第36話 バンド名
放課後、地下のホログラムフィールドは静まり返っていた。
天井の照明が淡く光り、空間全体が薄い金色の空気に包まれている。
美術部のロマたちは、音楽に合わせてホログラムを描く練習をしていた。
音の波に反応して、空間に色と線が走る。
まるで“音”そのものが絵筆の導き手になっていくようだった。
日が暮れて、ほとんどの部員が帰った。
けれどロマとシキ、ルキの三人は残り、軽音部のリディたちの演奏を聴きながら筆を走らせていた。
誰もいない空間に、音と光だけが生きていた。
――音に合わせて絵を描くのって、すごく楽しい。
好きな曲なら、なおさらだ。
そう思った直後、ロマの端末に新着メッセージが。
「みんなお疲れ様!」
ロマは笑いながら軽音学部の方へ駆けた。
「放送部が許可くれたよ! リディたちの曲、文化祭特集で流してもらえるって!」
練習を終えたばかりのリディたちが顔を上げる。
アンプの熱がまだ残る空気の中、リディの汗に濡れた髪が光を受けて揺れた。
「ありがとう、ロマ」
リディが微笑む。
穏やかで、それでいて少し震える声だった。
「……どうする? 明日、放送でバンド名を公表するんだよね」
プリスがギターを軽く弾いた。
弦が鳴るたび、ホログラムの中に透明な波紋が広がる。
「うん。そろそろ決めなきゃだ」
意外にもリディの声は静かだった。
「バンド名、ずっと保留だったもんね」
クレアがスティックをくるりと回す。
「“リディーズ”とか“マシュマロリン”とかは絶対イヤだからね!」
その言葉に笑いが起きた。
「私は好きだけどな」
ヴェルテが微笑みながら揶揄う。
「ましゅまろりん……?」
ロマたちもつられて笑った。
笑いがおさまるとプリスが真剣な顔になって口を開いた。
「……“Rushmarrow”ってどう?」
その言葉に、空気が少しだけ動いた。
全員が彼女を見た。
「Rushは“駆け抜ける”、Marrowは“骨髄”――命の奥。
私たちの音が、誰かの奥まで届けばいいなって」
「音がマシュマロに似てる」
シャルムがぼそっと呟いた。
その言葉にリディが笑って、静かに言った。
「ありがとうプリス……いいね。それ、すごく好きだ」
リディの言葉にプリスの表情が明るくなる。
クレアがドラムスティックで小さくトンと叩いた。
その音がまるで、新しい名前に心臓を与えたように響いた。
「いいじゃん」
ルキが小さく笑った。
「疾走感があってリディたちっぽいよ」
シキも頷く。
――Rushmarrow。
走り抜ける衝動と、芯まで届く願い。
ロマは胸の奥で、その言葉を反芻した。
きっとこの名前が、彼らをひとつにしていく。
天井の照明がふっと明滅する。
その光に包まれて、リディが小さく息を吸った。
「決まりだね。明日の放送で、みんなに知らせよう。“Rushmarrow”として」
ロマは思った。
これはただの名前じゃない。願いそのものだ。
痛みも焦りも、優しさも――すべて音に溶けていくような。
* * *
翌日のお昼休み。
放送室は、機材の光と昼の白い陽が混ざる独特の空気だった。
ロマは扉の隙間から中を覗く。
リディたちがマイクを囲み、放送部の生徒が音量を調整している。
「本当に、これが学園中に流れるんだね」
プリスが緊張したように笑う。
「リディの声が、全校放送……感激だわ」
クレアがしみじみしている。
「でも今日は告知だから」
リディの声は大したことないという感じで落ち着いていた。
昨夜決めた名前が、その瞳の奥で小さく光っているようだった。
「ボクたち、“Rushmarrow”として、ちゃんと名乗るんだ」
その一言に、全員の背筋が自然と伸びた。
放送部員が手を上げる。
シキがマイクの前に立つ。
張りつめた空気の中、柔らかな声が響いた。
「それではお知らせです。文化祭前特別企画――軽音学部のライブ告知です。今週金曜の放課後、中庭ステージにて、ボーカル・リディ率いる“Rushmarrow”のミニライブが行われます」
その瞬間、学園全体が息をのんだようだった。
ロマの心が高鳴る。
“Rushmarrow”という言葉が、初めて他の誰かに届いた。
廊下で足を止める生徒たち。
「きゃ!シキ君のお声が聞こえる!」
「ラッシュマロゥ?」
「リディたちのバンドじゃない?」
ざわめきが波のように広がっていく。
スピーカーから一曲だけ、短く流れた。
ヴェルテのキーボード、シャルムのベース、プリスのギター。
その上に、リディの声が重なった。
空気が澄みわたり、世界が少しだけ透明になる。
――放送が終わる。
ロマの端末が震えた。
「“今の曲、誰の?”って、もうSNSに上がってる!」
「早っ!」
プリスが驚く。
クレアが笑ってスティックをくるりと回す。
「よーし、注目度アップ間違いなし!」
リディはその中で静かに呟いた。
「……Rushmarrow、ちゃんと響いたかな」
ロマは窓越しにその横顔を見つめた。
昼の光が彼の髪を包み、まるで本物のスポットライトのように輝いていた。
――響いたよ、リディ。
誰よりも、まっすぐに。
リディたちのミニライブは無事成功して学園内の人気と知名度が上がった。
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