レジスタンスの新リーダー
ブルルンブルルンと、後ろから激しいエンジン音が聞こえてきた。振り返ると、大きな二階建ての赤いバスが、通りを向こうからやって来るところだった。
少し大げさな程はじに避けて、目の前を通り過ぎて行くのをポカリと口を開けて見上げる。
「すご〜い……」
思わず呟くと、隣から不思議そうに、
「バスを見るのは初めてですか?」
と聞こえてきた。メルメルはそちらを見上げて首を横に振った。
「うんうん。初めてじゃないんだけれど、二階建てのバスなんて初めてだし、ワタシの町ではバスが走っている事自体珍しい――あ! すご〜い! キレイ……」
今度は通りの向こうにある建物の、窓にはめ込まれたキラキラと輝くステンドグラスを指さして、関心したように溜め息を吐いている。
「フフフ……。近くに行って見てみますか?」
そう尋ねたのは、長い黒髪をキリリと後ろで束ね、自らの武器である鞭をしっかりと腰にくくりつけた女戦士――マリンサだ。彼女は、この闇の王国に反旗を翻す『レジスタンス』という名の組織で、第一部隊の副隊長を務めている。鍛え上げられてがっしりとした大きな体を見れば、女だてらに副隊長を務めているというのも納得がいくというものだ。ところが、そんなマリンサも所属している『レジスタンス』という大組織。それを束ねるリーダーが、実はまだ十一歳になって間もないような少女だというのだから驚きだ。
そして、その少女というのは……
「うんうん、いいの。ただ――あんな窓初めて見たから。遊びに来た訳じゃないんだものね……。あ、あの建物! 一、二、三……六階もあるわ! すご〜い……」
『ザブー』の街に来てから興奮しっぱなしで、あちこちをキョロキョロ見回してばかりいるこのメルメルこそが、その十一歳でレジスタンスのリーダーとなってしまった驚きの少女なのである。まぁ、そうは言ってもリーダーになったのはついこの前で、まだそれらしい事は何一つ行なってはいないのだが。
マリンサは、珍しいものを見つける度に興奮して騒いでいるその、「リーダー見習い」の少女を、やんわりと姉のように優しげな表情で見つめている。
「あんなに大きな家、お掃除するのが大変じゃないかしら? よっぽど大家族なのかしらね」
「家族で住んでいる訳じゃないでしょう。あれは恐らく集合住宅でしょうから」
「集合住宅って?」メルメルは首を傾げる。
「ああ、知りませんか。そういえばリーダーの町にはなかったかな……。たくさんの知らない人同士が、一つの建物の中に暮らしているんですよ」
メルメルは驚いた。「知らない人と、どうして一緒に暮らすの?」
「一緒にというか――」
マリンサが答えを言う前に、メルメルは何かを思い付いたような顔でにっこりとした。
「そっか! きっと大勢で暮らした方が楽しいからね!」
マリンサは一瞬きょとんという顔をして、クスクスと笑い始めた。メルメルはその様子を見て、何か自分は変な事でも言ったのかと不思議そうに首をひねった。
「楽しいから一瞬に暮らしてる訳じゃないさ。経済的な理由とかが多いんじゃないかな?」
ふいに思わぬ方から声がして、メルメルは驚いてそちらを見た。するとそこには、
「…………?」
大きな紙袋が空中に浮いていた。メルメルは思わず目をパチクリとする。
すると、その紙袋が勝手に喋り出した。
「それに一緒にと言っても、建物の中でしっかりと仕切りがしてあって、それぞれの部屋に出入口も付いているから、隣同士行き来したりしないんだ。――ほら。僕らの通っていた園みたいに、廊下があって――」
「トンフィー?」
メルメルが尋ねると、当たり前だと言わんばっかりに、そうだよ――と紙袋が答えた。
「す、すごい大荷物ね。……ペッコリーナ先生は?」
どうやら大き過ぎる紙袋が、それを持っているトンフィーの姿をすっぽり隠してしまっているらしい。メルメルと身長も体重も同じくらいのトンフィーならそれも仕方ない事だが、あのポッチャリとしたペッコリーナ先生の姿まで隠れてるとは考えにくい。
「先生はグッターハイムさんの様子を見に行ったよ。――と、おっとと……」
トンフィーが紙袋の重さにバランスを崩してよろけた。
「――あ! ありがとうございます」
見かねたのか、マリンサがひょいっと片手で紙袋を受け取った。
「本当に――随分たくさん買ったんだな……」
開いた片手で中身を探っている。
「これは……。リーダーのですかね?」
取り出したのは、可愛いクマのイラストが描いてある白いパンツだった。メルメルは幾らか顔を赤らめた。
「や、や〜ね! ワタシそんなに子供っぽいの、はかないわよ!」
そう言いながらも、今はいているパンツにはウサギのイラストが描いてあるのだ。
何故か、関係ないのに照れたように頭を掻いているトンフィーを横目で睨んで、メルメルはマリンサに向き直った。
「それに……リーダーはやめてって言ってるじゃない」
マリンサは素知らぬ顔で、今度はイルカのイラストがついたブリーフを取り出して眺めている。トンフィーが更に照れて、耳まで赤くしている。
