第15話 後悔
ロマの心は、砕けそうだった。
美術室を抜け出し、廊下を歩くロマの足音は、夕暮れの静けさに虚しく響いた。
ココナに何気なく避けられ、無視された瞬間、胸の奥に冷たい棘が刺さったような感覚があった。
俺……ココナちゃんに何か嫌われるようなことしたのかな……?
ココナの明るい笑顔、いつも気さくに話しかけてくれる彼女の優しさが、急に遠いものに感じられた。
どうして……? 優しかったココナちゃんが、なんで……
ロマの頭に、中等部時代の記憶がフラッシュバックする。
クラスメイトの冷たい視線、無視された時の息苦しさ、ひとりぼっちで過ごした昼休みの孤独……。
パルフェ学園に入学してからは嫌われないように、いじめられないように、いつも笑顔で、誰にでも優しく振る舞ってきたつもりだった。
それなのに、また同じ痛みが胸を締め付ける。
また……嫌われたのかな。
ロマの足は、気づけば家庭科部の部室へと向かっていた。
夕陽が差し込む家庭科部の部室は、静かで穏やかな空気に包まれていた。ミシンの機械音も、部員たちの笑い声もない。今日は活動日ではないはずなのに、部屋の隅でソルティ先輩がひとり、ぬいぐるみを作っていた。
長いスカートが、窓から差し込むオレンジ色の光に揺れ、彼の独特な雰囲気を引き立てていた。
「ソルティ先輩? 今日、活動日じゃないのに……どうしてここに?」
ロマの声に、ソルティは穏やかに微笑み、縫う手を一時止めた。
「もうすぐ引退の時期で、なんだか少し寂しくて。こうやって部室に来ると、息抜きになって心が落ち着くんです」
ソルティの低くて澄んだ声が静かな部室に柔らかく響いた。ロマは一瞬、彼の穏やかな存在に心が和むのを感じたが、すぐに胸の痛みが蘇った。
「そうか……ソルティ先輩、もう少しで引退しちゃうんだ……」
ロマは小さく呟き、視線を落とした。
ソルティがふとロマを見やり、柔らかい声で尋ねた。
「ロマ君こそ、どうしたんですか? なんだか元気がないようですが……」
その優しい声に、思わず悲しい気持ちを打ち明けたくなった。
でもソルティ先輩に心配をかけられない。
そう思った瞬間、咄嗟に笑顔を貼り付けた。
「いえ……なんでもないんです! ちょっと寄っただけなんで……邪魔してごめんなさい!」
ロマは慌てて部室を飛び出した。
ソルティの「ロマ君?」という呼び声が背中に届いたが、振り返ることができなかった。
ロマの足は、いつしか学校の裏にある秘密の庭園へと向かっていた。
白いガゼボが夕陽に照らされ、蔦の絡まる柱が柔らかい影を落としている。
透き通る泉に住む小魚もなんとなく弱々しく泳いでいる気がした。
ロマはガゼボの中の木製の椅子に腰を下ろし、膝を抱えた。風がそよぐたび、庭園の花々が揺れ、どこか寂しげな香りが漂う。
ロマは端末を取り出し、キールの動画を開いた。
最新のライブペイントは大空に羽ばたく鳥の絵だった。
躍動感があって今にも飛んでいきそうだ。
ほんのひとときその動画を観ている時は、元気をもらえたが終わると現実にすぐ引き戻される。
やっぱり……辛いな。
ココナの冷たい視線、すれ違いざまの無視……その一瞬一瞬が、ロマの心を切り裂いていた。
涙がぽろりと頬を伝い、止まらない。
ガゼボの木の隙間から漏れる夕陽が、涙にきらめく光を映した。
その時、静かな足音が近づき、隣の椅子に誰かが腰を下ろした。
ロマが顔を上げると、ルキがそこにいた。
今日は珍しくルキは眼鏡を掛けていない。
長い前髪が夕陽に透け、髪の間からラベンダー色の瞳がロマをじっと見つめている。
「ロマ、ココナと何かあったのか?」
ルキの声はぶっきらぼうだが、どこか深い気遣いが滲んでいた。
ロマは驚いて泣き顔をルキに向け、声を震わせた。
「えっ……ルキ君? どうして……ここに?」
