スノウを探して
「化け猫がいない?」
起床してレイラがエドウィンから聞かされたのは、スノウがいつの間にかいなくなっていたということだった。
「昨日、確かに猫の姿で私のベッドの脇で眠っていたと思ったのですが、どこを探してもいないんです」
「…逃げたんじゃないですか?」
レイラはくしゃりと髪を撫でる。
「ここから逃げたのがエドウィン様にバレて、いづらくなったんでしょう」
「そう…でしょうか。でもスノウは、友達がいると言っていました。その子のところへいったんでしょうか…?」
「どうでしょうね?」
レイラは肩をすくめる。
「足手まといがいなくなったんですよ。もうこのまま出発しましょう」
「でも…スノウのことを放っては置けません」
エドウィンは強い意志の宿った眼をして言う。
「…まあ、そういうと思いましたよ。仕方ありませんね、化け猫を捜しましょう」
「ありがとう、レイラ」
「ただし」
レイラはびしっと人差し指を立てる。
「今日一日です。今日一日捜してみつからなかったら、この街を出る。それは約束してください」
「レイラ…。わかりました」
エドウィンは神妙な面持ちでうなずいた。
「あの猫がいなくなった?」
「どこへ行ったんでしょう…」
「探すのを手伝いますよ」
「ありがとうございます」
エドウィンが事情を話すと、修道士と修道女たちは、快くスノウの捜索を引き受けてくれた。教会の務めがひと段落したら、教会内と近所を捜してくれるということだった。
エドウィンも何かしなければと考え、教会の掃除を手伝ってからスノウを捜すことにした。
レイラはエドウィンのそばにいて、彼が行くところへ同行した。
「昨日、連れていた白い猫です。このあたりで見かけませんでしたか?」
「さあ…知らないねえ」
「猫なんて、金持ちしか飼わないだろうよ」
香辛料を売っている店の夫婦がエドウィンに答える。
「そうなのですか?」
「だって、教会でみんな連れてっちまっただろう?」
「みんな…とは?」
「いるだけってことだよ。金持ち連中のおもちゃにされて、ここらにはもう猫なんていないのさ」
妻のほうが寂しそうに笑う。
「猫を飼われていたのですか?」
「昔の話だよ。クリストファー様が来てから、猫もいない寂しい街になったってわけ。犬も猫もあたしらよりいいもの食べて、金持ちに飼われてるんだよ」
「………」
エドウィンは顎に手をあてて、黙り込んだ。
「富裕層のいる街のほうへ行かれるのですか?」
レイラがエドウィンの少し後を歩く。
「ええ…。いるかどうかは分かりませんが」
「無駄足だとは思いますが…」
玄関先で執事や侍女に話を聞いて一件一件あたったが、レイラのいった通り、スノウを見たという家はなかった。
エドウィンは歩きすぎて疲れてしまい、教会まで戻ってきて休憩をとった。
「レイラ、大丈夫ですか?」
「私は鍛えていますから。エドウィン様こそ、お疲れでしょう」
レイラは顔色一つ変えずに言う。
二人で教会で水をもらい、今度は貧民街へ行ってみることにした。
「昨日の少年のところですか?」
「ええ。スノウが気になることを言ってましたから」
街はずれの荒れた住宅の並ぶ道を進む。街中とはかけ離れた様子の、痩せた汚れた服を着ている子供たちが通り過ぎる。
「…彼らは、学校へは行っていないのでしょうか?」
「そんな余裕もないんでしょう」
レイラは淡々と答える。
「…ペリドットの町でも、似たような子供たちはいました。そういえば、あのスリの子も学校へ行っていないのでしょうね」
「生きるためには仕方ありません。ところでエドウィン様、向こうの家じゃないですか?」
レイラが昨日行った家を指さした。
「お邪魔します」
エドウィンがカーテンを開けて中へ入ると、昨日の老人と子供がいた。
「これは…司祭様」
老人は杖をついて立ち上がった。
「そのままで結構です。どうぞ、お座りください」
