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「あ、忘れもの…」


 春休みで読もうと図書室で借りた本を持ち、教室に戻った時、図書室に筆箱を置き忘れしていたことに気づいた。今日は高校1年生で最後の登校日だ。明日から春休みに入るから、次の日に忘れ物を取りにいくことはできない。


 図書室に取りに戻ると、紙の匂いがふわっと広がる。

使っていた机に行けば、ぽつんと自分の筆箱が置いてあった。失くさなくて良かった。


 筆箱の中には、私の宝物が入っている。


 今度は忘れずに手に持って、教室に戻ろうと廊下を歩いていた時だった。

 ちょうど目の前の教室から出てきた人に、ぶつかってしまった。がっしゃーん、と静かな廊下を砕くような音が響く。シャープペンシル、定規、蛍光ペン。筆箱の中身が廊下にばらけていく。


「ごめんなさい……!」


 咄嗟に謝りながら目の前に散らばり、転がっていく筆記用具を慌てて拾う。春と呼ぶにはまだ寒い今日は、膝をつくと廊下の冷たさが響く。筆箱から落とした物たちは手の届く範囲しか、転がっていなかった。


「これ……」


 ぶつかった人が、しゃがんで拾ってくれたみたいだ。視界に制服のズボンと、上履きが目に入る。差し出された大きな手のひらには、金色の栞が握られていた。これは私の筆箱に入っていたものだ。


「ありがとうごいざい……」


 お礼を言おうと顔を上げたが、最後まで言葉が続かなかった。目の前にいる人が、黒川君だったからだ。

彼の顔を見た時、自分の鼓動が全身に響いた。全身の血液がどくとくと沸いているようだ。早く彼の視界から自分の顔を遮りたいのに、まだ彼の顔を見つめていたい自分が勝ってしまった。


 お互いに何も話さず、私たちの間に無言の時間が流れる。


「ーーまだ使っていてくれたんだな」


 沈黙を破ったのは黒川君だった。いつもの、低めで冷静な声だった。嘘は吐かないけど、本音は教えてくれなかった彼の、落ち着いた話し方は変わらない。

 視線を落とせば彼の手にはまだ、栞が握られている。長方形のそれは、枠の中に鈴蘭の花の形にくり抜かれて、きらきらしている。

 黒川君が、あの栞を手にしている。


「物に罪はないから。拾ってくれてありがとう。」


 ほとんど奪うように、黒川君の手から栞を受け取る。落ちていたものも一緒に急いで筆箱にしまい、逃げるようにして、この場を去った。心臓がばくばくと打って、落ち着かない。


 ーーどうしよう、バレてしまった。恥ずかしさと後悔で気持ちがぐちゃぐちゃになる。


 黒川に知られてしまった。私がまだ、貴方からもらった物を捨てられずに使い続けていることを。



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