ルキは無言でロマの隣に座り、肩を軽く叩いた。
「……お前の顔、めっちゃわかりやすいんだよ。なんかココナとロマの様子おかしいし、喧嘩でもしたのか?」
ロマは唇を噛み、涙を拭う手が震えた。
「……ううん、喧嘩じゃないんだけど……ココナちゃん、最近俺のこと避けてるみたいで。挨拶しても無視されたり、目が合ってもそらされたり……。俺、なんか嫌われるようなことしたのかな……。また、嫌われちゃったのかな」
言葉を紡ぐたび、涙がぽたぽたと膝に落ちる。
ルキは静かにロマの肩に手を置き、長い前髪を耳にかけ、ラベンダー色の瞳でロマをまっすぐ見つめた。
「ロマ……もしお前が世界中に嫌われたとしても、俺はお前の友達だ。辛い時は俺を頼れよ」
その言葉は、ルキのいつものそっけなさとは裏腹に、深い温かさに満ちていた。
ロマの胸が、じんわりと熱くなる。
「ルキ君……ありがとう。いつも、辛い時助けてもらってるね……」
ロマは涙を拭いて、かすかに笑った。
ルキの大きな手が、ロマの肩にそっと残り、静かな安心感を与えてくれた。
同じ頃、美術部の備品庫はひっそりと静まり返っていた。
絵の具の匂いと古いキャンバスの埃っぽさが漂う。
シキがココナに向ける瞳には、珍しく鋭さが宿っている。
「ココナちゃん。ロマに冷たくするのはどうして?」
シキの声は静かだが、怒りに満ちた響きがあった。
ココナの心臓が握り潰されていくように痛んだ。
シキ君はやっぱり……ロマ君のことばかり。
その思いが、抑えていた感情の堰を切った。
ココナの声が、震えながら溢れ出す。
「シキ君は……ロマ君のことが好きなんでしょ? いつもロマ君のことばかり優しく見て、楽しそうに話して……。それが嫌だったの! 悔しかったの……!」
言葉を吐き出すたび、嫉妬と悲しみが胸を締め付けた。
シキの瞳が一瞬揺れ、すぐに深い悲しみに変わった。
彼は静かに息をついて、声を低くした。
「確かに、ロマは僕にとって大切な友達だ。どんな理由があっても、誰であっても、ロマを傷つけることは許さない」
シキの言葉には、強い決意が込められていた。
だが、彼の声はすぐに苦しげに揺れた。
「ココナちゃん、ごめん……。僕、特定の誰かと親しくなるのを避けてたんだ。小さい頃に……ルキと一緒に話をしていただけなのに、ルキが女の子だと勘違いされて、酷い噂を流されたりいじめに遭ったことがあって……。僕のせいで、ルキを傷つけてしまった……。守れなかった……」
シキの瞳が伏せられ、声に暗い影が宿る。
彼の手は小さく震え、過去の傷が今も癒えていないことを物語っていた。
「『大切なひとがいる』と言えば大抵諦めてくれるだろうと思って……嘘ついてた。僕の弱さから、想いを伝えてくれたココナちゃんに失礼な事をした。本当にごめん……」
ココナの胸に、衝撃と罪悪感が走った。
ルキ君……昔シキ君と友達だったんだ。
「そうだったんだ……。私だってこんなことしちゃいけないって……わかってた。頭ではわかってたのに……。シキ君への気持ちが、嫉妬が、抑えられなくて……」
ココナの目から涙が溢れ、頬を伝った。
シキの過去の痛みを知り、自分の行動がロマを傷つけた事実に、胸がさらに重くなる。
「どうしよう……。ロマ君、謝ったら許してくれるかな……」
シキは静かに頷き、穏やかな声で言った。
「ロマなら、きっと話せばわかってくれるよ」
「うん……」
ココナは涙を拭い、備品庫の薄暗い空間を後にした。ロマに八つ当たりしたことは、結局自分をさらに傷つけただけだった。
ロマ君に……ちゃんと謝りたい。
夕陽が備品庫の小さな窓から差し込み、床に細い光の筋を描いていた。
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