エピローグ 蓮の声
エピローグ 蓮の声
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施餓鬼会が終わった午後、香蓮寺の境内には、透き通った光が差していた。本堂の屋根から落ちる影の下、真咲は一人、池のほとりに座っていた。僕はその姿を、遠くから見つめていた。
蓮池には、いくつも白い花が咲いていた。泥の中から伸びた茎が、まっすぐ空へと手を伸ばし、その先に、静かな光を受けている。
真咲は、膝の上にそっとウォークマンを置いた。その中にはきっと、おじいさんの声を残したテープが入っているのだろう。けれど、あれはもう再生できない。実は、あのウォークマンを僕は修理したのだけど、結局再生できたのは、真咲が部室で聞いた一回だけで、その後は完全に壊れてしまったようで、再生できなくなったしまったのだ。
だけど、不思議と焦りや悲しみはなかった。きっと真咲も同じように感じているだろう。
僕は、池のほとりに座る真咲の方へ向かった。僕が近づくと、真咲もそれに気づいたようだった。彼女は僕の方を向き、少しだけ笑みを浮かべた。僕は特に何も言わず、無言で池を見つめている。
……しばらくの沈黙があった後、真咲が口を開いた。
「声って形にならないのよ」
その言葉を受け、僕は答える。
「……そうだね。でも、耳じゃなくて、心には残るんでしょ?」
真咲は、静かに微笑んだ。
壊れたウォークマンを両手で包み、そっと胸元に引き寄せる。
「おじいさんの声も、遼くんの声も、志保さんの声も、きっと誰かの祈りも……みんな、ちゃんと届いていたんだなって、思えたのよ」
風が吹き、蓮の葉が音もなく揺れた。
真咲は立ち上がり、ウォークマンを胸に当てたまま、そっと手を合わせ、静かに声を出した。
「ありがとう」
それは誰に向けられた言葉なのか、僕にはわからなかった。でもそれでよかった。
遠くで鐘の音が鳴った。次の季節が、すぐそこまで来ていた。九月も終盤になり、夏の色は少しずつ薄れている。秋が始まろうとしているのだ。
真咲は一歩、境内の坂道を降りていく。
もう過去に縛られるためではなく、これから誰かのために、自分の声で祈りを届けるために。
紺色のスカートが、秋風にそっと揺れたーー
〈了〉




