EP 4
カルテルの魔手
タローポリスの高級住宅街。
その一角に、白亜の豪邸が聳え立っている。
表札には『バロン男爵』の名。表向きは貧民救済を謳う慈善事業家だが、その裏の顔は、魔薬『パープル・ヘイズ』の製造・販売を一手に担うカルテルの元締めだ。
「……遅いな」
豪奢な執務室で、バロンはワイングラスを傾けながら不機嫌そうに呟いた。
肥満体の体に高価なシルクのガウンを纏い、指には魔力を帯びた宝石の指輪がいくつも光っている。
「申し訳ありません、男爵様。例の女……エレナからの納品が滞っておりまして」
「フン。弟の病気を治す餌(薬)をチラつかせてやれば、いくらでも働くと踏んだが……期待外れか」
バロンは残ったワインを一気に飲み干すと、冷酷な笑みを浮かべた。
「代わりはいくらでもいる。……『回収班』を送れ。女は娼館へ、弟は……新薬の実験体として工場へ運べ」
「ハッ! 直ちに」
執事が恭しく一礼し、闇へと消えていく。
バロンは空のグラスを握りつぶしそうなほど強く握った。
「私の街を汚すネズミ共め……骨の髄までしゃぶり尽くしてやる」
***
一方、T-SWAT本部倉庫。
重苦しい空気が漂っていた。
「……すまねぇ。ホシ(容疑者)を見逃した」
鮫島が、スチールデスクにKorth NXSを置き、頭を下げた。
警察官としてあるまじき失態。始末書で済む話ではない。
だが、報告を受けた坂上は、怒ることもなく、手挽きのコーヒーミルを回し続けていた。
「ガリガリ……という音が、心地いいと思わんか?」
「……爺さん?」
「豆は挽かれて初めて香りを放つ。人もまた、追い詰められて本性が出るものだ」
坂上はミルを止め、香り高い粉をドリッパーに移した。
「その女、エレナと言ったか。彼女もまた、挽かれている最中なのだろう。……組織という臼の中でな」
「ああ。弟を人質に取られているようなもんだ。俺が手錠をかければ、弟は死ぬ」
鮫島が悔しげに拳を握る。
そこへ、倉庫の隅から声が上がった。
「気に入らねぇな」
イグニスが、配給された乾パンを噛み砕きながら唸る。
「病気のガキをネタに女をこき使うなんざ、ドラゴンの風上にも置けねぇ。……燃やしていいか? その元締め」
「同感ね」
キャルルが安全靴の紐を締め直しながら、静かに怒りを滲ませる。
「私の結婚資金稼ぎとはワケが違うわ。……吐き気がする」
「私も! そんな胸糞悪い話、拡散して社会的に抹殺しなきゃ気が済まない!」
キュララがスマホを構え、やる気満々だ。
坂上は全員を見渡し、ニヤリと笑った。
「鮫島。お前の判断は間違っていない。……だが、甘い」
「……何?」
「女一人守れず、何がSWATか。……やるぞ、総員」
坂上が熱いコーヒーを鮫島の前に置いた。
「組織ごと潰す。女も、弟も、街の平和も……全部まとめて救い出すのが、俺たち『シンさん一家』の流儀だろうが」
「……へっ、違いねぇ」
鮫島はブラックコーヒーを一気に煽り、ニヒルに笑った。
苦味が、迷いを洗い流していく。
「よし。キュララは上空から監視。イグニスとキャルルは待機。俺と爺さんで現場を押さえる」
***
その夜。エレナのアパート。
事態は最悪の局面を迎えていた。
「い、嫌っ! 離して! リュカを連れて行かないで!」
エレナが必死に男の足にしがみつく。
バロンの命を受けた『回収班』――武装した傭兵たちが、部屋に押し入っていた。
一人の男が、ベッドから弟のリュカを乱暴に担ぎ上げている。
「うるせぇアマだ! テメェはもう用済みなんだよ!」
「弟さんは俺たちの工場で預かってやるよ。……最高の『実験材料』としてなァ!」
男がエレナを蹴り飛ばす。
彼女は壁に激突し、咳き込んだ。それでも、這いつくばって弟の方へ手を伸ばす。
「やめて……お願い……!」
絶望が彼女を覆い尽くそうとした、その時だ。
パァン!!
乾いた銃声が夜気を切り裂いた。
リュカを担いでいた男の肩から血飛沫が上がり、男は悲鳴を上げて少年を取り落とした。
「誰だッ!?」
崩れ落ちそうになったリュカを、黒いコートの影が受け止める。
鮫島勇護だ。
その手には、硝煙を上げるKorth NXS。
「……その汚ぇ手で、ガキに触るんじゃねぇ」
「鮫島さん……!」
エレナが目を見開く。
その後ろから、着流し姿の坂上が、扇子をパチリと鳴らして現れた。
「寄ってたかって、か弱い姉弟をいじめるとは感心せんな。……教育が必要か?」
T-SWATの介入。
傭兵たちが武器を構え、殺気立つ。
これで助かる――エレナはそう思うはずだった。
だが。
「……やめて!!」
エレナの口から出たのは、感謝ではなく拒絶の叫びだった。
彼女は鮫島の前に立ちはだかり、両手を広げたのだ。
「手出ししないで! 帰って!」
「……は?」
鮫島が眉をひそめる。
「何を言ってる。こいつらはアンタらを……」
「分かってる! でも、この人たちを捕まえたら、リュカの薬が手に入らなくなるの!」
エレナは涙ながらに訴えた。
「バロン様しか……あの組織しか、リュカの病気を治す特効薬を持っていないの! 警察が介入したら、供給を止められる……そう言われてるの!」
それは、暴力よりも深い支配だった。
命の手綱を握られている以上、彼女は組織に従うしかない。たとえそれが、地獄への道だとしても。
傭兵のリーダーが、下卑た笑い声を上げた。
「ハハハ! 聞いたかポリ公! 被害者様が『帰れ』と言ってるぜぇ? ここで俺たちを撃てば、ガキを殺すのはテメェってことにならァ!」
「…………ッ!」
鮫島は歯噛みした。
銃口が下がる。正義感だけでは、この呪縛は断ち切れない。
膠着状態。
その時、坂上が静かに前に進み出た。
「……なるほど。薬がないと死ぬ、か」
彼は懐から一枚の名刺を取り出し、エレナに見せた。
そこには、黄金の天秤のマーク――『リベラ法律事務所』の紋章が刻まれていた。
「ならば、取引といこうか。お嬢さん」
坂上の瞳が、鋭く光った。




