……」
そうして、思わずといった感じでぷっと吹き出した。今度は何を言われるのかと、主人がそわそわしていると、女は少女に見えるように低く剣の柄を差し出した。少女は首を傾げながらそれを見て、
「鷹?」
柄には翼を広げた鳥の絵が描かれていた。
少女の答えに女は満足そうに頷いた。
「そうです。これは鷹です。――ネムロンは鍛冶屋に命じて、注文した剣の柄に必ず自らのペットを描かせていました」
「素敵ね! ……それじゃあ、ネムロンのペットは鷹なのね」
嬉しそうに手を叩く少女。ところが、女は首を横に振った。
「違います。ネムロンのペットは――ライオンです」
「ライオン? でも……」少女は不思議そうに柄に描かれた鷹を見る。
女はそんな少女に軽く頷き、
「剣の道に通ずる者ならば、容姿までは分からないまでもネムロンという名前くらいは聞いた事があるものです。そのくらいにネムロンは腕の立つ戦士でしたから。しかしながら、赤軍には有名な戦士がもう一人いました。その力はネムロンと並び証される程でした。その人がペットにしていたのが――」柄に描かれた鷹を示し、「これなのです」
「へ〜。そうなんだ。って事は、これは……やっぱり偽物?」
少女は首を傾げて剣を指差した。女は勿論だという顔で頷く。
「これを作った者は、赤軍で副隊長を務めていたネムロンという戦士の名を知っていたのでしょう。そのネムロンが自らのペットを剣の柄に描いていた事も聞いた事があった。しかし、肝心のペットがなんだったか、どうもはっきりとしない。――そういえば、赤軍の戦士の誰かが鷹をペットにしているという噂を聞いた事がある。噂になるくらいなら、余程の戦士なのだろう。では、それはネムロンかも知れない。確証はないが、それでもまぁ、とりあえず剣の柄に鷹を描いて、それでネムロンの剣として売りだそうか。――と、おそらく考えたのはそんなところでしょう」
女に呆れ顔で見られて、主人はバツが悪そうに(だって、全部当たってたんだ)思わず首を引っ込めた。
「まぁ、ここまで適当だと、何だか笑ってしまいますよね。余り巧妙だったりすると悪意を感じてしまいますが」
またまた女が馬鹿にするように鼻で笑って、主人は腹立ちと羞恥で再び顔を赤くし、
(一体、なんだってこんな子供に対して、これほどへりくだった態度で接してるのか……。この女戦士はこの子の家来か何かなのだろうか? それほどよいところの娘には見えないが……)
などと、どうでもいい事を考えていた。すると、背後でカタリと音がして、嫌な予感がしつつも振り返った主人の目に、観音開きの扉の向こうへと消えて行く優男の背中が映った。
「そもそも、軍はその内情を余りおおっぴらにはしていませんから、色々と人の噂にはのぼるものの、細かく正確な情報を知るものはあまりいないのですよ。だから、ライオンが鷹に変わったり……。――そうそう。鷹をペットにしていたのは、赤軍の小隊長を務めていた、弓使いソフィーの事ですよ」
女戦士が悪戯っぽく少女に微笑んだ。
「弓使いソフィー!」少女は大声で叫ぶ。「それってソフィーかあ――」
「いい加減にしてくれ!」
主人が突然発した大きな声に、少女は驚いて目をぱちくりさせた。
「あんたのせいで、客が一人もいなくなっちまった!」主人はふんまんやる方無いといった顔で、女戦士を睨み付ける。「人の商品を偽物だのどうのとけなしやがって……。どこにそんな証拠があるんだ! それに――だいたい、軍の内情がそれほど正確には伝わらないって言う割には、じゃあ、あんたは何でそんなに、ネムロンのペットはライオンだの弓使いポフィーがどうだのと――」
「ソフィー」
「な、名前何かどうでもいい! ――とにかく、あんたは何でそんなに赤軍の事に詳しいんだ!」
主人の見たところ、女戦士は中々の威厳を備えてはいるものの、張りのある肌などから、まだ20代の半ばにも達していないように思えた。闇の軍隊によって十一年前に壊滅させられた赤軍兵の生き残り――というには、あまりにも若い。
「私は別に赤軍の事に詳しい訳じゃないけれど、あるお方に色々と聞いていてね」
「な、何があるお方だ! 勿体ぶった言い方をしやがって……。結局、あんただってデタラメを並べてるだけだろ!」
だって――という言葉から、自分自身がデタラメを言っていたと認めてしまったようなものだが、かっかきている主人はその事に全く気付かなかった。
普段、こんな都から離れた街の鍛冶屋になどあまりお客は来ない。冷やかしばかりとはいえ今日は結構賑わっていた方で、もしかしたら護身用のナイフくらいなら売れるかも知れないと、主人はかなり期待していたのだ。
――それを、この女のせいで〜!
女の言った事が事実かどうかは置いておく事にして、主人は恨み言のひとつも言わずにはいられなくなっていた。しかしながら、言われた相手の方は知らん顔をして、主人とは関係ない方をじっと見つめている。
「あ、あんた、人の話を聞いてんのか? 一体どこを見て――」
女の視線の先に目をやって、思わず主人は口をつぐんだ。店のほぼ中心に据えられたテーブルの上に、ひと振りの剣が飾られている。あれは、
――俺の最高傑作だ。
そう主人が自負している物だった。しかしながら、作ってから十一年経つというのにも関わらず、この剣は一向に売れるような素振りが無い。それは、この店で一番の高値が付けられているというのも理由のひとつではあるだろうが、何よりも小さ過ぎるそのサイズに問題があるのだろう。基本的に武器などというものは、皆大人向けに作られている。それはそうだ。練習用の物ならともかく、子供が本格的な武器など必要とする事はあまり無いからだ。では、何故こんな子供向けの剣を主人が作ったのかというと……。
「おい、あんた――」
女は主人が呼びかけるのにも答えず、部屋の中央へと足を進め、その剣の前でピタリと立ち止まった。
主人は黙って様子を見守った。心の中で、出来ればこの剣にだけはいちゃもんを付けてくれるなよ、と願っていた。