第三話「謎」
数日後。
ようやく学校という地獄にも、ほんの少しだけ“慣れ”た気がした。
もちろん、まともな日常なんてものは存在しない。
教室に入れば女子たちの鋭い視線。廊下を歩けば、わざと肩をぶつけられたり、聞こえよがしに「またD組のゴミが通ってる」と言われたり。
「慣れた」というより、「鈍くなった」と言ったほうが正しいのかもしれない。
それでも――俺は、あの日のことを忘れてはいなかった。
澪奈の『人間操作』を打ち破った瞬間。
妹の顔からあの“余裕”が消えた、たった一瞬のあれ。
あれが、確かに俺の存在価値だった。
だが、それは同時に危険を意味する。
妹が黙ってるわけがない。……あの性格だ。
表では何もなかったように振る舞っていても、裏では何かを“準備”しているはずだ。
そしてそれは、意外な形でやってきた。
放課後。
教室に居残っていた俺のもとに、担任教師が現れた。
男ではない、女の教師だった。名前は白石 静流。
30代くらい。見た目は冷静沈着で、教室でもほとんど感情を見せないタイプ。
他の女子教師たちと違って、直接的な差別発言はしない。
だからといって味方ではない。ただの傍観者。
そんな彼女が、俺に言った。
「一ノ瀬。ちょっと、生徒指導室まで来なさい」
「……え?」
「いいから来なさい」
その声に、拒否の余地はなかった。
俺は何も言わず、ただうなずいた。
そのとき、なんとなく“ヤバい”と感じたのに――足は逆らえなかった。
生徒指導室に着いたとき、すでに誰かがいた。
予想通り。……いや、予想以上だった。
そこにいたのは、姉の咲。そして、妹の澪奈。
さらに、生徒会の副会長である神楽坂 理央。
この学校で“女帝”と呼ばれているやつだ。
姉に匹敵する、いや、それ以上の“影響力”を持つ。
その場にいた教師たちは、もはや添え物だ。そこに“法”なんて存在していない。
「……なんの用だよ」
俺は静かに言った。
震えそうになる声を必死に抑えて。
咲が、笑った。
「何の用かって? 聞きたいのは、こっちなんだけど」
彼女は机の上に何かを置いた。
それは――監視カメラの写真。あの日、妹に“命令”されたフードコートの一件。
妹の能力が効かなかった瞬間。俺が立ち去ったあの場面。
「このとき、あんた――澪奈の命令を“拒否”したわよね?」
「……何が言いたい?」
理央が前に出た。笑っていたが、目が笑っていない。
「D組の男子が、Sランク能力を打ち破れるとでも? 普通なら不可能なはずよ」
咲が冷たく言う。
「……あんた、何か“隠してる”でしょ」
妹は後ろで黙っていた。ただ、その目が俺を貫いていた。
試すように。探るように。
……ここが限界だ。
これ以上何かを言えば、俺の“裏能力”は暴かれる。
だが――何も言わなければ、いずれ“もっと強引な手段”が来る。
(くそ……どうすれば……)
そのとき。
「やめてあげなよ、その辺で」
静かな声が割り込んだ。
全員が振り向く。そこにいたのは、ひとりの少女。
A組の制服――だが、俺は見覚えがなかった。
「誰?」
理央が眉をひそめた。
少女は名乗った。
「1年A組、柊 天音。副保健委員です」
「保健委員が、生徒指導室に?」
「保健の先生に頼まれてきただけです。“一ノ瀬 悠真くん、今日体調悪そうだったから様子見てきて”ってね」
咲が冷たく笑う。
「……茶番はもういいわ。あんた、こいつの味方ってわけ?」
「味方とかじゃない。ただ、規則違反の“尋問”があったら、保健室が報告義務あるからってだけ」
その言葉に、一瞬だけ理央の眉が動いた。
「……チッ」
そして、彼女たちはそれ以上何も言わず、部屋を出ていった。
咲は最後に俺の耳元で、囁いた。
「逃げ切れると思わないことね。次は“もっと本格的”よ」
ドアが閉まる音。
張り詰めた空気が、ようやく解けた。
俺はその場に座り込んだ。
「……助かった、のか?」
柊 天音が、小さく笑った。
「まあね。でも、ほんとは私も君のこと――ちょっと“興味ある”から」
「……興味?」
彼女は静かに頷いた。
「君の能力。“情報表示”って、ただの外れ能力じゃないよね?」
ドクンと心臓が鳴った。
「……なんのことだよ」
「はぐらかさなくていい。私は、特殊な役割を持ってこの学校にいるの。“潜在能力者の監視”と、“異常能力の観察”」
柊 天音――こいつはただの生徒じゃない。
政府、あるいは裏の組織から派遣された、“監視者”のような存在。
俺の正体に、すでに気づいている可能性が高い。
「安心して。私は君を告発しない。でも……条件がある」
「条件?」
「……“協力”してほしいの。近いうちに、この学校で“何か”が起きる。私は、それに備えて力を集めてる」
「……なんの話だよ」
「信じなくていい。でも――その力、君は持て余してるでしょ?」
俺は何も答えられなかった。
言葉にすれば、崩れそうだったからだ。
だが――その瞳に、嘘はなかった。
夜。
コンテナハウスの中で、ひとり拳を握りしめる。
あの“尋問”は、序章にすぎない。
咲も澪奈も、そして理央も――俺をただの弟、ただの男子としてはもう見ていない。
“脅威”だと認識した。だからこそ動いてきた。
そして、それ以上にヤバいのは――柊 天音という少女。
彼女が“味方”か“敵”か、それはまだわからない。
でも確実に、俺の人生は“新しい局面”に突入した。
(俺は、逃げない)
(俺の力は、誰にも渡さない)
(奪われたくないなら――奪い返すだけだ)
今、確かに俺の中で何かが変わり始めていた。
“情報表示”――そして、“能力コピー”。
この力を使って、俺はこの理不尽な世界に抗う。
絶対に。
誰にも、負けたりしない。