隠し部屋
クリストファーに言われるままに、エドウィンは中へ入る。ひどい臭いがした。中にいる犬や猫たちは体中に傷跡があり、汚物も垂れ流しにされていた。天井高くに空気穴のような窓が1個あるだけの牢獄のような部屋だった。
「なんという…ひどいことを」
「やはりひどいと思われますか?」
クリストファーは微笑んでいた。
「まさか…これは、クリストファー様が?」
エドウィンは恐る恐る尋ねる。
「今更、何を聞くんですか? もうわかっているんでしょう?」
「ですが…何故、こんなことを。何か理由があるのかと」
クリストファーは壁にかけた鞭をとり、ぴしゃりと床をたたいた。動物たちはそれで目を覚まし、恐怖におののいたように身を縮める。呻く動物もいた。
「いいえ。これらは私が集めた扱いに困った動物たちですよ。すぐに殺処分してもよかったんですが、死体を片付けるのにも手間がかかるでしょう。それで」
クリストファーは鞭を撫でる。
「私の重圧と心労が溜まった時にね、この生き物たちをこれでたたくとひどく気持ちが和らぐことに気づいたんですよ。この動物たちは私のために生きているんです。…こんなふうにね!」
鎖につながれた犬の背中をクリストファーは思い切り鞭で叩いた。
「やめてください!」
エドウィンがクリストファーに手を伸ばすと、鞭でたたかれた。
「うっ…!」
「痛い目に遭いたくなければ、おとなしくしていてくださいよ。それとも、ひどくされるほうがお好みですか?」
「つっ…」
再び鞭で打たれ、エドウィンは身を竦ませる。
「…この子たちは、あなたの重圧の捌け口ではありません! 早くここから解放して、手当てをさせてください! こんなことは許されません」
「あはははは! あなたは本当に愚かな方だ!」
クリストファーは天を仰いで笑う。
「許されないなら、何故女神は私を罰しないのですか? 私はこうすることが許されているんですよ」
「女神は見ておられます。だから、私がここへ来たのです」
「…やれやれ」
クリストファーは額に手をあてて、わざとらしくかぶりを振る。
「あなたは愚かにもここへ入ってきた。私があなたをここへ招いたのは、ここから出さないようにするためです」
「私を閉じ込めてどうするつもりですか?」
「決まっています。請願者の地位を私に譲りなさい」
クリストファーの言葉に、エドウィンは面食らった。
「何を言っているのです。請願者の地位は譲れるようなものではありません。教団本部で決めたものがなるのは、ご存じでしょう?」
「もちろん知っていますよ。ですが、旅の途中で危険はつきものです。あなたが凶暴な動物に怪我を負わされ、請願者として旅を続けられなくなったらどうでしょう?」
「…何を」
「そして、その怪我がもとで命を落としてしまったら…実にひどい悲劇ですね」
「私は死にません。そんなことで請願者を辞めません」
「それは私次第です」
クリストファーを真摯にみつめるエドウィンを彼は嘲笑った。
「まだ自分の立場がお分かりではないようですね。あなたは私の許可がなければここから出られないのです。無事ここから出たければ、請願者を私に譲ると言いなさい」
「お断りします」
「強情ですね。少し、考える時間を与えましょう」
クリストファーは鞭を振るってエドウィンを容赦なく打ち付ける。
「うあっ…!」
エドウィンがひるんだところで、クリストファーはさらに彼を蹴とばした。よろけたエドウィンは動物たちの中に倒れこむ。動物たちはわめき声をあげた。
「はっ…」
「よく考えなさい。私に請願者の証である女神像を渡すか、ここで飢え死にするか…。どちらでもお好きなほうを」
「クリストファー様!」
「女神よ、この扉を決して開けることのできないようあなたのお力をお与えください。施錠」
「待って…!」
クリストファーは中から開けないよう魔法を施した。エドウィンは駆け寄って手を伸ばしたが、扉が閉まるのが一瞬、早かった。
「開けてください、クリストファー様、開けてください!」
