EP 2
蔓延する「紫の悪夢」
「ウガアアアアッ!!」
野獣のような咆哮が、タローポリスのメインストリートに響き渡った。
日曜の昼下がり、買い物客で賑わう大通りはパニックに陥っていた。
暴れているのは魔獣ではない。人間だ。
だが、その男の目は白目を剥き、全身の血管が紫色に浮き上がり、異常な怪力で街灯を引き抜いて振り回している。
「確保オォォォッ!!」
怒号と共に、黒い影が飛び出した。
T-SWAT隊員、キャルルだ。
彼女は安全靴を鳴らして疾走すると、暴れる男の懐に滑り込み、トンファーで手首を強打して街灯を取り落とさせた。
「イグニス! 盾になれ!」
「おうよ!」
続いてイグニスが巨体を割り込ませる。男が殴りかかってくるが、竜人の頑強な肉体はビクともしない。
その隙に、鮫島が背後へ回り込んだ。
「動くな!」
鮫島は警棒を展開し、男の膝裏を正確に打撃して体勢を崩させると、一瞬で手錠を掛けた。
地面に押さえつけられた男は、口から紫色の泡を吹き、痙攣している。
「……クソッ、またか」
鮫島は男の瞳孔を確認し、舌打ちをした。
この一週間で、同様の事件が急増していた。
原因は分かっている。新種の違法魔薬――通称『パープル・ヘイズ』だ。
***
数時間後。T-SWAT本部倉庫。
汚れたスチールデスクの上には、押収された『パープル・ヘイズ』の小瓶が置かれていた。
「……成分は、魔界産の幻覚キノコと、化学合成された興奮剤のハイブリッドだ」
着流し姿の坂上が、ルーペで小瓶を観察しながら言った。
彼はコーヒー(微糖)を一口啜り、渋い顔をする。
「服用すると一時的に魔力と腕力が跳ね上がるが、副作用で理性を失い、凶暴化する。……タチが悪いな」
「ああ。しかも、安価で出回ってやがる。学生や労働者が栄養ドリンク感覚で手を出して、このザマだ」
鮫島はデスクに足を投げ出し、天井を仰いだ。
脳裏をよぎるのは、昨日の雨の中で出会った女――エレナのことだ。
彼女が落としたハンカチから漂っていた、あの鼻を刺す臭い。
それは、今目の前にある『パープル・ヘイズ』の臭気と、完全に一致していた。
(あの子犬みたいな女が、売人だってのか……?)
信じたくない自分がいた。あの怯えた目。コーヒーキャンディを苦いと言った、儚げな笑顔。
あれが演技だとしたら、とんだ大女優だ。
「……鮫島。顔色が悪いぞ」
「なんでもねぇよ」
鮫島は立ち上がり、コートを羽織った。
「少し、空気を吸ってくる」
「フン。……雨に濡れるなよ」
坂上の鋭い視線を背中で受け止めながら、鮫島は倉庫を出た。
***
夕暮れの貧民街。
タローポリスの華やかな光が届かないこの場所は、迷路のように入り組んだ路地と、崩れかけたアパートが密集している。
鮫島は、探偵のような足取りで街を歩いていた。
手には、あのレースのハンカチ。
キュララの顔認証システムと、街頭の魔導カメラのログを使えば、彼女の居場所を特定するのは造作もなかった。
「……ここか」
辿り着いたのは、廃材を継ぎ接ぎしたようなボロアパートの一室だった。
窓ガラスはヒビ割れ、薄いカーテンが揺れている。
鮫島は建物の陰に身を隠し、中の様子を窺った。
そこに、彼女はいた。
エレナだ。
だが、彼女は魔薬を密売しているわけでも、悪党と金を数えているわけでもなかった。
「……ごめんね、リュカ。苦しいね……」
彼女は、ベッドに横たわる少年の額を、懸命に冷たいタオルで拭っていた。
少年は痩せこけ、肌には不気味な黒い斑点が浮かんでいる。
時折、激しく咳き込み、その度にエレナは背中をさすり、涙を堪えるような顔をする。
「お姉ちゃん……薬……高いんでしょ……?」
「大丈夫よ。お仕事、順調だから。……すぐに良くなる薬、買ってくるからね」
エレナは少年に優しく微笑みかけたが、その手は震えていた。
部屋の隅には、粗末な食事(パンの耳と水)しかない。
彼女自身、何も食べていないのだろう。
「…………」
鮫島は、握りしめていたハンカチをポケットに突っ込んだ。
状況は読めた。
金だ。
弟の病気を治すための、高額な治療費。そのために、彼女はこの危険な薬の運び屋に手を染めている。
「……馬鹿な女だ」
呟く声に、自嘲が混じる。
犯罪は犯罪だ。見過ごすことはできない。
だが、今の彼女に手錠をかければ、あの少年はどうなる?
その時、アパートの扉が荒々しく叩かれた。
「おい! いるんだろ、エレナちゃんよぉ!」
ガラリと扉が開き、ガラの悪い男たちが土足で踏み込んでいく。
ゴズマ興産の下請けか、あるいはもっとタチの悪い組織の連中だ。
「ヒッ……!」
「昨日の売上、足りねぇぞ? ノルマ達成できなきゃ、弟の薬代はどうなるか分かってんだろうな?」
男の怒号と、エレナの悲鳴。
鮫島の中で、何かが弾けた。
彼はタバコを地面に叩きつけ、靴底で踏み消した。
「……職権乱用だ、クソッタレ」
Korth NXSの撃鉄を起こす音だけを響かせ、鮫島は夕闇の中へ踏み出した。




