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『元イージス艦長(50歳)、異世界で最高裁判官になる。〜背中の仁王が火を吹くぜ! 遊び人シンさんが裁く、太郎国・大江戸捜査網〜』  作者: 月神世一


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EP 2

蔓延する「紫の悪夢」

「ウガアアアアッ!!」

 野獣のような咆哮が、タローポリスのメインストリートに響き渡った。

 日曜の昼下がり、買い物客で賑わう大通りはパニックに陥っていた。

 暴れているのは魔獣ではない。人間だ。

 だが、その男の目は白目を剥き、全身の血管が紫色に浮き上がり、異常な怪力で街灯を引き抜いて振り回している。

「確保オォォォッ!!」

 怒号と共に、黒い影が飛び出した。

 T-SWAT隊員、キャルルだ。

 彼女は安全靴を鳴らして疾走すると、暴れる男の懐に滑り込み、トンファーで手首を強打して街灯を取り落とさせた。

「イグニス! 盾になれ!」

「おうよ!」

 続いてイグニスが巨体を割り込ませる。男が殴りかかってくるが、竜人の頑強な肉体はビクともしない。

 その隙に、鮫島が背後へ回り込んだ。

「動くな!」

 鮫島は警棒を展開し、男の膝裏を正確に打撃して体勢を崩させると、一瞬で手錠を掛けた。

 地面に押さえつけられた男は、口から紫色の泡を吹き、痙攣している。

「……クソッ、またか」

 鮫島は男の瞳孔を確認し、舌打ちをした。

 この一週間で、同様の事件が急増していた。

 原因は分かっている。新種の違法魔薬――通称『パープル・ヘイズ』だ。

***

 数時間後。T-SWAT本部倉庫。

 汚れたスチールデスクの上には、押収された『パープル・ヘイズ』の小瓶が置かれていた。

「……成分は、魔界産の幻覚キノコと、化学合成された興奮剤のハイブリッドだ」

 着流し姿の坂上シンさんが、ルーペで小瓶を観察しながら言った。

 彼はコーヒー(微糖)を一口啜り、渋い顔をする。

「服用すると一時的に魔力と腕力が跳ね上がるが、副作用で理性を失い、凶暴化する。……タチが悪いな」

「ああ。しかも、安価で出回ってやがる。学生や労働者が栄養ドリンク感覚で手を出して、このザマだ」

 鮫島はデスクに足を投げ出し、天井を仰いだ。

 脳裏をよぎるのは、昨日の雨の中で出会った女――エレナのことだ。

 彼女が落としたハンカチから漂っていた、あの鼻を刺す臭い。

 それは、今目の前にある『パープル・ヘイズ』の臭気と、完全に一致していた。

(あの子犬みたいな女が、売人だってのか……?)

 信じたくない自分がいた。あの怯えた目。コーヒーキャンディを苦いと言った、儚げな笑顔。

 あれが演技だとしたら、とんだ大女優だ。

「……鮫島。顔色が悪いぞ」

「なんでもねぇよ」

 鮫島は立ち上がり、コートを羽織った。

「少し、空気を吸ってくる」

「フン。……雨に濡れるなよ」

 坂上の鋭い視線を背中で受け止めながら、鮫島は倉庫を出た。

***

 夕暮れの貧民街。

 タローポリスの華やかな光が届かないこの場所は、迷路のように入り組んだ路地と、崩れかけたアパートが密集している。

 鮫島は、探偵のような足取りで街を歩いていた。

 手には、あのレースのハンカチ。

 キュララの顔認証システムと、街頭の魔導カメラのログを使えば、彼女の居場所を特定するのは造作もなかった。

「……ここか」

 辿り着いたのは、廃材を継ぎ接ぎしたようなボロアパートの一室だった。

 窓ガラスはヒビ割れ、薄いカーテンが揺れている。

 鮫島は建物の陰に身を隠し、中の様子を窺った。

 そこに、彼女はいた。

 エレナだ。

 だが、彼女は魔薬を密売しているわけでも、悪党と金を数えているわけでもなかった。

「……ごめんね、リュカ。苦しいね……」

 彼女は、ベッドに横たわる少年の額を、懸命に冷たいタオルで拭っていた。

 少年は痩せこけ、肌には不気味な黒い斑点が浮かんでいる。

 時折、激しく咳き込み、その度にエレナは背中をさすり、涙を堪えるような顔をする。

「お姉ちゃん……薬……高いんでしょ……?」

「大丈夫よ。お仕事、順調だから。……すぐに良くなる薬、買ってくるからね」

 エレナは少年に優しく微笑みかけたが、その手は震えていた。

 部屋の隅には、粗末な食事(パンの耳と水)しかない。

 彼女自身、何も食べていないのだろう。

「…………」

 鮫島は、握りしめていたハンカチをポケットに突っ込んだ。

 状況は読めた。

 金だ。

 弟の病気を治すための、高額な治療費。そのために、彼女はこの危険な薬の運び屋に手を染めている。

「……馬鹿な女だ」

 呟く声に、自嘲が混じる。

 犯罪は犯罪だ。見過ごすことはできない。

 だが、今の彼女に手錠をかければ、あの少年はどうなる?

 その時、アパートの扉が荒々しく叩かれた。

「おい! いるんだろ、エレナちゃんよぉ!」

 ガラリと扉が開き、ガラの悪い男たちが土足で踏み込んでいく。

 ゴズマ興産の下請けか、あるいはもっとタチの悪い組織の連中だ。

「ヒッ……!」

「昨日の売上、足りねぇぞ? ノルマ達成できなきゃ、弟の薬代はどうなるか分かってんだろうな?」

 男の怒号と、エレナの悲鳴。

 鮫島の中で、何かが弾けた。

 彼はタバコを地面に叩きつけ、靴底で踏み消した。

「……職権乱用だ、クソッタレ」

 Korth NXSの撃鉄を起こす音だけを響かせ、鮫島は夕闇の中へ踏み出した。

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