「レジスタンスのみんなでいる時はともかく、知らない人が聞いたら妙に思うじゃない? ――ねぇ、マリンサ!」
全くこちらの苦情を聞き入れる気は無いという様子で、マリンサは紙袋の中身をチェックし続けている。メルメルは口を尖らせた。
膨れっ面の少女をチラリと見て、マリンサはふうっと溜め息を吐いた。
「馴れて下さい。これからは、皆があなたをリーダーと呼ぶんですから」
「そんな事言われたって……」メルメルは今度は困ったような顔になって、「別に、リーダーなんて呼ばなくても……。みんなにもそんな必要ないって言えば――」
「どうしてリーダーと呼ばれるのが嫌なんですか?」
二人の会話が耳に入ったのか、メルメル達の横を通り過ぎた老婆が、少し不思議そうにチラリとメルメルの顔を見ていった。
「だ、だって、変じゃない? ワタシみたいな子供がリーダーなんて呼ばれてるの」
メルメルは、遠ざかる老婆の背中を見ながら言った。すると、もう一度不思議そうな顔で老婆が振り返ったので、メルメルは思わず顔を伏せた。
――会話の内容を奇妙に感じたのか、風格のあるマリンサが、どうという事ない少女にへりくだった喋り方をしているのがおかしかったのか……。
いずれにせよ、メルメルは少し嫌な気持ちになった。
「確かに……周りから見れば違和感があるかも知れませんね」
マリンサが頷いて、メルメルは一瞬、同意を得られたと喜んだ。
「ね、そうでしょう?」
しかし、すぐにマリンサは首を横に振って、
「でも、だからこそ余計に、わざわざリーダーと呼ぶ必要があるのです。仲間の中には、あなたの事を子供だと侮る者もいるでしょう。あなたは紛れもなくリーダーなのだと周囲に――そして、あなた自身に自覚を持たせる為にも、呼び方一つ気を使うべきなのです」
「自覚なんて……」
メルメルは口をつぐんでうつ向いた。
マリンサは、今一納得出来ていない様子の少女をじっと見つめた。
――一見何のへんてつも無い少女なのだ。この間までリーダーを務めていた、見た目でも剣技でも他を納得させられるようなグッターハイムとは訳が違う。この先、子供だとバカにして、この少女をリーダーだとは認めないような連中もたくさん出てくるだろう。
そこまで考えて、ふとある事に気付いたマリンサは、思わず笑ってしまった。
――つい数日前には、自分だってそうだったではないか。
「マリンサ?」
笑っている自分の顔を見て、不思議そうに首を傾げている少女を、マリンサは再びじっと見つめた。
――ところが、今では他の者が少女をバカにするのさえ、我慢ならないような気持ちになっている。自分は既に、この、まだイラストの描いてある下着をはくような子供を、完全にリーダーだと認めてしまっているのだ。
(不思議な子だ……)
この子は人を惹き付ける魅力――カリスマ――とでも言うべきか、それを持っている。
(さすがは七色の勇者、というところなのか……)
マリンサは目を細めて、黙り込んだままの自分を不思議そうに見上げてくる少女の、その瞳の中に宿る光を見つめた。それは、見る者全てに希望や勇気を与える不思議な光だ。これこそが、七色の勇者だと予言されたこの少女が持つ、特別な力なのかも知れない。他の人間には無い物だ。
――いや。マリンサはもう一人だけ、この光を持っていた人物を知っている。彼女がもっとも尊敬し、崇拝していた女性だ。しかし残念ながら、その女性はもうこの世の人ではなくなってしまった。
「あなたは……ラインさんの代わりになると決めたのでしょう?」
ハッとしたように少女が顔を上げた。隣で、少年が息を飲むのが分かった。
「……グッターハイムさんから聞きました。あなたは、ラインさんの代わりに人々の希望になると宣言したのでしょう? それなら、まずはレジスタンスのリーダーとして、しっかりと皆をまとめあげて下さい」
メルメルは口をへの字に曲げて黙り込んだ。その名前を出されたら、もう駄々をこねる事など出来なくなってしまう。まぁ、そもそもメルメルは駄々などとは思ってはいなかったのだが。ただ、リーダーなんて呼ばれても、偉そうな感じがして、恥ずかしくて嫌なだけなのだ。
(それに、何だか可愛くないし)
これが一番の理由だから、やっぱり駄々と言えるのかも知れない。
ちょっと暗くなってしまったその場の雰囲気を変えるように、
「ところで、鍛冶屋は見つかったの?」
と、トンフィーが明るい声を出した。
しかし、残念ながら思惑は上手くいかず、
「あったにはあったけど……」メルメルは更に暗い顔で首を横に振った。
「――直せないって?」
トンフィーが小首を傾げながら言うと、メルメルは無言でこくりと頷いた。
「そっか……。――あ、でも、ここじゃなくても他の街なら直せるかも知れないし、そんなに落ち込まなくとも……」
トンフィーが慰めるように言うと、そうですよと明るい声でマリンサが同意をした。そして更に、
「それに、思いの外良い収穫もあった事だし」と付け加えたので、トンフィーは不思議そうに首を傾げた。
「収穫って?」
果たして何が直せなくて落ち込んでいて、一体どんな収穫があったかというと……。