エドウィンは隠し扉を何度もたたいたが、その扉が開くことはなかった。
「…なんということだ…」
エドウィンは扉の前でうなだれて座り込んだ。
スノウの言ったことは本当だったのか。あの貧民街の少年も、クリストファー様が沈黙の魔法をかけたことになる。彼はここの秘密を知ったのだろうか…。
ふと気づくと、白い猫がエドウィンの足元によってきた。
「猫…。おまえは檻にいれられていないの?」
エドウィンが猫を抱き上げると、猫はにゃあと鳴いた。
「困ったね、どうしようか…」
エドウィンはため息を吐く。猫はエドウィンの手からするりと体を抜け出して、エドウィンの唇に唇を押し当てた。
「えっ…」
その行動にエドウィンははっとする。
「君はまさか…スノウ?」
猫は肯定するようににゃあと鳴いた。
「人に…あ、ちょっと待ってください」
エドウィンは上着を脱ぐと、猫を地面に置いてその前に上着を置いた。そしてエドウィンは猫に背を向ける。
「あるじ様」
スノウの声に、エドウィンは振り返った。スノウは大きめの上着を羽織っている。
「よかった。探したんですよ、スノウ」
「ごめんなさい、あるじ様」
スノウはエドウィンに抱き着いた。
「無事ならいいんです」
エドウィンはスノウの肩に手をおいた。
「スノウ、あるじ様にあいつが悪いやつだって証拠見せようと思ったの。それで、こっそりクリストファーの後ついてきたら、ここに入って出られなくなっちゃったの」
「そうでしたか…」
エドウィンはスノウの頭を撫でる。
「あなたのことを信じてあげられず、ごめんなさい。きちんとあなたの話を聞いていれば、こんなことには」
「いいんです、あるじ様。スノウも悪い子だもん。スノウも嘘ついてたから…」
スノウはうなだれて耳を垂れた。
「嘘、とは」
「…スノウ、ここへ一人で来たわけじゃないんです」
スノウは顔をあげてエドウィンをみつめる。
「ずっと友達と一緒で、でもあの子だけお金持ちに気に入られて引き取られていったの。その子をなんとかお金持ちから助けたくて、あるじ様ならなんとかしてくれるかもしれないって思ったの」
「そう…だったんですか」
「だから、口のきけなくなったあの子のところへ連れて行ったりしたけど…うまくいきませんでした。ごめんなさい」
「いいんですよ。女神もおっしゃっています。悔やむ心があれば、きっと次に活かせるでしょう、と。あなたのお友達も助ける方法を考えましょう」
「あるじ様、ここから魔法で出られないんですか?」
スノウがすがるように両手を合わせる。
「…難しいでしょうね」
エドウィンは立ち上がって閉じられた扉を撫でる。
「私の呪文レベルはエドウィン様より下位ですから。同じレベルか、それ以上のものでないと魔法は解けないんです」
「そうなの? じゃあ、出られない?」
スノウは尻尾を振る。
「…試してみましょうか」
エドウィンはふう、と息を吐いた。
「女神よ、我に扉を開ける力を与え給え、開錠」
エドウィンの詠唱と同時に扉が光ったが、すぐに光は消えた。エドウィンが扉を押しても引いてもびくともしない。
「…やはり、だめですね」
エドウィンはため息を吐いて、スノウに振り向いた。
「私の力不足ですみません。もっと呪文レベルが高ければ、こんなことには…」
「あるじ様のせいじゃないです。悪いのはクリストファーです」
スノウはきゅっとエドウィンの手を握った。
「…ありがとう、スノウ」
エドウィンもスノウの手を握り返した。
「でもあるじ様、この子たち生きてるから、きっと水とかエサはもらってるんだと思います」
「そうですね。おそらく、クリストファー様か誰からが運んできてくれるのでしょう。そのときを待つか…」
エドウィンは周りをぐるりと見渡す。とても手の届きそうにない頭上高くに小さな天窓がある。空気穴だろう。あれではこちらの声も外へ届かないだろうし、エドウィンが抜け出せるほどの大きさでもない。第一、高くて届かない。
「…何か、方法を考えるしかありませんね」
「はい、あるじ様」
スノウは希望を持つ目でうなずいた。