第八話「支配領域を越えて」
結界内に響く自分の息づかいが、異様なほど重く感じられた。
肩口から流れる血が訓練着を濡らし、張り巡らされた術式の光が、まるで死刑宣告のように足元を照らしていた。
……終わりじゃない。
俺はまだ――生きてる。
「お前に壊されるほど、ヤワじゃねぇんだよ」
俺は、理央を睨みつけながら、ゆっくりと立ち上がった。
理央の視線が細くなり、警戒の色が濃くなる。
「まだ戦えるの? 正直、そこまでとは思わなかった」
「こっちのセリフだよ……三重構成の能力持ちとはな。情報操作、未来予測、術式転写……お前、もはや戦術兵器だろ」
「言葉を並べてる間に、死ぬわよ?」
彼女が動く。空間がまた“歪む”。
しかし、もう騙されない。
俺は己の視界と直感に集中する。視覚情報は信用できない。だが“身体”は、嘘をつかない。
《予測演算・強化》
《肉体制御モード:直感補正ON》
自分の中で、戦闘用の思考ルーチンに切り替える。
全能力を封じられた今、残されているのは、“俺自身の読みと反応速度”だけ。
だが――それで十分だ。
「来いよ、理央……!」
彼女の足が、わずかに滑る。
左へ、重心が逃げた。次の瞬間、風を切ってくる“幻影”の蹴り。
「そこか!」
俺は寸前で身を低くし、蹴りを回避。
そのまま低空姿勢から突進、腹部へ膝蹴りを叩き込む――が、幻。
「くっ……!」
理央はもう“実体”を離していた。
背後――と見せかけて、斜め上。
俺は“気配”にだけ集中して、地面を蹴る。
跳躍。腕を振る。
《反応反射:水平回転》
理央の姿が見える。
だがその手に術式符が握られていた。放たれる、“再構築ナイフ”。
「喰らえっ……!」
ナイフが来る……が、
――それは、既に“見えた未来”だった。
「もう読んだ!」
俺は横回転で回避し、空中から自分のナイフを逆手に構える。
「さっきのお返しだ、理央!」
《打撃補正:重心誘導》
ナイフが理央の訓練服を裂く。
血飛沫と共に、理央が地に落ちた。
すぐに起き上がるが、口元にはうっすら血が滲む。
「……っ、速くなってる……あなた、今の状態で……!」
「感覚で読んでるだけだ。情報が封じられても、こっちは“人間”として仕上がってんだよ」
にやりと笑ってみせる。理央が初めて、わずかに表情を歪めた。
「そんな目で見られたら……本気で嫌いになれなくなるじゃない」
理央が静かに目を伏せる。そして次の瞬間――
「なら、最後までやるわ」
指先が地面を弾く。
再度、術式が光る……が――その内容は、俺の《視覚》では読めなくても、
“構造”は既に――理解している。
《情報表示:仮想構造推定》
《能力コピー・条件照合:一致》
《術式転写〈シンボル・リンク〉コピー完了》
「――ああ、もらったよ」
理央が驚愕に目を見開く。
「今、情報干渉フィールドの“外”にいた一瞬。お前の術式、読み切った」
背後の地形に、俺自身の“幻影”が立ち上がる。
「術式転写。まさか、それまで――!」
「そのまさかだ」
幻影が跳躍し、理央の背後に回り込む。
同時に俺自身が、正面から突撃。
「ダブルタップ、だ」
理央はとっさにガードを固めるが――
“予測できない攻撃”が、すべてのリズムを崩す。
幻影がフェイント。俺が重心を崩す。
そして――
「終わりだ、理央ッ!」
俺の拳が彼女の腹にめり込む。
呼吸を奪われた彼女は崩れ落ち、そのまま地面に膝をつく。
演習場に、再び静寂が訪れた。
沈黙。空気が揺れるほどの、無音。
そして――
「勝者、D組・悠真」
アナウンスが響いた瞬間、ようやく周囲の空気が解けたようだった。
咲をはじめとする観戦者たちが、何かを囁き合っている。
生徒会役員の一部は驚愕し、スーツ姿の幹部らしき男たちは、まるで興味深そうに俺を“観察していた”。
――まあ、いい。俺の狙いは達成された。
“俺はここにいる”。その事実を、記録させた。
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「……くそ、しんど……」
試合後、裏手の控室で肩を押さえながら座り込む。
理央から受けたダメージは予想以上に深い。能力使用の負荷もあって、全身が悲鳴をあげていた。
そこへ――ノックの音。
「……誰だ」
扉が開き、入ってきたのは――理央だった。
着替えを済ませ、顔にはいつもの仮面のような無表情。
「お見舞いってわけでもないけど、様子を見に来たわ」
「自分でやったくせにかよ……」
「ま、そうね」
理央は部屋の椅子に座る。
しばらく、沈黙。
だが彼女の視線は、どこか穏やかだった。
「……認めるわ。あなたは“怪物”だと思ってたけど、それ以上に“人間”だった」
「ほう、光栄だな」
「……それと、柊 天音のこと。私は個人的には――理解したつもり」
言葉の端が震える。俺は、何も言わなかった。
「あなたが彼女をどう思ってたか、それは知らない。でも……少なくとも、あの死を“意味あるもの”に変えようとしてるのは、見てて分かる」
理央が立ち上がる。
「二戦目、明日。相手は――“例のクラス外個体”。気をつけなさい」
「……ああ」
扉が閉まる。
また静けさが戻ってくる。
でも、俺の中には静寂はなかった。
血が騒ぐ。
今度は、どんな能力を、どんな手を使って“読めばいい”。
そして、どこまでこの“異能の世界”を登り詰めれば――俺は、本当に自由になれる?
「次も、勝つ」
呟いた言葉が、部屋に淡く残った。
――戦いは、まだ始まったばかりだ。