第二十二話『それでも、僕はここにいる』
朝のチャイムが鳴るよりも早く、俺は教室の前に立っていた。
久しぶりの登校。
再びこの学校に戻ってきた――ただ、それだけのことなのに、足が前に進まなかった。
廊下の窓から射し込む陽光は、以前と変わらずまっすぐで、どこまでも清々しかった。
だが俺の中にあるのは、重く淀んだ、出口のない空気だった。
意を決して扉を開けると、すでに数人の生徒が席に着いていた。
そして、その視線が一斉に、俺を刺す。
「……あいつ、戻ってきたのかよ」
「信じらんねえ。平気な顔して、よく来られるよな」
「まだ処分されてねぇんだ……」
言葉にはしなくとも、彼らの目は語っていた。
俺が「おかしな奴」だと。「危険」だと。「人間じゃない」かのように。
笑われることも、罵倒されることもなかった。
そこにあるのは、ただの沈黙と、無関心を装った明確な拒絶。
「……おはよう」
なんとかそう声をかけても、返事はない。
目を合わせる者すら、いなかった。
俺の席はまだそこにあった。誰にも奪われずに、ぽつんと空いていた。
“あえて誰も座らない”その不自然さが、逆に俺の「異質さ」を際立たせる。
「――ここ、座っていい?」
唯一、俺に話しかけたのは、理央だった。
彼女は静かに俺の隣に座り、その目で俺を見つめた。
「……なんで戻ってきたの?」
言葉に棘はなかった。ただ、まっすぐな問いだった。
「逃げたくなかったんだ。全部を。……自分自身からも」
俺はそう答えるしかなかった。どんな理屈も、言い訳も、今の俺には意味を持たない。
「……ふうん。でも、みんなそう簡単には忘れてくれないよ。“例の事件”のこと」
「わかってるよ」
あれから何度も考えた。
柊 天音を殺したあの日。
妹や姉、そして母と衝突した夜。
爆破されたVOID-COREの残骸の中で、自分の存在の意味を問い続けた日々。
――俺は、結局のところ「普通」にはなれないんだろうな。
力がある。秘密がある。
それだけで、他人は恐れ、距離を置く。
この世界は、そういう風にできてる。
「……それでも、俺はここにいるよ」
理央はしばらく黙っていたが、やがて小さく呟いた。
「……あんた、変わったね」
「そりゃ、まぁ……いろいろあったからな」
彼女は窓の外を見ながら言った。
「私は……変わらなかったかも。けど、変わらなきゃいけないって気づいたよ。あんたを見てて」
教室の空気は、どこまでも重い。
けれど、その中に一つだけ、小さな温もりが生まれたような気がした。
それが、救いだった。
昼休み、俺のロッカーに何かが入っていた。
――《消えろ》
紙切れ一枚。乱暴に走り書きされたそれは、俺をじわじわと削る。
「……くだらねぇ」
でも、悔しいことに、傷ついてる自分がいた。
そんな時、スマホが震えた。
画面を見ると、VOID-COREからのメッセージ。
《フミコver2.1アップデート完了。説教ボリューム機能追加。使用しますか?》
……思わず吹き出しそうになったが、俺は電源を切った。
今の俺に必要なのは、祖母の怒鳴り声じゃない。
自分自身の言葉だ。
放課後、校門を出ると、咲が待っていた。
あの日以来家族が差別をしなくなった。
「よ。……ちゃんと、生きて帰ってきたじゃん」
「……まぁな」
「別に迎えに来たわけじゃないけどさ、あんたが変な目で見られてるの、ちょっとムカついたから」
彼女は俺の肩を軽く殴った。
「痛っ」
「これでチャラ。……頑張りなさいよ、弟くん」
咲のその言葉が、今日一日で一番救いだった。
俺は――きっと、まだ壊れてない。
そして、まだ終わってない。
どれだけ拒絶されようとも。
どれだけ恐れられようとも。
それでも、俺はここにいる。
この場所で。
この世界で。
この、腐った高校で――
俺は、俺として、生きていく。