EP 9
武士の情けと介錯
バァンッ!!!
乾いた破裂音と共に、黒い法服が宙を舞い、床に脱ぎ捨てられた。
現れたのは、昨日、夜霧の路地裏でゼフィルスを叩きのめした、あの着流し姿の男。
「な……!?」
ゼフィルス伯爵の目が、極限まで見開かれた。
裁判長席に立つその男は、昨日までの「能面のような裁判官」ではない。
荒々しく、しかし泰然自若とした、古武士の風格を漂わせる「修羅」だった。
「ガタガタぬかしやがって……! そんなに会いたいなら、会わせてやるよ!」
坂上が、着流しの右肩を勢いよく肌蹴させた。
カッッッ!!!
法廷の空気が、熱波に変わった。
鍛え抜かれた背中に彫り込まれた、極彩色の『阿吽の仁王』。
タロー国の魔力に呼応し、二体の金剛力士像の眼が灼熱の赤色に発光し、今にも背中から飛び出しそうなほどの怒気を放った。
「ひ、ひぃぃぃぃっ!?」
ゼフィルスが腰を抜かし、証言台にしがみつく。
見間違えるはずがない。
昨夜、月下で自分の最強の魔刀をへし折った、あの悪夢のような男だ。
「き、貴様……まさか、最高裁判官と、あのゴロツキが……同一人物……!?」
「驚いたか? だがなぁ、この背中の仁王は誤魔化せねぇぞ!」
坂上は、雷鳴のような怒号を浴びせた。
「てめぇが外交特権を盾に民を斬り、あまつさえ被害者面して法廷に立ったその性根……! この仁王が、全部お見通しなんでぇ!!」
「ば、馬鹿な! 罠だ! これは罠だ!」
「罠? 違うな。これは『決着』だ」
坂上は、傍聴席の最前列にいたイグニスに目配せをした。
イグニスが、布に包まれた「ある物」を放り投げる。
カラン、カラン……。
ゼフィルスの足元に転がったのは、無惨にへし折れた魔刀『吸血鳥』の残骸だった。
「あ……ああ……」
ゼフィルスが震える手で、かつての愛刀を見つめる。
それは、彼の敗北の象徴であり、逃れられない罪の証拠だった。
「外交特権? 知ったことか」
坂上が、静かに、しかし重く告げる。
その声は、法廷の誰をも黙らせる絶対的な響きを持っていた。
「だが、お前もガルーダの武人の端くれだろう」
坂上の視線が、ゼフィルスの魂を射抜く。
「同じ相手に二度も負けて、恥を晒して生き延びる……。法にすがり、嘘を重ね、それでも貴族か?」
「う、ううう……」
ゼフィルスは言葉を失った。
逃げ場はない。
法廷にいる全員が――貴族も、市民も、T-SWATも――彼を軽蔑の眼差しで見ている。
外交特権を使えば、命だけは助かるかもしれない。だが、それは「武人としての死」よりも惨めな、「生き恥」を晒すことになる。
「最後くらい、己で飾ってみせろ」
坂上の言葉は、死刑宣告よりも残酷な、慈悲だった。
武士としての死に場所を与えてやる、という最後通牒。
ゼフィルスは、震える手で折れた魔刀の刃を拾い上げた。
その瞳から、傲慢な光が消え、絶望と覚悟が混じり合った濁った色が浮かぶ。
「……く、くそぉぉぉ……!」
彼は泣きながら、それでも最期の誇りを振り絞り、切っ先を自らの喉元に向けた。
「ガルーダの誇りは……ここにあるッ!!」
ドスッ。
鈍い音が響き、鮮血が法廷の床を染めた。
ゼフィルス伯爵は、自らの魔刀によってその生涯を閉じた。
誰に裁かれることもなく、自らの手で。
静寂が、法廷を支配した。
誰も声を上げない。ただ、その壮絶な最期を見届けていた。
坂上は、肌蹴た着流しを直し、静かに合掌した。
背中の仁王の輝きが、ゆっくりと消えていく。
「……これにて、一件落着」
小槌の音が、弔いの鐘のように、一度だけ鳴り響いた。