エドウィンは老人に歩み寄る。
「では、失礼して。足が不自由なもので、すみませんな」
「こちらこそ、突然申し訳ありません。…彼は、誰かに沈黙の魔法をかけられたのですか?」
単刀直入に聞かれ、老人も少年も目を丸くする。そして、少年は何度もうなずいた。
「…そうでしたか。理由を聞いても?」
少年は老人を見る。老人はかぶりを振った。
「それは言えません…。言えば、わしらはここにいられなくなる」
「…クリストファー様ですか?」
エドウィンの問いに、老人は何も答えなかった。ただ、目を閉じて息を吐いた。
「わかりました。実は、昨日一緒にいた白い猫がいなくなったのです。もしかしたら、ここにきているのかもしれないと思ったのですが…」
「昨日の白い猫…ですか。ここには来ておりませんよ。な?」
老人が少年を見ると、少年はうなずいた。
「そうでしたか。ありがとうございます。…ところで」
エドウィンは少年の前に立つ。
「私に君の沈黙の魔法を解いてみるチャンスをくれないかな?」
少年はぽかんと口を開けた後、老人を見る。そして何度も首を縦に振った。
「それは…ありがたいですが、よいのですか?」
老人は困惑気味に尋ねる。
「ええ。ただ、私で解呪できるかはわかりませんが…。一度試させていただければ」
「お願いします。この子はもうずっと口がきけないのです。どうか…」
「いいかい?」
エドウィンは尋ねると、少年はうなずいた。両手を組んでエドウィンは目を閉じる。
「女神セレーネよ、この者の魔法を解放する力を与え給え、解呪」
エドウィンは少年の喉に手をあてる。やわらかな光が少年を包んだが、光はしゅっと消えてしまった。
「どうだ、しゃべれるか?」
老人が興奮気味に聞く。少年は口をぱくぱくと開いたが、声は出なかった。
「だめでしたか…」
エドウィンはがっくりと肩を落とす。
「仕方ありません。呪文レベルがエドウィン様より高い者が沈黙の魔法をかけたのでしょう」
レイラがエドウィンの肩をたたく。
「呪文レベルとは?」
「魔法を使うものが持つ呪文のレベルがあるんです。最高レベルは10になります。今回、解呪の魔法が成功しなかったのは、エドウィン様の呪文レベルより高い者が沈黙の魔法をかけたからです。同じレベルか下位の呪文レベルなら解けたんですが、今回は無理でしたね」
老人の質問にレイラが手短に答えた。
「そうでしたか…」
老人もがっかりしたようだった。
「ぬか喜びさせて、ごめんね」
エドウィンの謝罪に、少年は無理やり笑顔をつくってかぶりを振った。そしてエドウィンの手を取ってぎゅっと握った。
「ありがとう、君はやさしい子だね」
エドウィンは少年の頭を撫でた。少年はエドウィンを見上げる。
「ここにあの化け猫はいないようです。もう行きましょう、エドウィン様」
「…そうですね。お邪魔しました」
エドウィンが出ていこうとすると、老人が声をかける。
「あなたは、アメジストの司祭様ではありませんよね。ここへは何しに来られたのですか?」
「私はセレーネ教の請願者に選ばれたものです。本来なら、ここにいる方たちのお力にならなければいけないのですか…」
「請願者とは、確か…セレーネ教の教会を旅してまわる方では」
「ええ、そうです。ペリドットの町から出発してまいりました」
「…そのような方に会えただけでも光栄です」
老人は両手を組んで目を閉じた。
「スノウ…どこへ行ったんでしょう」
エドウィンはため息を吐いた。
「もう戻りましょう。日も暮れてきました」
「ええ…。そうですね」
すでに太陽は落ちていて、暗くなりかけていた。レイラの言葉にエドウィンはうなずいて、でも、と続ける。
「スノウをみつけなければ…」
「…では、夕食をとってからまた捜しましょう」
「いいんですか?」
「そうしなければ、気が済まないんでしょう?」
「はは…。お見通しですね。レイラは疲れていれば、休んでいただいても」
