第三章 月下の決闘
紅い月の辻斬り
その夜、タローポリスの空には、不吉なほどに赤い月が浮かんでいた。
急速な発展を遂げるこの街も、深夜になれば魔力を含んだ濃霧が路地裏を支配する。
ガス灯の明かりが頼りなく揺れる中、千鳥足の商人が一人、家路を急いでいた。
「ヒック……今日は飲みすぎたか……。ん?」
商人は足を止めた。
霧の奥から、カツ、カツ、カツ……と、硬質な足音が響いてきたからだ。
それは革靴の音ではない。まるで、巨大な爪が石畳を叩くような、鋭く乾いた音。
「誰だ? ……強盗か? 俺は金なら持ってないぞ」
商人が声を震わせる。
霧が揺らぎ、人影が現れた。
背が高い。貴族のようなマントを羽織っているが、その顔は鳥類を思わせる仮面――いや、顔そのものが猛禽類のように鋭く、目は黄金色に輝いている。
「……良い月だ」
影が呟いた。その声は、ガラスを爪で引っ掻いたように神経に障る美声だった。
「これほど美しい夜には、紅い花が必要だと思わないか? 下賤な猿よ」
男の手元で、何かがギラリと光った。
反りのある、東洋の刀に似た形状。だが、その刀身は脈打つように赤く明滅している。
「な、何を……ひっ!?」
商人が悲鳴を上げようとした、その刹那。
男の姿が掻き消えた。
ヒュンッ――。
風を切る音すら置き去りにする神速の一閃。
商人は痛みを感じる間もなく、自分が天地逆さまになった景色を見つめ――そして、意識は永遠の闇へと落ちていった。
***
三十分後。
現場には、赤色灯の代わりに回転する魔導ランプと、黄色い規制線(KEEP OUT)が張られていた。
「……酷ぇな」
T-SWAT隊長、鮫島勇護は、遺体を見下ろして顔をしかめた。
一刀両断。
骨ごと両断されているにも関わらず、切断面は鏡のように滑らかだ。そして奇妙なことに、辺りには血が一滴も流れていない。
「血が、吸われている……?」
鮫島はゴム手袋をはめた手で遺体に触れ、Korth NXSのグリップを無意識に撫でた。
ただの殺人ではない。魔導具、それもかなり高位の「妖刀」の類による犯行だ。
「おい、イグニス。何か分かるか」
「……臭ぇな」
現場の臭いを嗅いでいたイグニスが、鼻にシワを寄せて唸った。
普段のふざけた様子はない。野生の勘が、捕食者の気配を捉えている。
「鳥だ。それも、血に飢えたヤバい鳥の臭いがしやがる」
「鳥だと?」
「ああ。ハーピーなんかじゃねぇ。もっとデカくて、プライドの高そうな……『ガルーダ』の臭いだ」
ガルーダ。
鳥人族の中でも最強の戦闘種族であり、東方の軍事国家を支配する誇り高き種族だ。
「ここです、隊長!」
上空からドローンを操作していたキュララが降りてきた。
彼女の顔も青ざめている。
「監視カメラの映像、霧で真っ白なんですけど……一瞬だけ映ってました! マントを着た鳥人間が、屋根を飛び越えていく姿が!」
「キャルル、足跡は?」
「追えないわ」
キャルルが路地裏から戻ってきた。その長い耳が不安げに垂れている。
「風魔法を使ってるみたい。足跡どころか、空気の乱れすら消してる。……相当な手練れよ」
鮫島は懐から赤マルを取り出し、火をつけた。
煙が霧に溶けていく。
愉快犯の辻斬りか、それとも暗殺か。いずれにせよ、タローポリスの治安を根底から揺るがす「怪物」が入り込んでいる。
「……本部に戻るぞ。坂上の爺さんに知恵を借りる」
***
同時刻。
現場から数ブロック離れた高級ホテルのスイートルーム。
そのバルコニーに、一人の男が立っていた。
ガルーダ獣人国・特命全権大使、ゼフィルス伯爵。
タロー国との通商条約締結のために来訪した外交官である彼は、月明かりの下で、愛刀を恍惚とした表情で見つめていた。
「ふふ……ふふふ……」
彼の手にある刀――魔刀『吸血鳥』は、先ほど吸ったばかりの鮮血を刀身に取り込み、ドクン、ドクンと脈打ちながら赤黒い光を放っている。
「やはり、人間の血は甘露だ。特に、発展した街の浮かれた豚の血は、コクがあって良い」
ゼフィルスは、刀身に残ったわずかな血の雫を、長い舌でペロリと舐め取った。
ゾクリとするような陶酔感が、彼の背筋を駆け上がる。
「退屈な外交任務の、唯一の気晴らしだよ。……この国には、私を楽しませてくれる剣士はいないのか?」
彼は刀を豪奢な鞘に納めると、夜景を見下ろして冷酷に笑った。
「誰も私を裁けない。私は選ばれた民、ガルーダの伯爵なのだからな」
霧深きタローポリスに、血に飢えた貴族の哄笑が溶けていった。
法で裁けぬ悪夢が、今、幕を開ける。




