第五話「偽りの天使(エンジェル)」
柊 天音が俺を裏切ったあの日から、一週間が経った。
日々が過ぎるたび、俺の中の“何か”が確実に変わっていった。
失った信頼。深く刻まれた屈辱。そして――確信。
あの女は、殺すべき存在だ。
俺を「危険因子」と呼び、自分の任務とやらで排除しようとした。
そのために、優しさの仮面を被り、信頼を偽装し、俺を騙した。
――そして今も、生徒たちの裏で、同じように“使い捨てる標的”を探している。
もう許さない。
利用されるのは終わりだ。
俺は、俺の力でこの理不尽な世界をぶち壊す。
その日の放課後、俺は校舎の屋上へと向かった。
「……来たわね、悠真くん」
そこにいたのは――柊 天音。
制服のまま、風に髪を揺らし、こちらを振り向く彼女は、いつもの微笑を浮かべていた。
「“呼び出した”って言ったほうが正確かしらね。あなた、どうせ来ると思ってた」
俺は一言も返さなかった。ただ黙って、ゆっくりと歩み寄る。
「……まだ怒ってるの? あれは“任務”だったって、言ったはずだけど」
その声に、俺の中で何かがカチリと音を立てて、外れた。
「任務ね。人の感情を踏みにじって、笑顔でそれを正当化するのが、お前の“仕事”かよ」
天音は、一瞬だけ黙り込む。けれど、次の瞬間、肩をすくめた。
「誤解しないで。私はあなたを処分しようとしたわけじゃない。ただ、あなたの力が――“制御不能”だと思っただけ。私だって、感情がないわけじゃないの」
「感情? それが、あの日の裏切りの言い訳か?」
俺は、ポケットから端末を取り出した。
天音がかつて俺に渡した、“セキュリティログの記録装置”。
「これ、解析したよ。中に――“俺を処分対象に指定する推薦文”が入ってた。お前の名義でな」
天音の顔から、色が消えた。
「……それは、誤解よ。あれは本来、あなたじゃなく別の生徒を――」
「まだ嘘を重ねるのか?」
俺の声が低くなる。右手が震えていた。怒りで、ではない。
“覚悟”の震えだ。
天音が一歩後ずさる。だが、それでも彼女は引かなかった。
「悠真……あなたの力は、確かに脅威。でも私は――」
「黙れ」
言葉を遮ると、俺は“能力”を発動した。
視界に、彼女の情報が浮かび上がる。
【名前】柊 天音
【能力】思念干渉
【内容】視線・言葉・動作を通じ、他者の判断・思考に干渉できる。ただし、対象の精神抵抗値が一定値を超えると無効化される。
知ってた。こいつの能力は、“洗脳”に近い。
だからこそ、今まで何人もの人間を“騙して”きた。
「さよならだ、天音」
俺は、彼女の能力を――“コピー”した。
そして、それを逆用する。
「……止まれ」
たった一言。だが、マインド・インヴェーダーを完全に理解した俺の“干渉”は、彼女自身の防壁を破る。
天音の体がピタリと動きを止めた。
「信じたのが間違いだった。あんたが俺に見せた“優しさ”は、全部偽物だった」
「……違っ」
かすれた声。抵抗しようとしている。でも、もう遅い。
「さよなら、柊 天音」
俺は、ポケットから取り出したもうひとつの装置――
“能力抹消剤”。咲が俺に使おうとしたものだ。
それを、彼女の首筋に打ち込んだ。
「――っ……ぁ、か……ら、な……」
言葉にならない断末魔。
天音の能力は、一瞬で崩壊した。
次に、俺はもうひとつの能力を起動した。
“熱転写”――天野からコピーした、あの力を。
能力コピーに制限はないとわかった。
「天野の気持ち、少しは分かったよ」
俺は、彼女の足元に触れる。
コンクリートに熱を集中させ、急速加熱。
バランスを崩した天音の足元が崩れ、身体が空を切る。
「――」
叫びはなかった。最後まで、柊 天音は、俺を見ていた。
その瞳に映っていたのは――後悔か、それとも……
ドシャッ……!
下のコンクリートに叩きつけられる音が、遠く響いた。
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夜。俺は、コンテナの中で独り座っていた。
手はまだ震えている。心臓は早鐘のように鳴っている。
でも、後悔は――していなかった。
「裏切られる前に、裏切るべきだった」
誰にも話さない。
誰にも信じない。
この力がある限り、俺は俺を守る。
それが、彼女から学んだ“唯一の真実”だった。