EP 2
腐敗した帝都、タローポリス
「静粛に!」
ダンッ!!
重厚な小槌の音が、法廷に響き渡った。
だが、その音も虚しく、被告人席の老婆の啜り泣きがかき消されることはなかった。
「……以上が、原告の主張であります。契約書第5条に基づき、被告は直ちに当該土地を明け渡す義務がある。違いますかな? 最高裁判官殿」
ニヤリと歪んだ笑みを浮かべたのは、原告代理人を名乗る魔族の男だ。
高級そうなスーツを着込んでいるが、その目は獲物を嬲るハイエナのそれだった。
坂上真一は、裁判官席から冷ややかな視線を下ろした。
黒い法服に身を包んでいるが、その内側ではマグマのような怒りが沸き立っている。
事件は単純だ。
急速に都市化が進むタローポリスの一等地にある孤児院兼駄菓子屋。そこを地上げしたい悪徳不動産会社「ゴズマ興産」が、読み書きのできない老婆を騙して、不当な契約書にサインをさせた。
書類上は完璧だ。魔法による署名認証まで付いている。
法に則れば、判決は「明け渡し命令」一択だ。
(……だが、それが正義か?)
坂上は手元の書類を睨みつけた。
元自衛官として、規律とルールの重要性は誰よりも理解している。だが、弱きを挫き、悪を栄えさせるルールなど、クソ食らえだ。
背中の『阿吽の仁王』が、法服の下で熱く疼くのを感じた。
「……本件、判決を保留する」
「なっ!? 保留ですと? 書類は完璧でしょう!」
魔族が声を荒げる。
「書類はな。だが、私の『目』は節穴ではない。原告、貴様の提出した契約書からは、腐ったドブの臭いがする」
坂上はドスの利いた声で言い放つと、再び小槌を叩きつけた。
「閉廷! 次回公判までに、現地調査を行う!」
***
「……やってられんわ」
裁判所裏の執務室に戻るなり、坂上は窮屈な法服を乱暴に脱ぎ捨てた。
最高裁判官に就任して一週間。
持ち込まれる案件は、どれもこれもこの調子だ。
急速な経済発展に法整備が追いつかず、力の強い者が弱い者を食い物にする『無法地帯』。それが、ネオン輝く不夜城・タローポリスの裏の顔だった。
「お疲れ〜、坂上さん。荒れてるねぇ」
執務室のソファで、ポテチを齧りながら漫画を読んでいたジャージ姿の男――国王の太郎が、のんきに声をかけてきた。
「陛下……。執務室を休憩所にするのは止めていただきたい」
「いいじゃん、エアコン効いてるし。で? やっぱり書類だけじゃムカつく?」
「……限界ですな。軍艦ならレーダーで敵影を捉えられるが、法廷という密室では、真実が見えてこん」
坂上はコーヒーメーカーのスイッチを入れながら、溜息をついた。
現場百回。それが刑事の、いや、指揮官の鉄則だ。だが、最高裁判官の顔が割れていては、うかつに街を歩けない。
「じゃあさ、行ってくれば?」
太郎がニヤリと笑い、懐から一着の衣装を取り出した。
それは、日本の時代劇に出てくるような、粋な着流しだった。
「これは?」
「ユニークスキル【100円ショップ】の拡張機能で出した、舞台衣装コーナーの逸品。サイズはLL。アンタみたいなイケオジが着れば、どこぞの『遊び人』にしか見えないっしょ」
「……遊び人、か」
坂上は着流しを手に取り、広げた。
地味だが仕立ては悪くない。法服よりも、よほど肌に馴染みそうだ。
かつて、広島の街を肩で風切って歩いていた頃の血が騒ぐ。
「フン……悪くない」
坂上はスウェットを脱ぎ、着流しに袖を通した。
帯をギュッと締め上げると、気合が入る。
懐には、六法全書の代わりに、愛用の扇子とコーヒーキャンディを忍ばせた。
「行って参ります。……少し、風に当たってくる」
「いってら〜。あ、これ活動資金(お小遣い)。領収書切っといてね」
太郎から渡された金貨の袋を受け取り、坂上は窓を開け放った。
夜の帳が下りたタローポリス。
魔法のネオンと提灯の明かりが入り乱れる魔都が、彼を呼んでいる。
***
夜のタローポリスは、混沌の坩堝だった。
路地裏には屋台が並び、ラーメンの湯気と焼き鳥の匂いが立ち込める。
オークの用心棒が睨みを利かせ、エルフの客引きが袖を引く。
「へい、旦那! 寄ってきな! 今なら可愛い猫耳ちゃんが空いてるよ!」
「最高級の魔薬、キメてかないか?」
雑多な呼び込みを、坂上は扇子で軽くあしらいながら歩く。
その歩調はゆったりとしているが、隙がない。
着流しの懐手で、鋭い眼光を隠すように歩く姿は、まさに歴戦の『遊び人』の風格だ。
「……さて、ゴズマ興産のシマはこの辺りか」
坂上が目指すのは、歓楽街の最深部。
違法カジノや闇金が巣食う、治安の空白地帯。
そこに、例の悪徳不動産のバックがいるという噂を、法廷の記録から読み取っていた。
と、その時だ。
薄暗い路地の奥から、怒号と鈍い音が響いてきた。
「あぁん!? テメェ、ここが誰のシマだと思ってやがる!」
「痛い、痛いよぉ……許して……」
見れば、数人のチンピラが、一人の少女を取り囲んでいる。
よくある光景だ。見過ごすこともできる。
だが。
(……非番の日に、ガキを助けて死んだか。……俺も大概、お人好しじゃのう)
坂上は苦笑し、懐からコーヒーキャンディを一つ取り出して口に放り込んだ。
甘苦い味が広がる。
彼はゆっくりと、チンピラたちの背後へと歩み寄った。
「おい、若いの。寄ってたかって、見っともない真似は止めんか」
静かな、しかし腹の底に響く声。
チンピラたちが一斉に振り返る。
「あぁん? なんだテメェ、オッサン。怪我したくなきゃ失せろ!」
「……怪我、か」
坂上はニヤリと笑った。
その笑顔は、かつて呉の暴走族を震え上がらせ、後に数百人の自衛官を統率した『鬼艦長』のそれだった。
「教育的指導が必要なようじゃな。……少々、時間がかかるぞ?」
遊び人のシンさん。
タローポリスの夜に、正義の鉄槌が下されようとしていた。
だが彼はまだ知らない。
この路地の奥にある汚い倉庫で、同じ『赤マルの煙』を燻らせる男が、彼を待っていることを。