「エドウィン様より疲れるなんてことはありませんよ。鍛え方が違いますからね」
レイラは拳を握って見せた。
教会へ戻り、皆と一緒にエドウィンたちは夕食をとる。
「女神セレーネよ、あなたの祝福に感謝し、今日の食事をいただきます。我らの行いを善なるものとする糧となりますように」
クリストファーの祈りを皆で復唱し、食事を始める。
食事はパンと野菜のスープとサラダと厚切りのハムとスコッチエッグだ。ワンプレートに大量に盛られている。
「それで、猫はみつかりましたか?」
クリストファーがエドウィンに尋ねる。
「それが…街中を捜してみたのですが…」
「手掛かりなしですか」
「ええ…」
エドウィンはもそもそとハムを食べる。
「教会の中も私たちが捜したのですか、いなかったようです」
「街の外へ行ったのではないですか?」
ロバートがパンをスープにつけながら聞く。
「でも…私たちを置いていくなんて」
「元は野良猫でしょう? でしたら、よくある話ですよ」
「そうでしょうか…」
エドウィンはスープを飲み込んだ。なんだか喉に閊えるような感覚だ。
「ここの食事はお口にあいますか?」
クリストファーが話題を変えた。
「はい、とてもおいしいです。私のいたペリドットよりずっと豪華ですね」
「おおげさですね」
クリストファーは苦笑する。
「いいえ、本当に。もし可能であれば、食材に余裕があるなら貧民街の人たちに炊き出しなどされてはいかがでしょう?」
クリストファーはじっとエドウィンをみつめる。
「貧民街の子供たちは、学校にも行けていないようですし…。せめて、食事くらい」
「それはとてもいいお考えですね」
クリストファーはにっこりと微笑んだ。
「エドウィン様はお優しい方だ。本当に頭が下がります」
「いえ、そんな…」
エドウィンは恐縮して顔を赤くする。
「といっても、準備もありますからすぐにはできかねます。エドウィン様が出発された後に、そうしましょう」
「ありがとうございます」
エドウィンは安堵してハムを食べた。
「エドウィン様、まだ捜すおつもりですか?」
レイラはもう諦めたらしく、黙ってエドウィンの後をついていく。
教会の中でスノウをくまなく捜し、すでに夜中になっていた。
「…そうですね。今日のところは、もう休みましょうか」
エドウィンはレイラと部屋へ戻ることにした。
「私はシャワーをもらってきます。エドウィン様はお休みになってください」
「はい。ではレイラ、また明日」
「くれぐれも一人で化け猫を捜したりしないでくださいよ」
「わかりました」
エドウィンは苦笑して、部屋の前でレイラと別れた。
一度部屋へ戻ったが、結局部屋の中をうろうろしてから、またスノウを捜すことにした。
「エドウィン様」
「ああ、クリストファー様」
ちょうどクリストファーがエドウィンの部屋まで来ていた。
「どうされましたか?」
「エドウィン様にお話があるのです。よろしいですか?」
「もちろんです。どうぞ」
エドウィンが部屋のドアを開けると、クリストファーは「ここではなんですから」とエドウィンを別の場所へ誘い出した。
「どちらへ?」
「先日、ロバートが動物たちのいる部屋へご案内したでしょう。そちらへ」
「わかりました」
動物たちのいる部屋は、暗かった。すでにほとんどの動物たちが眠っている。クリストファーは明かりをつけて中を見回した。
「かわいいでしょう?」
「そうですね。お世話も大変でしょう」
「ええ、皆頑張って面倒をみています。でもね、エドウィン様」
クリストファーは壁を撫でた。
「中には人間に従順になれず、いつまでも反抗的な動物もいるんですよ。それが」
クリストファーは呪文を唱える。
「女神セレーネよ。この扉を開け、我を受け入れさせ給え。開錠」
その瞬間、壁に見えていた扉が開いて、中に檻に入った動物が見えた。
「これは…」
「中へどうぞ、エドウィン様」