第四話「信頼という罠」
数日が経った。
柊 天音との“接触”以来、俺の日常は再び静かさを取り戻したように見えた。
もちろん、それは表面だけの話だ。
咲も澪奈も、そして理央も――俺を完全にマークしている。
放課後に呼び出されたのはあの日だけだったが、視線はより鋭く、無言の“監視”は明らかに強まっていた。
それでも、まだ表立って動いてこないのは、おそらく天音の介入のせいだ。
咲たちですら無視できない“裏の存在”。柊 天音はそれほどの影響力を持っているのだろう。
そして、そんな彼女が、俺に“協力”を求めた。
「この学校で近いうちに“何か”が起こる――その時、君の力が必要になる」
その言葉を、俺はずっと頭の片隅に置いていた。
警戒しながらも、どこかで――信じたかった。
初めて、俺を“利用”以外の目的で見た人間。
たとえそれが建前だったとしても、その一瞬の優しさに……救われたかった。
だが――それこそが、最大の過ちだった。
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放課後。
天音に呼び出され、裏庭にある倉庫裏で待ち合わせた。
「急にごめんね。今日、ちょっと見せたいものがあるの」
そう言って差し出されたのは、黒く細長い端末だった。
「これは、学園のセキュリティログを解析する装置。私の“本来の任務”にはこれを使って、校内の“異常能力”を記録・保管することも含まれてる」
「……それを、なんで俺に?」
「君の力が、明らかに“異常”だから。そして、私は君に味方であることを証明したい。だから、これを渡す」
端末の中には、いくつかの映像ファイルが入っていた。
ひとつは――俺が澪奈の『人間操作』を無効化したときの映像。
「……どうしてこれを持ってる?」
「裏ルート。私たちの組織はこの学校の監視網に“第三の目”を仕込んでるから」
天音は軽く笑った。
その笑顔が、今となっては――冷たく感じる。
「見てほしいのはこっち」
別のファイルが再生される。そこには――
咲と理央が会話している映像。
《あの男、確かに危険よ。悠真……ただの男子じゃない》
《柊 天音にも気をつけなさい。あの女、政府の“下請け”とは違う動きをしてる》
《使えるうちに使って、捨てればいい》
天音が再生を止めた。
「見た通り。私は生徒会からも警戒されてる。だから――君と私は“利害”が一致してる。そう思わない?」
俺は、頷くしかなかった。
……この時点では、まだ。
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それから、俺たちは何度か接触を重ねた。
昼休み、放課後、校舎裏――秘密のやりとり。
天音は“異常能力者”としての俺の扱いに慣れているようで、俺の質問にも丁寧に答えてくれた。
能力コピーの存在にも、ある程度確信を持っているようだった。
だが、明言はしない。俺も同じだった。
お互いに“詰めきらない距離”を保ちながら、協力という名の信頼を積み上げていく。
ある日、彼女が言った。
「近いうちに“能力テスト”がある。形式的なものだけど……裏では“選別”が行われる」
「選別?」
「D組の中から、“処分対象”を選ぶらしい。能力が無い、もしくは危険な男子を……“実験体”として」
その言葉に、俺は背筋が凍った。
天音は、続けた。
「でも、私が中から情報を操作すれば、君は外される。“私の推薦”という形でね」
「……代わりに?」
「君の力を、正式に貸してほしい。特定の“異能保持者”への干渉。その人の能力を、一時的に“無効化”してほしい」
「……誰に?」
天音は、ある少女の名前を出した。
「神楽坂 理央よ」
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それが罠だと気づいたのは――当日だった。
能力テストの日。形式的に全生徒が対象で、A組からD組まで一斉に行われる。
だが、俺には“別室”が用意されていた。
天音曰く、特例だと。
白い部屋、無機質な空間。
その中央に、彼女はいた。
柊 天音。
だが、その隣に――もう一人の女がいた。
「……咲」
姉・咲が、腕を組んでこちらを見ていた。
「やっぱりね。“能力テスト”を名目にすれば、あなたは来ると思ってた」
俺は、後ずさった。
「……どういうことだ」
天音は微笑んだ。あの、いつもの柔らかい笑みで。
「ごめんね、悠真くん。私、あなたに興味があったの。本当に」
「……っ」
「でも、私は“任務”を優先するの。“能力異常者”を発見・確保し、上層部に報告する。それが私の存在意義」
咲が近づく。
「天音は、私たちとは違う組織に属してる。でも、目的は同じ。“危険因子”の排除よ」
「……騙してたのか、最初から」
「最初は“観察”のつもりだった。でも、やっぱりあなたは危険すぎた」
天音の目が、一瞬だけ揺れた。だが、それでも――その視線に迷いはなかった。
咲が手を上げると、数人の女子生徒たちが入ってきた。
全員、拘束装置を持っている。特製の“能力封じ”装置だ。
「あなたは今から、正式に“異能監視対象”として隔離される」
俺は――動けなかった。
全身が硬直していた。
騙された。
たった一人、信じた人間に。
俺は――やっぱり“孤独”だった。
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「……やめろ」
その声は、俺の口から出たものじゃなかった。
部屋の扉が開き、入ってきたのは――天野だった。
「悠真は、危険じゃねえ。お前らが勝手に決めてんだろうが」
咲が睨む。
「あなた、何を――」
「うるせえ! 男子をモルモットみたいに扱いやがって、俺はもう我慢できねえんだよ!」
天野の目が赤く光る。
“熱転写”。彼の能力だ。
彼は俺の拘束装置を焼き切った。
熱転写は決して強い力じゃないが、ここでは役に立った。
「走れ! 悠真!!」
俺は――その手を掴んだ。
そして、逃げた。
走った。誰も信じられないこの学園で、唯一“信じてくれた”友の背中を追って。
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コンテナに戻った夜。
肩で息をしながら、俺は拳を握りしめていた。
「……ありがとう、天野」
「ああ。けど、次はねえからな。もうこれ以上、隠し事すんなよ」
「……ああ」
俺は、心に刻む。
もう、誰も簡単に信じない。
柊 天音は“敵”だった。でも、それ以上に――俺が“弱さ”を捨てきれていなかった。
利用され、裏切られ、傷ついて――それでも。
この力は、俺だけのものだ。
奪われないために。
俺は、立ち向かう。
この腐った世界に――逆らってやる。