EP 2
外交特権の壁
翌朝。T-SWAT本部倉庫。
大型モニター(太郎のスキル製)には、キュララが解析した昨夜の監視カメラ映像が映し出されていた。
霧の中で一瞬だけ捉えられた犯人の姿。
デジタル処理で鮮明化されたその顔は、間違いなくガルーダ族の特徴を示していた。
「……ビンゴね」
キャルルが分厚い宿泊者リストをデスクに叩きつけた。
「市内の高級ホテル『ロイヤル・タロー』の最上階スイート。宿泊客の名は、ゼフィルス伯爵。ガルーダ獣人国の特命全権大使よ」
「辻斬りの正体は、大使閣下ってわけか」
鮫島が不機嫌そうにタバコの煙を吐き出す。
証拠は揃った。犯行時刻のアリバイはなく、目撃情報とも一致する。
「行くぞ。大使だろうが何だろうが、人殺しに変わりはねぇ。手錠をかけて引きずり出す」
鮫島が立ち上がり、Korth NXSをホルスターに収める。イグニスも「鳥焼きにしてやるぜ」と鼻息を荒くする。
だが、その行く手を遮るように、扇子がスッと突き出された。
「……待ちたまえ」
坂上だった。彼は着流しではなく、パリッとしたスーツを着ているが、その表情は今までになく険しい。
「爺さん? 何止めてんだ」
「逮捕状は出んぞ。鮫島」
「あ? なんでだ。証拠は……」
「相手は『特命全権大使』だ」
坂上は静かに、しかし重い事実を告げた。
「外交特権。……ウィーン条約、いや、この世界のアナステシア国際条約に基づき、外交官の身体は不可侵だ。受入国の刑事裁判権は免除される」
「……は?」
鮫島が絶句する。元ロス市警の彼も、その言葉の意味は知っている。
つまり、「この国の法律では、彼を逮捕することも、裁くこともできない」ということだ。
「ふざけんな! 奴は市民を斬り殺したんだぞ!?」
「法的には、彼はタロー国の領土にいながら、ガルーダ国の領土にいるのと同じ扱いになる。手を出せば、最悪の場合、国家間の戦争だ」
坂上の言葉に、倉庫内の空気が凍りついた。
目の前に犯人がいるのに、手が出せない。国家という巨大な壁が、彼を守っている。
「……クソッ!」
鮫島がスチールデスクを蹴り飛ばした。
「じゃあ指をくわえて見てろってのか!? 次の被害者が出るまで!」
「……公式にはな」
坂上は扇子を閉じた。
「だが、警告くらいはできる。……顔を拝みに行くぞ」
***
ホテル『ロイヤル・タロー』、最上階スイート。
ドアベルなど鳴らさず、鮫島たちは強引に部屋へ踏み込んだ。
「失礼する」
リビングでは、ゼフィルス伯爵が優雅にモーニングティーを楽しんでいた。
数人の護衛が武器を構えるが、ゼフィルスは手でそれを制し、薄ら笑いを浮かべた。
「おや、朝から騒々しい客だ。……何の用かね? 下賤な猿ども」
「昨夜の辻斬り事件について聞きたいことがあってな」
鮫島がズカズカと歩み寄り、ゼフィルスの目の前に立った。
殺気立った視線。だが、ゼフィルスはティーカップを置く手さえ止めない。
「辻斬り? ……ああ、あの不運な商人のことか」
「……知ってるのか」
「ニュースで見たよ。野蛮な国だね、治安が悪くて困る」
白々しい嘘。
イグニスが唸り声を上げて斧に手をかけるが、坂上が視線で制する。
「とぼけるな。現場付近のカメラに、あんたの姿が映っていた」
「ほう? それがどうした」
ゼフィルスは立ち上がり、鮫島の耳元で囁いた。
「仮に私がやったとして……君たちに何ができる?」
彼は胸ポケットから、金色の紋章が入った身分証を取り出し、鮫島の胸に押し付けた。
「私は特命全権大使だ。この身は王と同等の不可侵。君たちが私に指一本でも触れれば、ガルーダ国は全軍をもって報復するだろう」
勝ち誇った顔。
法を盾にした、絶対的な安全圏からの嘲笑。
「悔しいか? 正義の味方さん。……せいぜい、夜道には気をつけることだね。また『不運な事故』が起きないとも限らない」
鮫島の手が震える。怒りで視界が赤く染まる。
今すぐこいつの脳天を撃ち抜きたい。だが、それをすればタロー国が火の海になる。
「……行くぞ」
鮫島は血が出るほど拳を握りしめ、踵を返した。
背後から、ゼフィルスの高笑いが響く。
「ハハハ! 賢明な判断だ! 出口はあちらだよ、負け犬の諸君!」
***
ホテルの外。
抜けるような青空が、今の彼らには皮肉にしか見えなかった。
「……やってらんねぇな」
鮫島がタバコに火をつけるが、その手はまだ震えている。
「法で裁けぬなら……」
坂上が空を見上げ、ボソリと呟いた。
その瞳には、艦長時代の冷徹な光と、かつての「暴れん坊」の熱が混在していた。
「『躾』が必要だな」
坂上はスマホを取り出し、リベラにメッセージを送った。
『今夜、着流しを用意してくれ』と。




