第十一話「仕返し」
夜の路地を、俺は走っていた。
息が荒い。心臓は喉元で暴れ、汗が背中を濡らしている。
……家族に殺されかけた。
姉と妹が本気で俺を殺そうとしていた。
コンテナのあの狭い空間に、確かに“死”がいた。温もりも愛情も、一片もなかった。
――忘れよう。
そんなもの、最初からなかった。
だが、忘れない。殺意だけは。
「ふざけんなよ……!」
俺は、足を止めた。
もう十分に距離は取った。街灯もない山沿いの歩道、薄暗い森が周囲に広がっている。
ここなら、一時的にでも姿を消せる。
……そう思った矢先だった。
「なんだお前、こんなとこで迷ってんのか?」
突然、耳元に声がした。
「……!」
驚いて振り返るが、誰もいない。
「ビビんなって。ここだよ、ここ。透明なんだよ、今」
幽霊かと疑ったが、次の瞬間、空中から何かがゆっくりと“現れた”。
男。ボサボサの髪に、くたびれたジャージ。年は二十代前半だろうか。どこか世捨て人のような雰囲気が漂っていた。
「お前、逃げてたよな? 女に。しかも二人」
「……見てたのか」
「ああ。妹と姉、両方ってすげーな。モテモテじゃん。殺意向けられてたけど」
「……冗談に聞こえない」
「だろうな。ま、助けてやってもいいぜ?」
「助けるって……お前、能力者か?」
男は薄ら笑いを浮かべた。
「俺の能力は《透明化》。姿も気配も音も、完全に消せる。ただし、持続時間と範囲に制限はあるけどな」
男で透明化はレアだ。
だが一瞬で、俺の脳内に警告が走る。
――強力すぎる。
この能力さえあれば、さっきの襲撃だって無効化できた。先手を取れば、誰にでも勝てる可能性を秘めている。
「……試させてもらう」
「は?」
俺は、男の手を掴む。
《情報表示・能力コピー》起動
【対象:無所属能力者《木崎 透》】
▼能力名:《透明化》
▼概要:視覚・聴覚・気配など存在の情報を対象から消す。自分を中心に一定範囲内に効果を及ぼす。
▼制限:持続時間30秒、再使用クールタイム1分。戦闘に不向き。
「――コピー、完了」
「な、なんだよお前!? コピーって、それ、マジで言ってんのか!?」
「今は説明してる暇はない。礼はあとだ」
「いや、それ、犯罪――」
言い終わる前に、俺は《透明化》を起動した。
視界が消えた。自分の手も見えない。音も足音も、霧の中に沈んでいく。
――これなら、やれる。
俺は、ふたたびコンテナへと戻った。
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「……あれ? もう逃げたと思ったのに」
みおなが、コンテナの内部を探っていた。
「さすがに逃げ足だけは一丁前ね。ビビリの男ってホントつまんない」
咲が、壊れた窓の外に立っていた。
だが――俺は、すでに中にいた。
「こんばんは。帰ってきたよ」
「ッ!?」
みおなが驚愕の表情を浮かべる。が、俺の姿は見えない。
「だ、誰!? 悠真……? いるの……?」
「気付くのが、遅かったな」
俺は、透明状態のまま彼女の背後に回り込み――パンッ、と頭を軽くはたいた。
「きゃっ! なにっ!? どこ!? だれっ!?」
咲も構えるが、俺の気配は掴めない。
「透明化能力だよ。そっちの糸じゃ捉えきれないだろ」
「……っざけんなァ!!」
咲が咄嗟に槍を突き出す。が、俺はコンテナの天井に跳ねて避けた。
――そして今度は、咲の背中を平手で叩いた。
「調子に乗るな、クソ姉貴」
「ぐっ……!? な、なにこれ……!」
視界に映らない敵に、二人はただ混乱するしかなかった。
その間に、俺は何度も“いたずら”を繰り返す。
髪を引っ張る。膝裏を蹴る。頬をつつく。
正面から戦えば勝てない。でも――これなら勝てる。
「調子に乗るなよ、姉妹そろって。こっちだって……黙ってやられるわけじゃないんだ」
俺は《透明化》を解き、姿を現す。
咲とみおな、二人とも膝をついていた。
「き、気配が読めない……無理……」
「悠真……お兄ちゃん、こわ……」
二人はその場で気を失った。
俺は、息をつく。
勝った。
たかが“いたずら”だ。でも、これが今の俺にできる最大の反撃だった。
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翌朝。
俺は、コンテナの破損箇所を修理していた。
工具は自分で揃えてあった。壊されることはよくあったから。
「……戻る理由なんて、もうないな」
家族はもう、家族じゃない。
でも――この場所だけは、“俺の居場所”だった。
「だったら……ここくらい、自分で直してみせるよ」
俺は、太陽の下、ひとり黙々とコンテナの壁を打ち直した。
静かで、穏やかで、孤独で。
だけど、決して――弱くなんか、なかった。