EP 3
運び屋の涙
ドォン!!
腐りかけた木の扉が、蝶番ごと内側に弾け飛んだ。
狭いアパートの室内に、土足で踏み込んでいた二人の男たちが、驚愕に振り返る。
「あァん!? なんだテメェ……」
言いかけた男の顔面に、濡れた革靴の底がめり込んだ。
「グベッ!?」
鼻骨が砕ける鈍い音。男がのけぞり、安っぽいテーブルをなぎ倒して転がる。
もう一人の男が、腰のナイフを抜こうとした。
「ヒッ……!?」
だが、それより速く、冷たい金属の塊が男の眉間に押し当てられていた。
Korth NXS。その重厚な銃口が、男の思考を停止させる。
「動くな。……公務執行妨害で風穴が開くぞ」
地獄の底から響くような低音。
鮫島の目は、雨に濡れた前髪の奥で、氷のように冷たく光っていた。
それは、ロスの裏路地で数多の凶悪犯を制圧してきた、本物の「SWAT」の目だった。
「け、警察……!? チッ、覚えてろよ!」
男たちは捨て台詞を吐き、仲間を引きずって逃げ出した。彼らは弱い者しか虐げられないハイエナだ。本物の捕食者を前にしては、逃げることしかできない。
静寂が戻った部屋に、雨音だけが響く。
エレナは、弟のベッドの前でへたり込み、震えていた。
「……大丈夫か」
鮫島が銃をホルスターに戻し、声をかける。
エレナがゆっくりと顔を上げ、息を呑んだ。
「あ……貴方は、昨日の……」
「ああ。……落とし物だ」
鮫島はポケットから、あのレースのハンカチを取り出し、彼女の前に放った。
ハンカチは、床に散乱した「紫色の粉末」の横に落ちた。
男たちが暴れたせいで、エレナが隠し持っていた魔薬の包みが破れていたのだ。
「…………」
エレナの顔から、血の気が引いた。
言い逃れはできない。現行犯だ。
「……『パープル・ヘイズ』。末端価格で金貨三十枚ってところか」
「ち、違います……これは、預かっただけで……」
「嘘をつくな」
鮫島が短く遮る。
「その臭い。昨日、アンタから漂っていたのと同じだ。……アンタが運び屋か」
エレナは唇を噛み締め、俯いた。否定はしなかった。
ベッドの上で、弟のリュカが苦しげな呼吸を繰り返している。
「……この子の、ためか」
「……リュカは、『魔石病』なんです」
消え入りそうな声で、エレナが語り始めた。
体内に魔力が過剰に蓄積し、内臓を蝕む奇病。治療には、高純度のポーションと、専門の魔導師による施術が必要だ。莫大な金がかかる。
「両親は早くに亡くなって……私しかいないんです。普通の仕事じゃ、薬代も稼げなくて……そんな時に、あの人たちが……」
「……高額な報酬で釣ったか。よくある手口だ」
鮫島は懐からタバコを取り出しかけ、病人がいることに気づいて舌打ちし、そのまま箱に戻した。
「アンタが運んでるその粉で、街じゃ何人もが廃人になってる。……分かってるのか」
「分かってます! ……でも!」
エレナが顔を上げ、叫んだ。その目には涙が溢れていた。
「私が地獄に落ちてもいい! この子が助かるなら、悪魔にだって魂を売ります!」
「…………」
「お願いです、見逃してください……! 今、私が捕まったら、リュカは……!」
彼女は床に額を擦り付け、懇願した。
プライドも、良心も、全てを投げ捨てた姿。
それは、あまりにも痛々しく、そして強かった。
鮫島は、胸ポケットに入っていたコーヒーキャンディの包み紙を、指先で弄んだ。
法を犯した者を捕らえるのが警察の仕事だ。情状酌量の余地はあれど、彼女は犯罪者だ。
だが。
(……クソッ)
鮫島は踵を返した。
「……今回は、見なかったことにしてやる」
「え……?」
「だが、次はねぇぞ。……足を洗え」
背中越しに告げ、鮫島は壊れた扉から雨の路地へと出て行った。
甘い。甘すぎる判断だ。始末書どころでは済まない職務放棄。
だが、あの姉弟をこのまま引き裂くことは、彼の中の「正義」が許さなかった。
冷たい雨が、熱くなった頭を冷やしていく。
鮫島は、ようやくタバコに火をつけ、深く吸い込んだ。
「……俺一人じゃ、手が足りねぇな」
彼女を救うには、元凶を断つしかない。
魔薬をばら撒き、弱者を食い物にする組織そのものを。
鮫島はスマホを取り出し、本部の坂上にコールした。
「……爺さん。デカい『山』だ。……全員、招集してくれ」




