第九話「闇より来たる者」
観客の歓声が、演習場を揺るがしていた。
テレビ局のカメラが三機、空中を浮遊しながら選手を映し出し、モニターに巨大な姿が映し出される。その一つに、俺――悠真の姿があった。
「先ほど、D組の悠真選手が激闘の末、A組の理央選手を撃破! 異例の勝ち上がりを見せています!」
場内アナウンスがそう叫び、スタジアムのボルテージは最高潮に達していた。
その声を、俺は静かに聞いていた。騒がしさの中に身を置きながらも、頭の中は驚くほど冷静だった。
……次の相手は、“クラス外個体”。
人間でない“何か”。もしくは、何かを内包した存在。
俺の情報表示には、名前と所属すら曖昧に表示されていた。
《対象:???(仮称:ミラ)》
《能力:混在型/形態変化性質あり》
《警告:情報精度に著しい欠損が確認されています》
情報が“曖昧”という時点で、何かが異常だ。
通常、相手の構造が視える俺の能力でも、これは初めてだった。
その瞬間、扉が開いた。
「出場者、試合開始位置へ!」
俺はゆっくりと立ち上がり、会場中央へと歩み出す。
足を一歩踏み出すたび、観客の歓声が耳に突き刺さるようだった。
――だが、それ以上に刺さるのは、対面から歩いてくる“それ”の視線だった。
白髪に近い銀の髪。男女の区別がつかないほど整った顔立ち。瞳だけが、異様なまでに暗い。
「よろしく、悠真くん」
まるで旧友に語りかけるような、やけに柔らかな声。
「……お前、何者だ」
「秘密だよ。それを暴こうとした人たちは……みんな、いなくなっちゃった」
にこり、と笑ったその表情に、ゾッとするほどの“人外性”を感じた。
観客はそれに気づいていない。だが、俺には見える。
情報の歪み。存在そのものの“空白”。
この対戦相手、ただの異能者じゃない。
「両者、準備はいいか?」
審判の声が響き、俺と“それ”は無言で頷く。
「試合開始!」
開始の瞬間、爆音と共に空間が歪んだ。
ミラが放った一撃は、何かの“触手”のようなもので構成されていた。
「……っ!」
咄嗟に跳躍し、間一髪で避ける。
着地と同時に《予測演算・強化》を起動。視覚・感覚を全て戦闘用に切り替える。
――だが、ミラの動きは予測を超えていた。
触手の一本が地面に叩きつけられ、破片が砕けて空中を舞う。
それらが空中で“変形”し、刃のように飛来してきた。
「多重構成の術式か……!」
構造の全体が読めないまま、俺はなんとか身を捩って回避。
だが、背中にかすった一撃が肉を裂く。
「ぐっ……!」
場外から観客の悲鳴が上がる。
テレビ中継のカメラも、容赦なく俺の苦悶の表情を映し出しているはずだ。
「痛い? 大丈夫?」
ミラは無邪気に言う。まるで、遊んでいるだけのように。
「その顔……もっと見せて?」
ゾクリとした。これは“戦い”じゃない。
“狩り”だ。こいつにとっては。
なら――
こっちも“遊び”を終わらせる。
情報が完全には読めないなら、使える“欠片”だけでも利用する。
ミラが使った“構成変化”の魔術。
一瞬だけ視えたその術式片を、俺は脳裏で再構成し、解析にかける。
《仮想術式構築・中枢推定:進行中……》
《警告:精度40%未満》
足りない。
だが、もう一つ、使える手がある。
ミラの術式が構築される瞬間、その触媒となる“形状の変化”は、物理的なものだ。
つまり――“視覚”よりも“触覚”で読む。
次にミラが動いた瞬間、俺は自ら接近戦を仕掛けた。
「来るなって言ったのに」
ミラの声と共に、腕が刃状に変わる。
その瞬間、俺の身体は反射的にその軌道を“読む”。
《直感補正:全解放》
身体をかすめる風を感じながら、回避。腕を取り、踏み込む。
「“お前の力”、もらった」
その囁きは、マイクに拾われないよう小さく。
《能力コピー・構造一致:変化系構造取得》
内部で、確かに何かが“加わる”。
けれど、これはあくまで“内部利用”。
外には絶対に見せない。
次の瞬間――俺の手に、黒い“糸”が生まれる。
変形の一部を再現した、即興の攻撃手段だ。
「喰らえ……!」
その糸を投げつけ、ミラの足を絡め取る。
だが――
「……あら」
ミラは身体を“分解”するようにして、その場に“液体”のような形で崩れ落ちた。
「っ!? 身体そのものを……変質させた!?」
再構成され、別の場所に再出現するミラ。
完全に、物理法則から逸脱した動き。
「やっぱりすごいね、悠真くん。僕、こういうの好き」
――ヤバい。能力の応酬に見せかけて、これは完全に“実験”されている。
この戦い、試されているのは俺だ。
どこまで“再現”し、どこまで“読める”のか。
向こうは、俺の戦い方そのものを解析しようとしている。
それでも、俺は――負けるわけにはいかない。
何度倒れても、立ち上がったのはそのためだ。
柊 天音の死も、理央との戦いも、全部――
「ここで終わらせるためにあったんだよッ!!」
ミラが笑った。その顔が、少しだけ“興奮”していた。
「もっと、もっと見せて。君のその、渇いた目を」
俺は一気に距離を詰める。
そして、見切った。
この“液状化”構造は、一定時間での“再固定”が必要になる。
そこに、タイミングを合わせる。
再構成の直前、術式のエネルギーが集中する“収束点”。
そこを――
「もらった!」
俺は全身の力を込め、拳を叩き込んだ。
ミラの身体が地面に叩きつけられ、術式が一瞬だけ乱れる。
そして、審判の声が響いた。
「勝者――D組、悠真!」
観客席が割れるような歓声に包まれた。
カメラが寄ってくるが、俺はそっぽを向いてそれを避けた。
ミラは、無言で立ち上がる。
唇の端に、うっすら笑みを浮かべながら。
「また会おうね、悠真くん」
そう言い残し、静かに去っていった。
そして俺は、誰もいない控室に戻ると、椅子に腰を下ろした。
全身が痛む。
頭も、まだ重い。
だが――
「俺は……ここにいる」
その呟きは、誰にも聞かれなかった。
でも、確かに。
この世界に“爪痕”は刻まれた。
次の戦いへ――
俺は、まだ立っている。